第9話 神の花より
「ルトゥム! その傷はどうしたんだ!? お嬢様はどうなった! 無事だったのか!?」
膝から血を流して闘技場から出てきたルトゥムにトーマスは驚き、駆け寄った。
近くにロジンカの姿がないこと、ルトゥムの表情が暗い事に気づくと、焦りが背中に迫ってくる。
「ルトゥム、それについては俺から話そうか」
「け、ケセド教皇聖下!?」
ルトゥムの背後から二人の従者らしき者を引き連れて教皇が現れると、トーマスは慌てて平伏し、ルトゥムの頭も下げさせた。
額から汗をだらだらと流すその様子が滑稽に見えたグリムは、密かに笑いを堪えていた。
「ロジンカは今、神の花のもとに居る」
「…!?、それは……!」
トーマスはその言葉の意味するところを瞬時に悟った。
お嬢様はカンタレラに選ばれたのだ。
死んでいない、という事にまず安堵したトーマスだが、次いで不安に駆られる。
カンタレラに選ばれた、という事は、神の花のもとに居るということは。
新たな神の出現に、世界が揺れ動くという事ではないか。
そして、何故聖下はお嬢様の名前を知っておいでなのだろう。
ルトゥムの名を親し気に呼ぶのはどうしてなのか。
様々な疑問で、地につけたままのトーマスの頭は沸騰しそうになっていた。
「顔を上げると良い。貴方もルトゥムとロジンカを大切に思うものだとお見受けした。
2人を宮殿に招こう。特にルトゥムには積もる話も合わせたい人もいるからな。」
宮殿に招く、と言う言葉にトーマスは頭を真っ白にした。
教皇宮殿は神聖な場所、決して中流階級の御者や、得体の知れない少年風情が入っていい場所ではない。
しかし断れば教皇の意志に反する。
どうすればいいのだろうか。
こんな時、どんな対応をするのが正しいのだろうか。
考えている内に、五人の傍に豪奢で巨大な馬車がやってきた。
「来たな。そこの紳士にルトゥム、少し狭いが行くぞ。」
(…!?聖下よ、貴方とご一緒しろと言うのですか!?)
彼らは次々に馬車に乗り込んでいく。
なんということはない、と言う風でルトゥムも続くので、トーマスは恐れ知らずなルトゥムに隠れるように乗るしかなかった。
*****
「……ん……ぅ?」
ロジンカは、瞼を閉じていてもわかる程の強い光に照らされて目を覚ました。
私は死んだのではなかったのか?
意識があることを不思議に思って周りを見回すと、そこは見たことのない光景が広がっていた。
何処までも広く、白い地面。
藍色に染まった遥か天空には、星の軌跡が描かれ、それが目を潰しそうなくらいに眩しかった。
「ここは……?」
「ああ、お目覚めですかー。それでは仕事をしなくてはー。」
ロジンカの背中に平坦な調子の声がかけられた。
彼女が振り向くと、そこにはタキシード姿の少女が立っていた。ロジンカよりは年上だろう。
淡藤色の髪を白い大地に引きずって、こちらに歩いてくる。
ロジンカを見据えるその瞳は、彼女と同じヴァイオレットだった。
「すみません、ここは何処でしょう?」
「どこでしょうー? うーんと、……ふわぁ~~~~」
不思議な空気感を纏ったその女性は、ロジンカの質問に答える前に、フルートを鳴らしたような声で大きなあくびをした。
自分の話を聞いてくれているのか不安になったロジンカは、もう一度声をかけようとする。
「あ、あの……」
「結論から言うならばー、ここはあなたたちのいう所の神の花の内部ですねー」
「神の花の……!?」
「私はメモリーRAMと呼んでいますがねー」
最後のメモリーがどうのというのはよくわからなかったが、ここが神の花なら憶測がたてられる。
カンタレラを飲み、今神の花の中に居るというなら、私は神として選ばれたのではないか?
単純に死んだ者が行きつく場所がここだという可能性もあるが。
希望が見えてきてロジンカのヴァイオレットの瞳に光が射す。
「あの! 何度も聞いてすみません。ここから元の場所に帰るにはどうしたらよいでしょうか?」
「え? 帰るー? 」
淡い藤色の少女はきょとんとして首を傾げた。
「帰るといっても、直接お送りすることはできませんよ。あなたを身ごもった神の花はもう決まってますからー。降りる場所だって決まってるんですよー。」
「……神の花が決まっている……?」
まるで神の花が複数あるような言い分にロジンカの思考が止まる。
神の花といったら、ケセド国の中心、教皇宮殿の真上の空を覆う、あの逆さまの薔薇ではないのか?
「ご存じなかったのですねー?神の花は10本存在するのですよー?」
「10本も……!?」
これまでの常識を覆されてロジンカは驚愕した。
一本であれほど空を覆いつくしていた花が、あとこの世に10本もあるという新たな事実は信じがたい事だ。
「その中でも、あなたが生まれる花はケセドの結構な南西ですねー。そこから戻るとなると、もう旅と呼んでも遜色ないほど遠いですー。ちなみにまだ名もない土地ですから、まともな交通手段はありませんよー。」
「そんな…」
ロジンカはがっくりと肩を落とす。最後に自分を助けてくれたルトゥムにお礼が言いたいと気を逸らせていたのに。
「そんなにがっかりなさらないでくださいなー。神となって生まれ変わるあなたには、素敵な力も、特殊な体質も与えられます。それらが素晴らしいものだと感じられるかはあなた次第ですが、使いようによっては、すぐに会いたい人に合流できることもありますよ。多分ですけどー。」
「……力に、体質?」
最後の言葉は余計だったが、神になることによってそんな恩恵が受けられるとは知らなかった。
それがどんなものかと聞こうとすると、何やら空間が歪み、白い大地が揺れ動く。
「これは一体!?」
「時間ですねー。神の花がセットアップを終了したようですー。」
「せっとあっぷ? 私が生まれる準備が出来たという事ですか?」
「そうですそうですその前にー……。あら?どこに行ったんでしょう。アリシアさーん?」
吐き気がするほど地が揺れているのにも関わらず、呑気に誰かを探している彼女を見てロジンカは気が付いた。
彼女は地に足を付けてなどいなかった。地面から数センチ浮いているのである。
(ゆ、幽霊?)
「時間がないですー。しかたない。私一人でお見送りしましょうかー。」
彼女はとても残念そうに頬を膨らませた。アリシアと言う名前に聞き覚えは無いが、ロジンカに会わせたかったのだろう。
揺れで混乱するロジンカはその時、目の前の彼女の名前を知らないことに気が付いた。
「最後に教えてください!」
「はいはい力、の事ですねー。それなら……」
「あなたのお名前は!?」
「え……」
てっきり与えられる恩恵の事を聞かれたのだと早とちりした少女は、眠たそうだった目を見開いて困惑する。
「アイン……ですが?」
「アインさん! 色々教えて下さってありがとうございました。またお会いできますか?」
「え? えーっとね、それはですね…ちょっと……」
ロジンカの足元に亀裂が入った。
彼女の悲鳴が聞こえる中、アインはひたすらぽかんとしている。
亀裂は轟音と共に大きくなり、足をすくませたロジンカはその亀裂に落ちていく。
「……ありがとうございました!」
最後に彼女は礼を言って、白い崖の中に消えていった。
「……お話するのは初めてですけど、なんだか調子の狂う方でしたー。」
「そう? 確かにちょっと変わってる人かもしれないのだ。」
アインは現れた人影に声をかけると、人影は去っていったロジンカを懐かしむような声で答えた。
「本当に会わなくてよかったのですー?アリシアさん。」
アリシアと呼ばれた少女は、しなやかな体に騎士の鎧をまとっていた。
黒い短髪を揺らして、恥ずかしそうに呟く。
「彼女は私の知ってる彼女とは違うのだ。あの人を困らせたくはない。あの人に会えないのも、話をしないのも……仕方の無い事なのだ。」
「意地っ張りでしょうもない人ですねー。」
「うるさいぞ」
アリシアは拳を上げて怒っているポーズをとる。
アインはそれを見てくすくすと笑った。
「さぁ、始まってしまいましたねー。新たな時代が。」
「あなたにはこの先どうなるのかがわかる……。そうなのだろ?」
「ええ、私は全てのメモリの管理者ですからー。これである程度の余地が出来なければモグリというものですよー。」
「僕にだけは教えてくれないか?」
「いいですよー。ここから見る世界は臨場感に欠けますから。私が語らってあげましょう。」
「目覚めた新たな神が出会う最初の運命は……美しい、一人の少年です……。」
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