第11話 羽化時期
「ふーん? この水晶が神って訳じゃなくて、中に人間の姿をした神がいるんだな。」
カメリアは天窓の部屋に運び込まれた神の蛹を見上げて感心していた。
ここはレオナルドの宝箱だ。観賞用の銃に、鳥の剥製。レオナルドが美しいと思ったものは何でもここにしまわれる。カメリアが足枷を付けて寝かされているこのベットですら、黒を基調としたシックさはあれど、天蓋付きの上等品だった。
この部屋にしまわれたものはレオナルドが飽きるまでずっとこの部屋の中だ。特に生き物は、生きたまま出されたところを見たことがない。
この部屋の中で最も多いのが宝石だった。色とりどりの大きな宝石たちが、天窓から射す光を反射して極彩色の光をはじき返すのは圧巻だ。
しかしそれも長くここに居るカメリアは慣れたもので、床に転がるダイヤなどは歩ける時なら蹴とばして遊んでいた。
そんなカメリアでも、この神の蛹と言う宝石は感嘆の一言に尽きる。
なんと言っても自分の二倍はある水晶など見たことがない。この流動する奇妙な銀の膜も。
そして何よりカメリアの目を奪ったのが銀の膜の下、薄紅色に輝く鉱石の中で眠りにつく少女の姿だ。
正直な話、カメリアは自分と同じくらい美しい人間と言うものを知らなかった。見たことが無かったのだ。
カメリアが感じていることは思い上がりではない。
それほどカメリアが美しいのだ。
百人いれば百人が、
千人いれば千人がカメリアを一目見ただけで恋に落ち、彼を欲しがった。(性格は普通の少年なので、口を開けば幻滅されることもあったが)
老若男女など関係なかった。
ホド皇帝国の幼い公女にキスをせがまれたことがある。
ケセド国の老紳士に恋人になってほしいと懇願されたことがある。
カメリアというそれほどまでに少年は美の神に愛されていた。
そんなカメリアですら、この煌く蛹の中で眠る少女は美しいと感じたのだ。
こんな気持ちは初めてだった。薄く開かれたヴァイオレットの瞳に魅せられて、彼女を覆う銀の膜を何度も何度も払った。薔薇色の頬に触れたいと思った。ぷっくりと赤く小さな唇はどんな音を紡ぐのか知りたかった。
彼女の名前は何というのだろうか?起きたらその艶めく銀の髪に少しだけ触らせてくれないか。
早くこの蛹を壊して、そのヴァイオレットの瞳で此方を見て欲しいと強く願っている自分に気が付いた。
「ヘンタイかよ、俺……」
頭に過る邪な考えを振り払うように、絹の枕に頭をうずめた。
「……早く出てきてくれ」
その水晶の上の方では亀裂が入っていることに気づかずに、少女を覆い隠す煩わしい銀の膜が、またしても彼女の姿を覆い隠していくのを、金髪の少年は苛立って眺めていた。
*****
「会わせたい人って?」
ルトゥムが本題を切り出すと、和やかに歓談していた応接間は、妙な空気感に包まれる。
ロジンカとルトゥムのこれまでを話してくれとせがむ教皇の態度は、一貫して穏やかで気さくだった。
その様子にトーマスも段々と不安が和らぎ、饒舌にロジンカのもっと幼かったころについて語っていたところだったのだが。
「ふむ。続きを語らうのはまた今度にしようか。」
微笑んだままケセド教皇がそういうと、宮殿の使用人たちがうやうやしくトーマスを取り囲み、来客用の休憩室へと案内しようとする。
「え?私はルトゥムと一緒に行くのでは?」
「気にするな、トーマス殿。こう見えてルトゥムは立派な大人だからな。」
その言葉にトーマスは更に混乱する。
「立派な大人」という教皇の言葉が全く飲み込めない。
トーマスの目には、今のルトゥムは周囲に流されるだけの幼い子供にしか見えていない。
ロジンカに甘えて、いつも後をついて回っていたところを苦々しく見守っていたトーマスにとって、ルトゥムの精神は赤子くらいのものだった。
それなのに。
「しかしですな! もしルトゥムがあなた様になにかご無礼を働いたら……!」
「はははっ、俺とルトゥムの間に無礼などないさ。さぁ行くぞルトゥム」
大口を開けて豪胆に笑い、教皇はルトゥムを連れて立ち去った。
如何やら自室へ向かうようだ。
「一体どんな間柄だというのですか……?」
2人の背中に切実な疑問をぼそりと投げかけたトーマスは、数人の使用人たちにぐいぐいと押されて移動していた。
そんな彼の脳裏に突如不穏な噂話が甦る。
――曰く、アスタロト・ケセドには稚児趣味があるらしい。
トーマスはハッとした。
彼のあのルトゥムへの入れ込みよう、一方的に親し気な様子……。
「こう見えてルトゥムは立派な大人だからな」
あの言葉は、まさか……、
「ルトゥムー! 逃げていいんだ! 相手がなんだって拒否していいんだーー!」
*****
後方から聞こえてきたトーマスの絶叫に、アスタロト・ケセドその人は腹を抱えて歩みを止めていた。
よくわかっていないルトゥムは首を傾げてぼんやりしている。
「俺達はとんでもない勘違いをされてしまっているようだな。」
「……何が?」
ルトゥムがこの状況を理解できるようになるにはまだ早いらしい。
冗談のたぐいが全く通じない黒猫に、教皇は整った眉を八の字にして嘆息する。
「お前はもう少し茶目っ気と言うものを知った方が良い。きっと友達が増えるぞ?」
「ロジンカがいればいい。」
「あの子がいないときは独りぼっちか?」
「一人でもなんとかなる。」
「その思い上がりを人は依存と言うがな。」
咎めるふうでもなく教皇はそう言うと、意外にも質素なアスタロトの私室の奥にあった隠し扉から二人は光のない地下に入る。
灯すらない中の灰色レンガのらせん階段を、手に持ったランプだけを頼りに降りていく。
その階段は何処までも続くものかと思われた。
しかし暗闇は突然終わりを迎える。
ルトゥムはらせん階段の最後の一段から足を離すと、そこにあった大きな鉄のドアを見た。
飾り気のない、ただの鉄の板のように見える扉。
彼には中にいる人物に心当たりがある。
特に楽しみと言うわけでも無かったが、恐れる理由がないというのはいい事だ。
ルトゥムは重厚な鉄の扉をいとも簡単に押し開ける。
瞬間、扉の向こう側から物が飛んできた。
勢いこそないが、咄嗟に避けたそれは辞典ほどもあろうかという分厚い本だった。
角が当たっていたらかなり痛い思いをしただろう。
因みにルトゥムが避けたそれは後ろにいた教皇の腹に当たった。
「む!?……これはご挨拶だな。ルキフグス」
彼は少し驚いて、落ちた本を拾い、怒った様子もなく中の人物に語り掛ける。
「……悪かったわルトゥム。人違いなんて、私も耄碌したわね。でもノックくらいしなさい」
ルトゥムは聞こえた声に応えず、いつもの恐れ知らずな調子で中に入った。
そこにあったのは、本、本、本だった。
円柱を描く部屋の壁は全てが本棚、見た目より広いその部屋の中には、円を描くように本棚が並んでいて、中心に近づくほどに小さな円になっていった。
部屋の中央にはわずかに開けた場所があり、そこに書籍と積まれた羊皮紙、万年筆が置いてある机と、慎ましい寝床があった。
「相変わらずこんなところにいて気が滅入ってしまわないか心配だ。」
アスタロトはその机に座って本を読んでいる黒髪をポニーテールにした少女に朗らかに話しかける。
「余計なお世話ね。ここは外界と謝絶されていて気が休まるわ。あの気味の悪い少年さえ、気まぐれに訪れなければいいのに。」
「気味の悪い……少年? ここの存在を知る人間は限られている筈だが。」
心辺りが浮かばないアスタロトに、ルキフグスと呼ばれた少女は閉口した。
黒真珠のように輝く瞳を半目にして、彼女は苛立ちを露わにする。
「11か月と3日前にあなたが連れてきたグリムという少年がいたでしょう。あの子がこの部屋に勝手に入ってきては読書の邪魔をするの。「君の瞳も素敵だね」なんて言ってるけど、心の中が丸見えなのよ。あのオキュロフィリアをさっさとどうにかしなさい。」
「ああ、グリムの事か。酷い言われようだがお前には合わない子だったのだな。隠し扉に鍵でもつけよう。すまないな。」
「二度とここには入れないで。」
ルキフグスがぴしゃりと言い放つと、そんなことを言い合うことが目的でここに来たのではないとルトゥムが前に出た。
「……久しぶりねルトゥム、あなた。」
『まだこの世界の言葉を理解できていないのね。』
彼女の唇から滑り出た涼やかな言葉は、途中から響きを変えた。
ルトゥムもそれに応える。
『この世界の言葉はどれも難しい響きをしている』
『わからなくもないけれど、10年もここで生活していて録に理解できていないのはいかがなものかしら』
『……』
『言葉が通じようが会話を続けたがらない、他人の会話に耳を傾けない。そのあなたの性質が原因ね。わからなくもないけれど』
耳が痛い。
ルトゥムは素直にそう思う。
人との意思疎通は彼にとっては苦痛以外の何物でもなかった。
人と語り合ってなんの利があるのかよくわからない。
情報収集には必要だというのはわかっていたが、その役目は自分に向いていないのを知っていた。
何より大切なロジンカとの仲に言葉は要らなかったから、その関係に甘えていたのだ。
しかしここにきてルトゥムも状況を理解したくなった。
ロジンカは自分の目の前で血を噴き出して死んだと思ったのに、ルトゥムの不完全なセフィロト語で聞き取れたのは彼女が死んでいないという事と神になったという事だけ。
ルトゥムにはそもそも、この世界にとっての神が何を示すのかわからなかった。
神とは天に居るものだと思っていた、それも世界の中に一人だけ。
それがロジンカから聞いた話では3柱もの神が俗世に存在する。
しかも実際神とやらに会ってみればそれは知った顔だったのだ。全く持って訳が分からない。心の底から困惑していた。
一旦、情報を整理する場を設けたいと思っていたのでルキフグスの登場はありがたかった。
『情報を整理したい。神とは何?』
『む、まさか言葉が通じない所からだったのかルトゥム。いつも言葉少なだから気づかなんだ。』
『この世界にとって、神が何かという事ね?』
ルトゥムとルキフグスはアスタロトを半ば無視して話を進める。
『この世界における神と言う存在は、迷信よ。残念だけど、民衆が夢見る神なんて都合のいい存在はいないわ。』
『あなたはいつもそう言う』
『ええ、こんな言葉が聞きたいんじゃないんでしょう?わかっているわ。今の私には、あなたが考えていることが全て。』
『?』
ルトゥムの普段使われていない思考回路は混迷を極めた。
意味が分からない言葉に細い眉を顰める。
『頭に言葉を浮かべなさい。どんなことでも、数式だって構わない。』
まさか。
小さな予感を否定するためにルトゥムは数式を連想した。
最初の文字が浮かんだ瞬間、ルキフグスの口が開く。
『7861927。美しくない数列ね。』
その柔らかな唇で綴られた数列は全て、確かにルトゥムが頭に描いたものだった。
『それが神……と言われる人の力?』
『その人によるわ。そうでしょうアスタロト』
『ん……まぁ俺の能力はルキフグスのように使い勝手のいいものでは無いがな。気になるか?』
『いや……』
『つれないな。』とアスタロトがぼやく。
ルキフグスは背丈に合わず高い椅子に足を組んで座り直した。
『カンタレラに選ばれた者にはこういう能力が与えられる。普通ではない能力を持っている事、神の花と呼んでいる空の薔薇から転生する事、そして不老不死であることに人々は神秘を感じるのでしょう。3000年前は恐れられて迫害されたものだけれど、今では神ともてはやされている。良い事態に生まれたものね。』
『じゃあ、カンタレラは何?』
『薬よ。あれについてはまだ考察と情報が足りていないわ。憶測は語らない主義なの。』
『今ある情報だけでも知りたい』
少しでも多くを知りたくて少し不満げなルトゥムに、ルキフグスが紅茶を差し出した。『毒なんて入っていないわよ』と、余計な一言を付けて。
『カンタレラという薬を飲んだ人間は、そのすべてが異常な苦痛を与えられるわ。その苦痛とは、吸血衝動が主だけど、中にはせん妄や幻聴、幻視……口に出すのがはばかられるようなものまであるわ。
特に催淫効果と強い依存性……、それらを利用して媚薬という名目でアンダーグラウンドでは流通している。
でもどんなジャンキーでも6個目までしか飲めないわ。何故なら死んでしまうから。
6個飲まなくては神になれない。しかし6個目を飲んだ99%が死に至る。
……それが今私が知っているカンタレラの全てよ』
『……ロジンカは、選ばれた。』
『そうだな。そして、それはきっと偶然ではない。』
『なにか……動きだしたのかもしれないわね。この世界は』
地下の部屋に沈黙が降りる。
黙り込んだルトゥムとアスタロトが何を考えているのか、ルキフグスだけが知っていた。
『そうだ。ロジンカの神の蛹の羽化時期は予測できるか?』
『はぁ、それくらい自分で考えてはいかがかしら。』
『……蛹?』
ルトゥムはまた首を傾げた。
蛹と言うのは、蝶が羽化する前のあれだろうか?
ロジンカの神の蛹という事は、彼女は蟲になってしまったのか?
『そんなわけがないでしょう。』
ルトゥムの思考を読むことができるルキフグスが、彼の貧相な想像力を笑った。
『神の蛹と言うのは、神の花よりいづる神を、地上に落ちる衝撃から護るための殻だ。大地に降りてから神が蛹を破るまで、しばしの時間がある。
つまり、ロジンカが神として活動を始めるころのことを羽化時期と言うのだ。』
『なんでそれが知りたい?』
『羽化するまでは自らの意志で動けないからよ。羽化時期までにアスタロトがロジンカの蛹を手に入れないと、彼女は必ず政治的に利用されるわ。新たな国の建国や、誰かの私腹を肥やすためにね。』
『神だから……』
『そうだ。』
アスタロトはルキフグスに頭を下げる。
『すまない。俺には彼女の羽化時期などさっぱりわからん。お前の頭を借りたい。』
『……国民がこの情けない姿を見たらどう思うかしら。』
彼女は苦い顔をしてアスタロトの後頭部を見つめた。
毒を吐くことが多いルキフグスだが、案外押しには弱い事を知っているルトゥムが畳みかける。
『私からも……教えて』
そう言ってまた頭を下げた。
『アスタロトはともかく、幼い姿のルトゥムに頭を下げさせるのは気が引けるわ。あなたに免じて教えてあげる。』
『羽化は誕生から9日後よ。あと6日しか時間がないわね。』
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