第14話 9日目
9日目
「……っ!できたぁ!」
カメリアが完成した服を広げ、その場に仰向けになって放心した。
もうすっかり夜だが、彼は驚異的な集中力と手さばきで、手の込んだ全円スカートのワンピースを僅か2日で完成させた。
たっぷりとした首元の白いドレープが、気品と清廉さを感じさせるデザインだ。
彼は凝り固まった体をほぐすと、さっそくベットに寝せていた彼女に服を着せようとした。
「ちょっとごめんな」
申し訳ないと思って目を逸らしながら、少女の背中を抱くように抱える。
くったりと力が抜けていても彼女の体は軽かった。
着せている間に、奇妙なことに気が付いた。
それは少女の背中に生えていた石だ、小さな切り傷の様なものだが、その傷を塞いでいるのは瘡蓋ではなく薄紅色の石だった。
丁度、床に散らばる神の蛹のような石で、最初は背中に残骸が刺さってしまったのかと思ったが、直接生えて、傷を覆うように少し盛り上がっているようにしか見えない。
神の体は普通の人間とは違うのだろう。
小さな疑問をそうして片付けると、少女に服を着せ終えた。
手ずから作った贔屓目もあるかもしれないが、着せたワンピースは良く彼女に似合っている。
目で行った採寸も間違っていなかった。
後は起きた彼女が喜んでくれるかどうかだ。
どんな反応をするだろう?服を着てるなんて当たり前だから、着せたことに気づかないかもしれないが、それでも頑張って作ったのだから好感触を期待してしまうことは仕方ない。
カメリアは夢の中で見た少女の慈愛の眼差しを思い出す。
壮麗だったあの表情も捨てがたいが、出来れば彼女が喜んで笑ってくれるところが見たかった。
ベットに横たわる少女の傍らで、少年が百面相をしていると、不意に部屋の扉が開いてレオナルドが現れた。
カメリアは背中を緊張させて朗らかに出迎える。
「おかえりなさい旦那さま。今日もお待ちしておりました。」
「カメリアか……。」
少年は巨漢の異変に気付く。
この前は少女をかばうのに必死だったせいか気づかなかったが、何故かいつもより姿勢の悪い彼がやつれて見えるのだ。
男らしく整えていた頬髭も、今は伸ばすに任せているように感じられた。
「旦那様、お加減がよろしくないのですか?」
正直なところ、レオナルドの体調が悪かろうがカメリアにとってはどうだって良いことだが、気遣っておく振りをするのは大切なことだ。
聞かれた彼はそれには答えなかった。
「カメリア、今夜は別の部屋に居ろ」
「……は?」
それはこの男に派遣されて以来初めて聞く言葉だった。
あれだけ自分をこの天窓の部屋に押しこもうとしていた彼が、今になってなぜ。
「問題ありませんが……何故?」
「私は今日、この神の少女と番うからだ」
「……番う?」
「私は神の夫となる。そして彼女の力で妻を……アンネッタを取り戻すのだ。今日がそのための初夜となる。」
言われれば言われるほど訳が分からなかった。
それよりも、理解したくないというのが適切か。
少女との初夜を行うつもりであることはかろうじて理解できた。
それだけでも十分まずい状況であるのに、更に彼は少女が目を覚まさないのを良い事に、彼女の夫になるという。
カメリアは焦った。
「や、やっぱり今日もこの部屋にいさせてください!私以外の相手をお望みになるなんて、そんなの駄目です!」
また思ってもいないことを言って、レオナルドの腕に抱き付いた。
とにかく最悪の事態を回避したい一心だったが、カメリアはその腕に振り払われる。
「今日と言う日は、きっと定められていたのだ。私が神と番うという事は、アンネッタが命を落とした時に決まった……運命だ。」
男は酔ったようにそう言うと、ベットに横たわる神へと歩き始めた。
「私はアンネッタを取り戻し、神を手に入れ、お前を手に入れ、全てを手に入れる。これはアンネッタが導いた最良の未来だ。必ず実現してみせよう。
私とその美しい神が繋がるとき、彼女は必ず目を覚ますだろう。」
レオナルドは、眠り続ける少女の服にいきなり手を掛けようとした。
「ダメだ!」
その手をカメリアが叩き落とした。
巨漢の怒りの表情が、少年に向けられる。
「何故邪魔をする?」
「だって……」
カメリアは言葉に詰まる。
何故と言われれば何故だろう?
カメリアと少女は他人だ。
カメリアが危険を冒してまで守る必要が何処にあるのだろう。
少年の頭は疑問に喰われた。
分からない。
どうして自分はこんなにも必死になっている?
「……意識のない人に触れるのはマナー違反ですから。」
口に出したのは一般論だった。
レオナルドもカメリアも、そんな常識を聞きたいのではない。
「そんなことはどうでもいい!私は神を手に入れるのだ!」
レオナルドはカメリアを強く突き飛ばす。
少年は壁際まで飛ばされる。
急いで起き上がると、レオナルドがベットに乗り込んでいた。
反射的に止めようとする自分の体を抑えて、冷静になれと念じる。
(別にいいじゃんか。俺が傷つく訳じゃない。)
(助けられなくても仕方ない。俺とレオナルドじゃ力に差があり過ぎる)
レオナルドが自分の服を寛げ始めたのを、カメリアは胸を抑えて見ていた。
心臓が破裂しそうなくらい五月蠅く鼓動している。
(最初からこうしていればよかったんだ)
(誰かの盾になろうとして、俺が得したことなんてなかった)
上半身を露わにしたレオナルドが、再び少女の服に手を掛ける。
ゆったりしたドレープから、白く細い肩を取り出した。
突然、カメリアの頭の中に母の呪いが反響する
「ひたむきに生きた人間は、いつか死の海の向こうで愛する人に会える」
(うるさい)
少年は耳を塞いだ。
(そんなあやふやな言葉で俺を縛らないでくれ。
俺だって傷つかずに生きれるならそれがいいんだ。)
胸に引っかかるものを抱えながらカメリアは静観しようとした。
胸の鼓動も母の声も無視するつもりだった。
しかし、
レオナルドの指が少女の唇に指を這わせると、カメリアは幻覚を見る。
屍の横たわる牢の中、自分が縋った相手を思い出した。
どれだけみっともなくわめいても、どれだけ強く爪を立てても、自分を抱きしめ続けた少女は誰だったか。
(あれが夢だったとしても、俺は)
膝の上で眠る少年を、慈愛に満ちた目で見つめていた少女。
母が死んでから、あんなに純粋な優しさに包まれたことは無かった。
(俺は……っ)
レオナルドが、少女に口づけしようとした時だった。
銃声と共に、レオナルドの背中に強烈な痛みが走る。
うめき声を上げて振り向くと、カメリアが銃を持っていた。
そこら辺に放られてあった装飾用の銃だ。
「なんのつもりだ!カメリア!」
「……頭を狙ったつもりだったよ。俺は」
少年は舌打ちをして自分の銃の腕の無さに歯噛みする。
いつの間にか鼓動は静かになっていた。
よかった。やっぱりこっちの方が俺らしい。
騒がしく無くなった胸をなでおろして覚悟を決める。
ここで少女の為にレオナルドを打ち抜く覚悟だ。
「ふざけるな!」
巨漢の怒りは怒髪天を衝き、彼はベットを降りるとカメリアのもとに走った。
カメリアは後ざすりながら、迫るレオナルドに銃を撃ったが、背後の少女に当たらないように撃てば、銃弾は巨漢の腕や足をかするだけだった。
(やばい――っ!)
少年は逃げようとしたが、彼の壊れた足では、瞬く間に距離を詰めてきたレオナルドからは逃れられなかった。
首を掴まれた少年の体が浮く。
レオナルドが少年の銃を奪って遠くに放り投げると、彼はカメリアの首に容赦なく力を込めた。
――殺す気だ。
少年は理解した。
自分はここで終わりなのだ。
苦し紛れに足をばたつかせるのを止めた。
思い返せば、いや、何も考えなくとも酷い人生だった。
愛する母に呪いを掛けられ
救ったものに置いていかれて、
不快な熱に苛まれ
最後はこうして買われた相手に殺される。
それでも今は粗方満足しているのは、最後に自分なりの「ひたむきに生きる」とやらを実現できたからだろうか。
散々困らされたそのあやふやな言葉を、カメリアは先程定義した。
「自分に素直に行動すること」
最後に救いたい少女を救えたのだから、誰だかわからない審判も納得して母の下に送ってくれるだろう。
母に会ったら少し文句を言ってやるつもりだ。
「次はもっと具体的にいってくれ」と。
きっと母は笑って「ごめんね」と言うだろう。
それは永遠に続く幸せな時間の始まりだ。
(――ああ、でも……)
もしも、叶うのだったら。
(あの子に服の感想を、聞きたかった。)
そんなことを考えて、カメリアの視界は白んでいった。
彼らの後方で銃声が鳴る。
その瞬間、カメリアの首を掴んでいたレオナルドの手首が正確な射撃によって打ち抜かれた。
「そこの男の子から離れてください。」
響いたそれは場違いなほど可愛らしく涼やかさを感じる声だった。
レオナルドが呻きながら振り返る。
「ぐうっ……っ!何者だ!」
そこに居たのは少女だった。白と赤のワンピースを身に纏って、慣れたように膝射の体勢で、先ほど放り捨てられた銃の銃口でレオナルドの頭を捕らえていた。
「何故……!」
「彼には恩が沢山ありますから」
「恩だと?」
「素敵な服を作ってくれた恩と、私を何度も守ろうとしてくれた恩です」
激しくせき込みながら、ようやく視界をはっきりと取り戻したカメリアは、その言葉枯れたはずの涙を流していた。を聞いて、
ああ、俺の祈りの様な想いは、しっかりと彼女に届いていたのだ。
「神よ!私を受け入れないつもりか!?」
レオナルドは吼える。
その時だった。
天窓の部屋の扉が荒々しく開かれて、外から使用人たちが駆け込んだ。
繰り返される銃声に危機感を覚えた屋敷中の使用人たちが突撃してきたのである。
「旦那様!ご無事ですか!?」
「そこの娘!動くな!」
使用人がそう言い終える前に、少女は行動していた。
また銃声が鳴る。
少女に襲い掛かろうとしていたレオナルドの左目が撃ち抜かれ、取り囲んだ使用人たちがひるんだ隙に、少女は気を失ったレオナルドの側頭部に銃口を当てる。
「まだ死んでいませんが、あなたたちが動けば撃ちます」
「……何が望みだ!」
使用人たちの上司だろうか、少し良い身なりをした男が言った。
「彼を外に出して」
少女は白い指でカメリアを指さした。
(……俺!?)
余りにも突然の展開に動けずにいた少年が驚く。
「彼は旦那様の買った男娼だ!旦那様のものを勝手に外に出すわけにはいかない!」
男が叫ぶ。
男娼だという事をばらされたカメリアは、少女に軽蔑されるのではないかと焦ったが、少女は毅然とした態度で口を開く。
「その決まりとこの人の命、どちらが大切ですか!全員部屋の奥に入って彼の為に道を開けなさい!」
銃の引き金に力を籠める少女の様子に、慌てて使用人たちは天窓の部屋の奥へと移動した。
当然動いている間に彼らは主人の奪還を試みたが、少女が隙を見せる様子はなかった。
彼女がカメリアへと目くばせする。
少女をこの場に残して出ていくことに不安しかなかったが、場を掌握しきっている彼女を信じて外に出る。
どのみち残っても、カメリアに出来ることは無いのだ。
無力感を感じるまま、少年は長い通路を走って外へ出た。
玄関を通り抜けると、満天の空がカメリアの目に飛び込んだ。
夜空を見たのはいつぶりだろう。
もしかしたら、母と共に人狩りに捕まった夜が最後かもしれない。
しかし、彼を待ち受けていたのは、過去に見た悲壮感に満ちる空ではなかった。
少年は思わず自由を叫びそうになる。
だが喜んでいる場合ではなかった。
少女はまだ中にいるのだ。
銃に入っている弾丸は、きっともうない。
彼女がレオナルドの頭に銃を突き立てているのはハッタリだとカメリアは知っていた。
あの状況からどうやって逃げ出すというのだろう。
(……大丈夫だ、きっと。)
カメリアは信じるしかなかった。
屋敷が見える範囲で、できるだけ遠ざかる。
走れない足で懸命に歩いていると、後方が明るさを帯びていることに気づき、振り向くと、屋敷が燃えていた。
「なんで……!?」
もしや少女は、逃げれないと悟って自決に走ったのではないか?
そんな考えが過って、途端にそうとしか思えなくなった。
少年が地に膝をつく。
彼の胸に負の感情が押し寄せた。
悲しみ、後悔、不甲斐なさ。
言葉にしようもないそれらを感じながら、もう一度あの屋敷を見ると、炎に照らされて黒く見える小さな人影が、こちらに走り寄って来るのが見えた。
カメリアは茫然とそれを待つ。
「銃弾がなかったので焦ってしまいましたけど、何とかすることが出来ました。一応、死者はいません。」
鈴を転がしたような可憐な声が耳に届く。
たどり着いた少女に、カメリアは抱き付いた。
押したおされた少女は、慣れているのか気にした様子もなくそれを受け入れて語る。
「ずっとあなたが私を守ろうとしていることを感じていました。
すぐに応えられなくてごめんなさい。」
少年は無言で首を振る。
そんなことは良いのだ。
今、あなたがここに居てくれるなら。
カメリアは涙を流したまま、少女の顔を覗き込んだ。
彼女は笑う。
その笑顔は、想像していたよりずっと困り顔だった。
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