第13話 メメント・モリ


 7日目


 神は死んでしまったのかもしれない。


 レオナルドのいなくなった天窓の部屋で、カメリアは痛む体を引きずり、少女の近くに座り込んだ。


 キラキラと光る水晶の残骸の中で眠る少女はピクリとも動かない。

 白い体に血が通っているような気がしない。

 少しだけ開いていた目も閉じてしまって、小さな唇は心なしか青かった。


「……なんでだよ」


 カメリアの掠れてしまった声が部屋の中に小さく響いた。

 何に対しての言葉なのか、自分でもわからない。


 なんで自分がこんな目にあうのか。

 なんで彼女はこんなことになってまで目覚めないのか。

 なんで誰も自分たちを助けてくれないのか。

 少女の姿が、人狩りたちの捕虜となって惨たらしく死んでいった彼らと重なる。


 その瞬間、カメリアの視界が過去に戻った。

 誰かのすすり泣き、叫びながら家畜のように連れていかれる子供、累々と横たわる屍の山の上で、飢えて死肉を喰らっている同胞。

 母の亡骸が蛆に塗れて白くなっていく。


「なんでだよ……っ」


 泣きたかった。

 しかし涙は枯れていた。

 ただ死を待っていた。

 しかし母の言葉が邪魔をした。


「ひたむきに生きた人間は、いつか死の海の向こうで愛する人に会える」


 それは呪いだった。

 大切なはずなのに、それを支えに出来たら良かったのに。

 ひたむきとは何を指す?


 ここまで生きながらえた自分は十分に頑張ったはずだ。

 屍の山の中で生き残った。

 プライドを捨てて言われるままに体を売った。

 名前も知らない同胞に手を差し伸べるために自分の身を削った。

 今だって話したこともない少女の為に、


 しかし同胞は死んでしまった。

 少女は瞼を閉ざしたまま。


(なんの為に、生きてるんだ?)

 母の為だ。

 愛した母の願いを叶えるためだ。

 その為に、ひたむきと言う言葉に振り回されている。


 その言葉を恨んでいた。

 その言葉を残した母を、

 恨んでいた


 少し千切れてしまった作りかけの服を、少女の体にかけてやった。

 そして少年は疲れてしまったのか、彼女の隣で眠りにつく。

 不眠症に困らされている少年だったが、疲れ切った体は、これ以上の覚醒をよしとしなかった。


 少年は夢を見た。

 それはそれは奇妙で、

 とても優しい夢だった。



 *****



『私の声が聞こえますか?』


 何処までも、地平線まで白い大地。

 空は藍色、どうやら夜だ。

 星が藍色の空に半円の軌跡を描いていた。


「ああ、聞こえるよ」


 カメリアは声の方へ振り返る。


 そこにはあの少女がいた。

 フクロウの羽を生やした少女が、大樹の枝の上、月を背負って立っていた。


『ここにいらっしゃい。懐かしい人』


 小さな唇から綴られる言葉は知らない言語だ。歌うような響きを持ったその言葉に、どうしてか少年は『懐かしい』と呟いた。


「俺はそこへはいけない。足が役目を果たさない。もう動けないんだ。」


 たどたどしく歩くだけならできるはずの少年の足は鉄塊のように重かった。


『この木に登るのが恐ろしいのね』


「そう、俺は怖いんだ」


『もう疲れてしまっているのね』


「そう、俺は疲れてしまった」


『あなたは嫌なのね』


「嫌だよ、なにもかも」


『どうしてそんなに傷ついてしまったの?』


「わからない。傷つきたくなんてなかった」


『陽の暖かさを忘れてしまったの?』


「それは不快な熱さに上塗りされた」


『愛の記憶を失ってしまった?』


「それは呪いに代わったんだ」


『私はただあなたを知りたい』


「俺は何も見せたくない」


『私はどんなに醜くても目を逸らさない

 私はどんなに汚れていても差し出した手を戻さない

 どうかただありのままのあなたを私に見せて』


『私は全てに寄り添う

 私は全てに開かれている

 それはあなたに対しても』



「――何故これほどまでに悲しいのだろう」


「愛した人の残した鎖にからめとられて」


「救ったものに置いていかれて」


「不快なものに求められ」


「祈る神を失ってしまった」


『ここにおいで

 私はあなたに寄り添う』


「あなたは俺を知る」


「呪う俺も恨む俺も」


「憎しみの色で染まった俺さえも」


「あなたの声が聞きたい」



 気がつけば少年は少女の膝の上で微睡んでいた。

 白い大地には艶やかな金と銀の髪が混じって横たわっていた。

 月の光が少女の顔に優しい影を落とすが、彼女の美しいヴァイオレットの瞳に、少年への慈愛に細められているのが良く見える。

 少年は頬に伝う涙を払う少女の手を捕まえて頬に当てると、その暖かさに心地よい眠りについた。



 少年はまた、夢を見る



 夢の中はあの屍の牢だった。

 母の屍をネズミが食い荒らすのを見ていた。


 恐怖で体を竦める彼の背中を、あたたかなものが包み込む。


 そこには少女がいた。

 恐ろしいと取り乱す少年は、少女に縋りながら彼女の肩に爪を立てる。


 それでも少女は少年を抱きしめ続けた。

 永遠のように思える時間の中、夢が終わって彼が目覚めるまで。

 肩の爪痕から血が滴っても、

 それでも少女は少年を抱きしめ続けた。



 *****



 8日目


 天窓の光が少年と少女の産毛を神々しく照らしていた。

 まばゆさの中で目を覚ました少年は不思議な心持ちだった。


(太陽って、こんなに暖かかったけ?)


 眩しさで目を細め、その目の前に手を翳し、白い太陽を見る。

 いつもより近く感じるそれは、これまでより世界を明るく照らしているような気がする。


 不思議な夢を見た。

 何処か幻想的な夜の世界と、自分を慰め続けるあの少女がいたとはっきり覚えている。


「あの夢、あんたが見せたもんだったりする……?」


 傍らに静かに横たわっていた、未完成のよれた服を掛けられているだけの少女を見つめる。

 一応肩に爪痕なんかがついていないか、銀の髪を少し避けて確認してみたが、どうやら無事のようだった。


「ありがとな」


 少し清々しい気持ちになったカメリアは、少女の体に掛布団をかけて、代わりに作りかけの服をとった。


 そして針を探し出して、服作りの続きを始める。


 だってまだ彼女は死んでないかもしれないから。

 目を覚まして服が無かったら困ってしまうから。


 感謝の気持ちを針に込めて、少年は無心で服を縫う。


 ルキフグスの予言した神の羽化まで、あと一日だった。

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