第4話ルトゥムがいいことを思いつきました

 


 ロジンカが……たいへん、らしい


 なんか…けっこんしないといけない……らしい


 ……なんで? 


 わからない、なんでだろう


 ロジンカ いやそうだった 


 いやでも しないといけないこと、いっぱいあるけど


 なんでけっこん?  わからない


 しなくていいって ならないかな


 わたしになにか できるかな


 だれかたおしたら なんとかなる? 


 なにかできること、あったらな






 *****






「え~、郊外の森で狼の被害が相次いでいる! この中の子達がスラムを越えてまで郊外に行くことはないだろうが、念のため気をつけてくれ。それでは今日の授業はここまでだ。各自、気を付けて帰るように! 」




 チリン、チリンと授業終了のベルが鳴る。この音がしたら、さっきまで寝ていた筈の生徒たちは飛び上がって帰り支度にいそしむのだ。


 迎えが来るのはそんなに早くないロジンカは、ざわざわとした教室の一番前で、羊皮紙のノートを纏めていた。


 あらかじめ写してあった板書から、自分なりの解釈を別のページに書き込んで、完成したら先生に添削してもらうのがロジンカの勉強スタイルだった。


 今日はお迎えの馬車が来る前に先生に見てもらえるだろうか? 


 少しだけ急いで字を書いていると、突然ノートに人型の影が落ちた。


 前を見ると、同級生のソーマが固い表情でロジンカを見据えていた。


 あら……、と内心困ってしまった。ソーマは事あるごとにロジンカに突っかかってきては暴言を吐く困りものなのだ。彼は学年次席なので、主席のロジンカが恨めしいのだろうが、きつく当たられて悲しくなるのは当たり前なので、彼の事が苦手だった。


 それでも机のど真ん前に居られては字を書きづらいので勇気をだして、できるだけ優しく話しかけた。




「どうしたんですか? ソーマさん」




 ソーマは話しかけられるのを待っていたようだ。スーッっと息を吸い込み、満を持して言葉を紡いだ。




「……お、おまえ」


「……はい」


「お……………………、………………………………………………お見合いするって、ほんとか」




 以外にもボソッとした声で聞かれたことにロジンカは首を傾げた。


 ケセド国では基本、10歳になった少女はお見合いをするものなので、それはとっても当たり前の事なのだが。




「はい、ありがたいことに沢山の方から縁談をいただきました。」




 自分で言うのも恥ずかしいので少し照れて笑うと、ソーマは更に表情を固くした。


 やはり鼻につくことを言ってしまったかとロジンカは焦る。




「えっと…すみません、思い上がったことをいいました」


「………ス……」


「え? 」




 今度は震えて何事か呟いたようだが、声が小さくて聞き取れなかった。「すみません、もう一度」というと、ソーマはキッっとした顔でこう叫んだ。




「うるせえ! このブスーーーーーーーーーーーーー! ! ! ! ! ! 」




 そして喧しい足音を立てて教室から走り去っていくと、いつの間にか一人残された部屋で呆けたロジンカは、はっと正気に戻ると、ポーチの中から小さな手鏡を出し、「ぶす……。」と呟いて少し泣いた。






 *****






 結局あの後ノートはまとまらないまま馬車が来る時間になってしまった。




「おかえり」


「あらルトゥム、お迎えいつもありがとう」




 足音も立てずに馬車の屋根から飛び降りたルトゥムを見て、ロジンカは表情を明るくした。


 ルトゥムが来てから一週間ほど、彼は迎えの馬車の上に無断で乗ってだが迎えに付いてきてくれる。


 御者は最初は怒っていたが、ロジンカが心から嬉しそうにするのを見てからは許さざる負えなくなったようだ。


 子供特有のものなのだろうか、出会ったばかりだというのに古くからの親友……、それどころか家族のように接する二人に、御者のトーマスは困惑を隠すのでいっぱいいっぱいだった。




 ふと、ルトゥムは少し遠くにある学校を見た。


 学校が物珍しいのだろうか、なにか変なものでも見るような目でじいっと見つめるので、ロジンカが「どうしたの? 」と声を掛けようとすると、




「聞けーーーーーーーーーーーーー!!!!!! ロジンカーーーーーーーーーーーーー!!!!!! 」




 命を削って腹の底から出したような声が後方から聞こえた。


 名前を呼ばれた以前に何事かと思って声の主を探すと、それは学校の屋根の上に登ってロジンカを見据え、仁王立ちするソーマだった。


 何か覚悟を決めた面持ちでいるので、もしや飛び降りでもするのかと、近くを歩いていた生徒たちや、井戸端会議をしていた婦人たちがざわめいた。


 しかしそのざわめきは次のソーマの一言で歓声に変わる。




「ロジンカ! 好きだーーーーーーーーーーーーー!!!!!! 俺と結婚しろーーーーーーーーーーーーー!!!!!! 」




 一瞬時が止まったと思うと婦人たちの黄色い声が上がった。


 生徒たちや通りすがりの殿方も息を飲んでロジンカを見つめる。


 普段からよくできた美しい娘がいると近場では有名だったロジンカはほとんどの人が背格好だけなら知っていたのだ。


 誰もがロジンカの返事を待っていた。もしも彼女がOKを出したら、ソーマとロジンカは伝説として語られる結婚をすることになるだろう。




「……」




 しかしロジンカは無言。腕でバツ印を作って馬車に乗り込んだ。


 例え勢いでも、女の子にブスと言うような男を夫にするなんて考え難いのである。


 ソーマがした行いを知らない外野の者たちは、ソーマの健闘をたたえて、学校の屋根上で蹲って頭を抱えるソーマに拍手を送った。


 情に厚い御者のトーマスも、ロジンカが見ているにも関わらず鞭を掲げて礼をした。




「明日からどうすればいいのかしら……」




 馬車に揺られながら、ロジンカはルトゥムの髪を弄ってふてくされていた。


 真っ赤になった彼女の耳を見ながらルトゥムは、「そっか」と呟く。


 ロジンカには聞こえていなかったが、彼はソーマの醜態を見て何か思いついたようだった。






 *****






 本棚が立ち並ぶ、少し日当たりの悪い書斎で、お父さまは考え事をしていた。


 その手に乗っていたのは小さな白い飴玉。


 一週間前にルトゥムを連れてきた、この区直属の警備兵がお父さまに渡したものだった。巷で有名な飴らしい。


 確か名前は、カンタレラ。


 お父さまも名前だけなら聞いたことはあった。この世の何より美味く、全ての苦を忘れられるという大げさな評判も、そしてこれに付きまとう意味の分からぬ都市伝説も。




「まったく、厄介な子供を置いていった上に怪しげなものを押し付けおって。たかが飴にそんな力があるものか! 」




 と、口では言うものの捨てられずにいるのは少なからずこの飴に興味があるからだった。


 しかし持っているだけではこの飴の真価がいつまで経ってもわからない。


 噂は本当なのか。本当だとしたら自分が食べるのが一番いい。ただの飴だとしたら? これは自分が食べても他のものに食べさせても構わない。


 しかしもし、甘い噂だけの危険物だったら? これならさっさと捨ててしまうべきだ。


 当たり前に考えて、少しでも危険があるならば廃棄すべきなのだ。


 それでも迷ってしまうには、この男はロマンチストだった。そしてそれだけ魅力的な入れ知恵を、あの警備兵がしていったからだ。




 トントン、と書斎のドアをノックする音が聞こえた。


 もうすぐ夕食の時間なので、女中が迎えに来たのだろうとお父さまは考えて、「ああ、今行く」と告げて飴玉を小奇麗な箱に戻し、ドアを開く。




「……こんばんは? 」




 そこにいたのは慎ましく礼をする女中などではなく、ボサボサの長い黒髪に片目を隠して、レモン色の瞳で此方を見上げる、疎ましいあの無性の少年だった。




「……無礼な。何の用だ」




 呑気に挨拶をした少年を剣呑な声色で牽制するが、彼は意に介す様子もない。なんとふてぶてしい黒猫だ。こちらが手を上げたら避ければいいとしか思っていないのだ。




「ロジンカと、結婚する」




 聞こえた言葉に耳を疑う。結婚? 彼は結婚するといったのか? 私のロジンカと。




「何をふざけたことを……。お前と婚約させてこの家に何の利があるというのだ。名しかもたない穀潰しが」


「り? ……結婚したら、また一緒に寝れる」




 その言葉は更に耳を疑うような発言だった。男は凍りつきながら聞き返す。




「……まて、またとはなんだ? 一度は共寝したような言い方だな」


「……? した」


「ざ……、戯言を! おい! 誰でもいい! こいつを連れていけ! 」




 男の怒りは瞬時に怒髪天を衝いた。


 怒鳴り声は館中に轟いて、使用人たちが駆け付け、ルトゥムを羽交い絞めにした。


 ぽかんとしたままのルトゥムはされるがままに手足に錠をかけられて連行される。




「どうしたんですか! ……ルトゥム! お父さま? ルトゥムを何処へ……! 」


「ロジンカ……………」




 ロジンカも父の怒鳴り声に驚いて駆け寄ってきた。


 狼狽するのをやっとのことで堪えているような、いつもと違う余裕のない父親に彼女はうろたえる。


 ゆらりと、ロジンカの方を向いたお父さまの形相に小さく悲鳴を上げてしまった。




「おまえっ……あの無性のをベットに招いたのか……!? 共に寝たというのは本当か! 」


「あ……っ」




 彼女は口ごもる。自分から招いたわけではないにしろ、同じベットで朝を迎えたというのは確かな事実だった。それをどう説明しても結局、父の怒りは静まるまい。


 黙ったロジンカを見て肯定とみなした父は、血管の浮いた手でロジンカの小さな頭をわしづかみにし、床に叩きつけた。




「う”っ! 」


「愚か者が! 私が血のつながらないお前にどんな思いで金を費やしていたかわかるか!? 」


「ロジンカ! 」




 鈍い音が鳴り響く。連れ去られていくルトゥムは必死に彼女の名前を呼んだが、すぐに姿が見えなくなってしまう。




「高い金で買い取った家を継ぐべき男子が死んだとき、私はお前に全てをかけると決めた! 家の命運を全てお前にかけたんだ! お前が望むことにはできる限り応えただろう! 学校に行きたいというから体面が悪くとも許した! 銃を習いたいというから狩りも許した! ペットが欲しいというから買いに出かけた! なだというのになんだこの結果は! 」




 何度も何度も打ち付けられたロジンカの銀の頭は赤く染まっていた。もはやうめき声も聞こえず、固唾をのんで見守るしかない使用人たちは、お嬢様は死んでしまったのではないかと誰もが思った。




「何故仇で返した!? そんなものより金を返せ! 期待を返せ! お前にかけた全てを返せ! 私の未来を返せ!!! 」


「旦那様、もうお止めください! 」




 ただ一人勇敢だった御者のトーマスは、荒れ狂う主人を止めようと手を伸ばすが、それは怒号によって打ち払われた。




「トーマス! あの無性の化け物を郊外の森へ連れていけ! あんな不埒者など犬の餌にしてしまえ! 」


「しかし今森には狼が」


「私に意見するのか! お前も私を虚仮にするのか! 」




 トーマスに何かが投げつけられた。それは意識を失ってくったりとしたロジンカだ。




「わかりました! わかりましたので……! 誰かお嬢様を手当てしてくれ! 」




 トーマスはロジンカを床に横たえ、見守っていた女中達に後をまかせると、逃げるように玄関へと向かった。




「手当などいらん! その小娘を今日中に闘技場送りとする! せいぜい見世物になって猛獣に食われると良い! 」




 お父さまは、男はその場から立ち去った。


 嵐は去ったが緊迫した空気はまだ健在だ。ロジンカが運び込まれていく中、遅れて来たお母さまは、足を忍ばせて書斎に入っていった。










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