第10話 カメリア
月明かりの射しこむ薄暗い部屋の中、裸の少年が窓を見上げて呟いた。
「……綺麗なもんだな。」
部屋に一つしかない窓は天井にあった。
少年は星空の天窓に手を伸ばす。空には花が咲いていた。夜空を覆いつくす大きな大きな薔薇の蕾。
その薔薇が珍しく蕾を広げていた。
蕾の中からまばゆい光が下界に射して、一瞬世界が朝のように明るくなる。
「なんだ!?何が起きてんだ!?」
部屋の外がにわかに騒がしくなった。
周りの喧騒を遠き聞きながら、少年は空に映し出される幻想的な光景の全てを見届ける。
しん……と夜が静まり返った後、
少年と同じ褥で眠っていた大きな男が眠たげに睦言を言った。
「お前が望むなら何でもくれてやろう」
瞼を落とす寸前、少年は空を指さして答える。
「かみさま……」
そう言って、眠りに落ちた。
*****
昨夜発生した異例の事態に、アィーアツブスの民たちは驚嘆し、ほとんどが神の花の真下へ向かっていた。
これは神の奪い合いだ。
この世界が生まれてから今まで5000年もの間平定するものがいなかった、王不在の土地アィーアツブス、戦乱に塗れたこの大地を治めるべき神が現れたのだ。
名を上げること、権力を手に入れることを願って、力ある者はこぞって挙兵した。
明け方、小さな部屋の天窓からその様子を見ていた翠目の少年、カメリアも、一目で良いから新たな神を見てみたかった。
自分が囚われの身でなければ。
木の枷がはめられた両の足首を撫でさする。
装着する人の事を少しも考えていないその造りは、少年の足に痕を付けていた。
ふう、とため息をつき、長い金髪を左側にして適当に編む。そこら辺に捨てられていた服を着ようとして、足枷が邪魔で着れない事に小さく舌打ちした。
「すいませーん! 誰か足枷外してくれない!?」
声を張り上げて人を呼ぶと、みすぼらしい恰好で使いっ走りの男が現れる。
「あいよ。えーっと? 朝は外して良いんだったか?」
「そうそう、良いんだよ。早く外してくれ、このままじゃ服も着れない。」
「服ねぇ?」
カメリアがそういうと、使い走りの男は馬鹿にしたように鼻を鳴らして、舐めつけるような視線でカメリアの白い肌を見た。
「着なくていいんじゃねぇか? 裸になって俺達の旦那様の体にまたがるのがアンタの仕事だろ。」
カメリアは男娼だった。男が言っていることは確かに自分の仕事だが、これでも体を張って苦労して働いているのに馬鹿にされてはたまらない。
「そうだよ? あんたの仕事は戦える奴らに媚び売って踏みつけにされることだろ? 似たようなもんじゃないか、仲良くしようぜ。」
「この餓鬼……!」
少し煽っただけで男は怒りを露わにした。少年の首にひしゃげた指が迫る。
「あーあ、いいのかなぁ?俺に傷一つでもつけて見ろよ。旦那様があんたの首を斬り落とすのが見えるぜ」
「……! ちぃっ!」
使い走りの男は怒りを納める様子はなかったが、一応首を絞めるのは止めにしたらしい。
憮然としながら立ち去ろうとする男の背中を見ずに、カメリアが長い金の編み込みを弄りながら呟く。
「別に傷がつかなくったって、あんたのことはなんとでも言ってやれるんだけどな?」
その一言に男は振り返ると百面相をして、ドスドスと床を踏み鳴らしながら戻ってきて、カメリアの枷をしぶしぶ外す。
「ありがとさん」
「フンッ、今日はほとんどのもんが出払ってるんだ。あまり歩き回るなよ。俺のせいになるんだからな!」
「へ? なんでそんなに出払ってんだよ?なんか予定でもあったか?どこの村を襲うんだ?」
「はぁぁあああああ~~~!?」
「んだよ?」
使い走りの男は信じられない! と言うように天を仰いで大げさに呆れてみせた。ブリオーの下の痩せこけた肋骨が折れそうなくらいのけぞって。
「本当に信じられんクソガキだ! 旦那様はこの餓鬼の見目しか知らねぇのか!? 自分で強請ったことも忘れてるなんてな!」
「は? なんの話だよ。」
話についていけないカメリアが髪をかき上げて気だるそうに聞くと、男が咎めるように告げた。
「お前が言ったんだろうが、神様が欲しいって。」
*****
「旦那様! 粗方片付きました!」
「……これの事だろうな。」
昨夜、神の花の真下の荒野に、光と共に大きな水晶の様なものが落下した。
水晶の”様な”ものとは、それが水晶の形をしてはいるものの、その実そんなものでは無い事が見て取れたからである。
大きなカテドラル水晶の形をしたそれは、銀色の膜に覆われていた。
流動する膜は重力に従う様子はなく、不規則に脈動する。
旦那様と呼ばれた無骨な男は、頬髭を触っていた手で銀の膜に触れ、一部を払い落とすと、その下にあった薄紅色の美しい結晶があり、更にその中にうっすらと見えたものがあった。
「……! ほぉぉぉ、これはこれは麗しいご神体だ……」
薄紅色の中には少女がいた。一糸まとわぬ体を胎児のように丸め、薄く開いた瞳は、物憂げながら微笑んでいるようにも見える。
「皆のもの! 神を手に入れた! 勝者は我々だ! 我らがこの、新しき神の所有者だ!」
男が声高に宣言する。
その声に気づいた者たちは戦いを止めた。
幾人かはその瞬間、全ての気力を使い果たし、血濡れの大地に伏した。
男の兵だけが勝鬨の声を響かせていた。
「俺達の巣に帰るぞ。戦勝報告をしなくてはな。」
男は神が眠る蛹を美術品として気に入ったようだ。
何度も撫でまわしたのち、家来たちに運ばせる。くれぐれも丁重に扱うようにと。
「カメリア、今帰る。」
*****
荷車二つ分はあろうかと言う銀の水晶を、古風な邸宅に運び込む人々を茫然とした面持ちで眺めるカメリアが居。
「ほんとに持って帰ってきたのかよ……」
「お前の為なら何でも手に入れてみせるといっただろう」
「あぁっ、嬉しゅうございます旦那様!」
完全に独り言のつもりだったカメリアは背後に驚いた。
咄嗟に出た言葉は何処か投げやりになってしまったが、旦那様と呼ばれる彼、騎士レオナルドは気にした様子もなかった。
ただ神の蛹を見つめて、カメリアの形のいい耳にささやいた。
「あれを渡せば流石にお前の飼い主も、俺にお前を譲渡してくれるだろう。」
その言葉に背筋が冷えた。
カメリアはレオナルドのものでは無い。
幼い頃人狩りにあってから、その人狩りの民たちの手で男娼に仕立て上げられ、顧客に体を売ることを強制されていた。
カメリアにとってレオナルドはただの常連。
特別な感情も無いし、寧ろ荒っぽい抱き方をする彼の事をよく思っていなかった。
そのレオナルドが最近、カメリアを人狩りから買い取りたがって交渉しているという情報が入ってきてはいたが、この様子だと事実のようだ。
カメリアは人狩りの民達の事を恨んではいる。
愛する母を殺された、酷い仕打ちを受けた。
今現在も自分の意志を踏みにじられて売りたくもない体を売っているのだ。
カメリアは体だけは丈夫だったから何とか生き残ったが、同じ境遇のもっと幼い子供たちが病気になって死んでいっても、人狩りたちは猟犬の餌にするだけだった。
恨みはあった。
だが恨むことに慣れてしまっていた。
15歳になった今、カメリアは稼ぎ頭として人狩りに捕まった者たちの中では上等な扱いを受けていた。
人狩りも人間だ。
カメリアが少ししなだれかかって甘い声でお願いすれば大抵のことは聞いてもらえた。
例えば「子供たちに食事を」
例えば「病気の彼女に薬を」
捕まった人々の境遇は、そうして少し良くなっているところだった。
正直逃げ出したい気持ちでいっぱいではある。
が、だからと言ってレオナルドに買われて何が変わるだろう。
彼は美しいものを天窓の部屋に押し込める癖があった。
それが生き物だろうと人だろうと構わないのだ。
彼の前妻が四六時中足枷をはめられ、一歩も外に出れず、やせ細って死んでいったのを知っている。
人狩りの持ち物であるカメリアだって、夜は足枷を付けていなければいけないのだ。
いざ彼の下に移籍したらどうなるか知れている。
それくらいなら人狩りの下で捕まった人々の状況を改善していく方が、カメリアにはまだましに思えた。
「この話はよしましょう。亡きご婦人が悲しまれます。」
死んだ夫人を盾にカメリアはその場を立ち去った。
レオナルドはその後を追おうとはしない。
ただ神の蛹を見つめ続けるその赤い瞳には、これまでにない熱があった。
*****
さてここで問題だ。神の蛹はいつ羽化するのか。
あの銀に覆われた水晶を手に入れ損ねた者たちは挙って羽化時期に検討を付けたがっていた。
それはこの国、女帝アドラメレクの統治するホド皇帝国でも同じこと。
ホド皇帝国も、突然神の花が咲いたと同時に出兵の準備をしたが、なにぶん大軍を女帝自ら率いたもので、出発と行軍が遅かったのだ。
別にアドラメレクが愚かだったわけではない。
ただ野蛮人共の巣窟のアィーアツブスと高をくくっていたのがまずかった。
ホド皇帝国が蛮族と笑っていた、というか数に入れていなかった彼らの行動が速すぎたのだ。
裸一貫の盗賊たちが我先にと現地に集い、小規模な争いを起こして、勝てそうにない盗賊騎士の少数精鋭がやってきた瞬間その場から離れていった。
と、国境の警備兵団から斥候にだした女兵士が語ると、女帝の怒りは怒髪天を衝いた。
「なんだその腑抜け達は! それでも男か!? 何のために普段あれだけ威張り散らしておるのだ馬鹿者どもが!!」
「陛下陛下落ち着いて。何も全ての男性が高圧的とは限りませんから、ね?」
肺の酸素を全て使って叫んだ荒々しい女帝に落ち着いた声がかけられる。神官の、少しパサパサしたブラウンの長髪を肩でまとめた女性のものだ。
橙色の髪の女帝は案外素直で、「すまないベランジェ―ル、取り乱した。」と、すぐに佇まいを直した。
君子は豹変するとは言うが、城全体に響き渡る程怒鳴り散らす君子などいるのだろうか? 謎である。
「でも、神の蛹が盗賊騎士の手に渡ってから消息が分からないというのは困ったわ……。新たな神の出現は戦乱の幕開けを意味するわ。その神の蛹が羽化する前に破壊しないと、しばらくは戦いに明け暮れることになるわね。戦いを好まないアスタロトがケセドに降り立った時だって、彼らの国は酷い暴動が起きたのよ。」
ベランジェ―ルは被っていた修道帽を下げて憂い顔を隠した。
その様子にアドラメレクは大きく頷く。
「ああ、戦いは免れられないだろう。選ばれた次の神には悪いが、私にはこのホドを守る義務がある。」
そう言うと、いつも腹から声を出している女帝には珍しく、誰にも聞こえない声で呟いた。
「わたしには記憶がないからな。」
しかし続く言葉は大音量だった。
「今をひたむきに生きる他無し!!!」
作戦室に集った強者の女たちは耳を塞いで、「また陛下が変なことを言い出した」とぼやいた。
音圧で傾いたメガネを直してベランジェ―ルは仕切り直す。
「と、とりあえず知りたいのは羽化時期でしょう? 大体いつかわかるのかしら、学術院の方?」
突然声をかけられた学術院の女教授は、驚くこともなく堂々と立ち上がり、告げた。
「わかりません!」
「何故だ!!!」
元気のいい女教授に女帝自ら全力で追及した。
分からないなら分からないなりにしおらしくする、という考えはこの国、ホドには無い。
どんな女たちも、自分の仕事ぶりに胸を張っていた。
羽化時期を予測できなかった教授にも理由があるのだ。
「何故かといわれますと、この国で一番神の蛹の羽化時期について記述されているのは70年前の書物ですが……。」
「ああ、うん。そうね」
教授とベランジェ―ルが口元を抑えて女帝から目を背けた。
その様子にアドラメレクは業を煮やす。
「なんだその歯に物が挟まったような反応は! さっさと続きを言え! 私の羽化時期がどうした! そんな昔の話、私は覚えていないぞ!」
「ええ……ではここでその書物を読み上げますが。」
「教授、それはあんまりよ?」
止めようとしたベランジェ―ルにも構わず、教授が本の朗読を始めると、だんだんと女帝の体が傾き、最後には天を仰いで額に手を当てていた。
「神の花よりケムダーの土地に降り立った神、アドラメレクは、神の蛹が大地に着くと同時に、その水銀の蛹を自ら破り捨て、「天上天下唯我独尊、この地をホドとし、私が司る」と声高に宣言し、ケムダーの土地の女たちに無理矢理戦い方を教え、時の皇帝を女だけの軍で打ち取った……。
つまり、陛下には羽化時期など関係なかったという事ですが。」
「……そんな昔の話、私は覚えていない!」
「アドラメレク……この時ばかりは胸を張らないで……?」
70年前から陛下はこうだったのか、と作戦室の女たちは感慨に耽った。
こうだったのか、というのは昔から破天荒だったんだな。と言う意味である。
「とにかく、とにかくよ?陛下はこんなだったけど、羽化時期に予測はたてられるのよね?」
ベランジェ―ルの問いに教授は頷く。
「ええ。3000年前に降り立った、観測史上最古の神、ルキフグス・ビナーが明言しています。羽化時期には規則性があると。」
そう言うと作戦室に希望が見えたが、次の言葉にはまた全員の表情が曇る。
「しかし、賢者と名高いルキフグス。彼女が続けて「この世界、セフィロトに住む人々がそれを解き明かせるとは思わない。」と、言ったことも事実です。」
ベランジェ―ルはまた修道帽を深く被った。困ってしまったときの彼女の癖のようだ。
「まったく、アスタロトもそうだけれど、神という存在が言う事は皆得体が知れないわ。まるで世界が複数あるように語るんだもの。この人はこんな感じなのに。」
と、アドラメレクの方を見て言うと、彼女は「それは誉めていないだろう」と微妙な顔でベランジェ―ルをにらんだ。
「はぁ、今回の会議はここまでね。とにかくとにかく! 軍は早く神の花のありかを見つけ出して、同時に出兵の準備を続けてね。学術院の方ではルキフグスとアスタロトの推定羽化時期から新たな神の羽化時期を予測を諦めないで。
双方、足りないものがあったら私に申し送りして頂戴。解散しましょう。」
ベランジェ―ルがそういうと、立ち上がった女たちは即座に己の仕事の為に走り去っていった。
「ああ、廊下は走らないでっていつも私が……はぁ、もういいわ」
「ベランジェ―ル」
元気の良すぎる同僚達の背中を仕方なく見送ったベランジェ―ルにアドラメレクが声をかけた。
「いつも苦労を掛けてすまない。お前がいるからこの国が成り立っている。感謝している。」
疲れた様子のベランジェ―ルを女帝が抱き寄せ、彼女のあまり手入れされていないパサパサの髪を撫でた。
「気にしないで。先々代のおばあ様からおとぎ話として聞かされた英雄が目の前にいる。
あなたの力になれるなら私、何だって嬉しいわ。」
アドラメレクの頬にベランジェ―ルの指が触れた。
どちらからともなく、引力が働いているかのように二人が抱き合う。
それを邪魔するものは、空っぽになった作戦室にはいなかった。
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