第3話神の花
私に終わりはないんだろう
どんな世界を渡り歩いても全てを愛することは出来ないが
あなたに初めましてと言う度恋をした
私に終わりがないならば
これから出会う全てのあなたが笑うとき
傍にいさせてほしい
*****
薄暗く、寂れた部屋に光が射し込む。
埃っぽい床で寝たから体の節々が痛くてたまらないが、当たり前の事だ。
くしゅん
日の光を浴びて神々しく光る銀の髪を手櫛でとかしながら、ロジンカは小さくくしゃみをした。
今が何時かはわからないが、外が清々しくいい天気なことはわかる。
こんな日は……そう、掃除だ。
あちこち隙間風が吹いて風通しがいいのだからこんなに埃が積もっていては勿体ない。
箒とはたきがあればなんとかなるものなのだから、この部屋だけでも綺麗にしてしまおう。
「ロジンカ! 」
髪を一本に纏めようとしていたところ、最近聞きなれたアルトが聞こえた。
外から差し込んでいた光が人の形に翳る。
「ルトゥム? よくここを見つけましたね」
窓の桟に姿勢を低くした彼が乗っていた。ルトゥムはロジンカを一目見ると文字通り彼女に飛びついた。
どすっ! と派手な音で二人は倒れ込んだが、背中と後頭部に彼の腕がしっかり回っていた為、ロジンカに痛みはほとんどなかった。
それよりロジンカを驚かせたのが、先ほどは逆光で見えなかったルトゥムの表情だ。
いや、顔を見なくてもわかる。
彼はロジンカの頭を抱きすくめて泣いていた。
どうしたの? そう聞こうと思って、やめた。
ルトゥムはロジンカの首をさすって泣いていたから。
自分では見えないけれど、きっとここに鏡があったらロジンカの首を覆う両手の痕が赤く残っているのがわかるだろう。
知らないふりをするにはあまりにも白々しかった。
ここはロジンカの自室がある母屋とは別の離れ屋だ。基本的に物置として使われているが、ロジンカや使用人が仕置きを受けるのもここと相場が決まっている。
昨夜はお母さまがお父さまにしこたま怒られたらしく、気持ちのおさまりがつかなくなったお母さまにロジンカが感情的な折檻を受けるという流れだった。
この一連の流れは良くあることで、もっと幼いときは毎日のようだったのだ。
少し前までは何故自分が怒られるのかがわからなくて真面目にショックを受けていたが、何と言う事は無い。
お父さまお母さまに責任を押し付けて、お母さまは他に強く出れる相手が居ないからロジンカに八つ当たりをするのだ。
それがわかったからといって心身へのダメージがなくなるのかというと全然そうではないが、少なくともロジンカはそれに気づいて気負うという事を辞めた。
この身分にそぐわず広い屋敷の未来を担う事を辞めたのだ。
家族だ家族だと言ってくる両親は確かに育ての親ではあるが、ロジンカが顔に火傷でもすれば厄介者とばかりに自分を捨てるだろう。
ある程度時間を稼いで体力と狩りの技術を身に着けたら家から逃げ出してどこか遠くで気ままに暮らしたかった。
そのために一緒に旅に出てくれる相棒が欲しかったのだ。猫ではなく、猫っぽい無性の子供になってしまったが。
最近は大人しく生活してお母さまを気遣うことで折檻を回避していたけれど、なにぶんルトゥムが来てからお父さまの機嫌がすごぶる悪い。ずっと悪い。
ルトゥムが何かしたのではなく、大人の事情と言う奴なのだろうが、子供からするとたまったものでは無かった。家庭の不和のしわ寄せはこっちに来るのだから。
ルトゥムはまだぐずっていた。そろそろ髪の毛がびしょびしょだけれど、彼につられてロジンカも泣きそうになってしまったので何も言えなくなる。
でもこれだけは伝えなければ、と口を開いた。
「重い……」
彼はどいてくれなかった。
*****
ぐぅぅうう〜。
どちらかのお腹がなった。もう夜だけれど、許しが出るまでロジンカは母屋に帰れず、ルトゥムは彼女から離れたくなかったので、結局ずっと一緒に居た。部屋を照らしていた光がいつしか消えている。
少しでも明るい場所へと窓の近くを2人で陣取って、ずっと遊んでいた彼らは、お腹の音を聞く度クスクスと笑いあっていた。
幸い水は桶に用意されてあったので、空いた腹を水で満たすと、きゃらきゃら笑って再び他愛もない手遊びをした。
「あ、見て、ルトゥム! お空が澄んでいるから今日は神の花が見えるわ」
「……神の花? 」
「知らないのね? ちょっと待って」
ロジンカは窓がひび割れているのも構わず、がたついたそれを押し開けようとしたが力が足りないようだったので、ルトゥムが彼女より少し大きな手で押してやると、壊れそうな音を上げてやっと2人の前に藍色の空が広がった。
「あれを見て」とロジンカが指さす。
ルトゥムは最初、ロジンカが空を指さしているのだと思ったがどうやら違う。
彼女が指を指していたのは空の大部分だった。一点ではなく、空全体を眺めると、不思議なものに気が付いたのだ。
それはどれほど大きいのだろう。ひらけているのだと思っていた夜空に大きな逆さの薔薇の蕾が浮いているのが薄っすら見えた。
遠近法で薄く青白く浮かぶその花はあまりに大きいので、空の向こうに大陸が広がっていると勘違いしそうなほどだった。
「……あれ? 」
「そう、あれを神の花と言うの。綺麗よね」
ロジンカは立ち上がると、近くに捨て置かれたデスクの上に散乱した本の埃を払い、一冊開いて床に置き、ルトゥムに見せる。
そこには教会のステンドグラスの様な絵で、一人の人間が祀られている様子が描かれていた。
「この世に神が生まれる時、あの薔薇の蕾が開いて、中から現人神が現れるのよ」
「……そうなの? 」
「あ、信じてないわね? ふふ、でも私もそう。あんまり信じてないの。一番最近の開花は10年前……私たちが生まれたころで、今の教皇さまはその時の神様なのだそうよ。そして教皇の座に就くなり奴隷制の廃止を強行して、その時の教皇だった人と内戦して直々に手を下したのだって……。」
ロジンカはページをパラパラとめくっていく。
「その前の開花は70年前、ホド皇帝国の女帝が誕生したわ。
さらにその500年前は医療大国のゲブラー共和国の大統領が生まれたの
そして3000年前にも開花したらしいのだけれど、その人は行方が分からないわ」
紙の上に描かれたステンドグラスはどれも綺麗だけれど、いまいちルトゥムの琴線に触れない。そもそもこの世界における神とはどんな扱いをされている生物なのかがあまりわかってなかったので首を傾げるしかない。
「かみってなに? 」
「神様はね、皆が祈りをささげるけれど、お願いを叶えてくれたりはしない人」
「いじわる」
「そうね、意地悪なのかも。でももしかしたら、そんなに凄い人じゃないから叶えられないのかもね」
「普通の人? 」
「空から生まれるだけの、普通の人なのかしら……」
「わからないの? 」
「わからないわ」
「でも、一つだけわかることがある」
ロジンカは窓に寄りかかり、空の花に両手を伸ばす。
「あの場所に、世界一大きな薔薇があるってこと」
夜風がロジンカの銀の髪を撫でていく。
「私、いつかあの場所に行ってみたいの。神様が生まれるなんて信じてないけど、本当ならこの目で見てみたい!
あんなに大きなお花なら、私が花弁の上に家を建てたって平気だろうから、あそこに住んでみたくって!
空から見下ろす世界ってどんな感じかしら? きっと死の海の端まで見えるんだわ!
ねぇルトゥム、あなたも一緒に行きましょう! 私と一緒にあの大きな薔薇の上で、雲を泳いでる鳥を釣るのよ! きっと楽しいわ。そしたらきっと、この世界も悪くないって思えるはずなの! 」
ロジンカはルトゥムの手を取って夢を語った。
そこに居たのはルトゥムが今まで見てきた大人びて悟ったような彼女じゃなくて、10歳の、等身大の子供だった。
「……世界は、悪くないよ」
ルトゥムは彼女の輝くヴァイオレットの瞳を真っすぐ見つめて、そうつぶやいた。
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