第2話お見合いどころじゃありません


 伝えたことはないけれど


 私はあなたの事をずっと見ていた。


 あなたが思い出すことはないけれど


 私はこれからもあなたのそばに




 その為なら、なんだってできるから。






 *****






「ふざけるな……ふざけるなよ……! 」




 しゃがれ声が黒い森の中をつんざいた。


 声の主である襤褸衣を纏った老人は、唸り声のする檻を何個も鎖で繋げ、引きずって森の中を歩いていた。


「あの小娘から結局一銭も取れなかった! 奴隷もなくして、これじゃ村に帰ってもどうにもならん! 儂の世話をするのも働きに出るのもルトゥムだった! 儂をルトゥムを持っているだけの厄介者だと思っていやがったあの愚民どもに一泡吹かせる機会だったのに……! 残ったのは金にならん、殺す価値もない狼だけとは! こうなったら見ておれ……! どうせ老い先短い身の上だ! 幸せな面をした街の連中を何人でも道ずれにしてやるぞ! 警備兵め! 狼の処理を儂に任せたのが運の尽きだな! 」




 大声で独り言をとめどなく話し続ける老人は、やがて全ての檻を運び終えると、1人教壇立ったように演説を始める。




「狼達よ! この世界は間違っている! 設計ミスの壊れた世界だ!


 お前たちもそう思うだろう!? 


 年寄りになるほど敬われるべきだ! 悪意や敵意、侮蔑などそもそも概念から存在すべきでは無い! 私たちは皆この不出来な世界の被害者なのだ! 


 なぁそうだろう! 飢えに苦しみ続ける哀れな生き物よ! 飢えなどはなから無ければ良かったでは無いか! 


 他の生き物を喰らい! 子を食らって必死に生き長らえる一生はどうだ!?


 病に苦しみ死んでいく同胞に恐怖を覚えたか? 


 銃に撃ち抜かれる友を見て何を思った! 


 生と死の狭間を歩いてどこへ向かった! ? 


 我々は! この世界セフィロトで生きる666億の生命は! 全て生まれた時点で他と比べることすら馬鹿らしいほど幸福であるべきだった! 


 迫り来る老いと死の恐怖から、飢えと劣等感から自由であるべきだった! 


 見ろ神よ! この痩せ衰えた老爺の姿を! 


 これがあるべき生命の姿か!? これが何より強く生にしがみついた者の結末か!? 


 あなたが生きろと言うから私は生きた! それだけなのに何故だ! あなたは何を求めて我々を生んだ!? 何故私の問いかけに応えない!? 何故か当ててやろう! 


 私たちがこんなにも苦しむのは、あなたが応えないのは、最早この出来損ないの世界を捨てたからだろう! わかっている! わかっているぞ! 


 無責任な父よ! あなたが見向きもしない世界なら! この私が壊す手伝いをしてしんぜよう!! 」




 そう叫ぶと老人は狼の檻を2つ同時に開けた。それと同時に狼が老人の腹に食らいつく。


 老人は呻きながらまた別の檻を開ける。


 干からびたような体からボタボタと血が滴った。また1匹と狼が老人に食い付き血を啜るが、どこからそんな力が湧いてくるのか老人はよろめきながらも倒れることはなく、遂に最後の檻まで開けて高笑いをした。




 食え、痩せ狼達よ。


 儂を喰らい尽くして、誰でもいい誰かに儂の怨嗟の牙剥けるのだ。




 ヴァヴの国のどこかの森で解き放たれた狼達は、1匹、また1匹と老人だった骨から離れていく。


 老人の意図が伝わったかはわからないが、どこかの誰かを毒牙にかけるという意思は結束していた。






 *****






「さぁ、粗方こちらで選んでおいたから、あとは写真を見て気に入った人を選びなさい。」




 椅子に座ったロジンカ目の前には大きな机の上に広がる写真の山。近くのサイドテーブルにも同じものが積まれているのに気が付いた彼女は困った顔をした。




「選んでといわれても……会ったこともない人なのに? 」


「全員と会ってもいいのよ? 43人いるけれど、貴女が会いたいって言うならね。」




 こんなに縁談が来るなんて、母として鼻が高いわ。と高く笑ってお母さまは部屋を出ていった。


 黙って傍に控えていたる黒猫の様な少年――、ルトゥムは相変わらず無表情に写真の表面をこすった。




「つるつる……」




 どうやら被写体よりも写真の材質が気になっていたらしい。


 彼の気ままな振る舞いに少し気持ちが和んだが、問題からは逃げられない。




「この中の誰かと……、本当に結婚しないといけないのかしら。」


「……けっこん……するの? 」




 ようやくことの重大性に気が付いたらしいルトゥムがロジンカのヴァイオレットの瞳を見つめた。




「そうなの……私はもう10歳になってしまったから。」




 ルトゥムに微笑んだロジンカの表情は憂いていた。


 ヴァヴの国の女の地位は低い、家も継げず、働き手にもなりにくい貴族の娘たちは嫁に行ければ御の字だが、15歳までに嫁に行かなければ用済みとされる。その後は基本的には娼館に売られるか、闘技場で猛獣の餌になるかだ。


 それゆえ、少女たちは基本的に学校などへは通わず、家の中で花嫁修業や自分磨きにいそしむ。知らない相手からの求婚は当たり前の事だった。


 ロジンカが少年たちと一緒に学校に行っていたのは、彼女が大体のことをそつなくこなせてしまうからだ。利発で可愛らしく器用であることを知らしめたいお父さまの考えもあった。たまにそそっかしいところも見せてしまうので諸刃の剣だったが。




 だからロジンカの今の状況は喜ばしい事ではあった。たかが中流階級の一人娘にこんなにも求婚されることはそうはない。お見合い写真を送ってきた中には上流階級の人もいた。これは大変な快挙なのだが。




「私……まだ結婚は早いのではないかしら。」




 ロジンカのこの感想は余り一般的なものではないが、写真を見ればわかってもらえるかもしれない。


 送って来られた写真はほとんどが中年男性なのだ。


 お父さまと同じくらいに歳の離れた男性たちを見て彼女は困り果てていた。




 ヴァヴの国の少女たちは15歳までに結婚する。


 では少年達はどうするのかというと、結婚できないのだ。


 人口の男女比における女性の少なさ、そして何より一夫多妻制が認められていることもあり、中流階級から下の男性は、できない人は何歳になっても結婚できない。


 大体の男性は年を取ってからの方が妻に威厳を見せられるという事で30過ぎてから結婚に乗り出すことが多かった。だから10歳のロジンカに寄せられるお見合い写真も軒並みそれくらいの年齢だった。


 公にはされないが、この年の差に尻込みする少女たちは結構多い。


 それでも自分の命と、何より家の命運を背負っている少女たちは表向き笑顔で嫁に行くのだ。




 しかしロジンカは家の命運とやらも、自分の命の行方も余り深くは考えていなかった。


 この時代にしては放任主義の家に育ち、学校に通いお金の計算ができ、処世術を知っていて、マスケット銃さえあればある程度自分の身を守れるロジンカにとっては、お見合いは先送りしてもいい問題のように感じていた。


 15歳の女が一人きりで街を出歩く世間体の悪さなどを考えたことは無かった。




「どうすればいいのかしら……。」




 今日中に数人候補にあげないとご飯抜きと言われたのだが、いっそ今日は食べなくてもいいのではと思い始めた。末期だ。


 いつの間にかロジンカの足元で蹲って寝ているルトゥムを見て、今日何度目かのため息をついた。


 ルトゥムさえいれば、私はなんだってできるのに。


 そう思っていた。






 *****






「お父さまにお母さま、私、全員とお話します。」




 夕食の席でロジンカは宣言した。


 結局お腹がすいてしまったので時間稼ぎの策を講じることにしたのだ。


 43人もいるならば、全員とお話するにはたいそうな時間を要するだろう。顔合わせが済んでからまた誰にするか考えるとして。少なくとも三か月ほどは時間を稼げると思った。




「……。」


「本当に言っているのか? ロジンカ」




 予想外に張りつめた声で、お父さまが問いただす。お母さまはお父さまの出方をうかがって静かにしていた。


 少し不穏な空気が漂ってきたことに気が付いた女中や執事たちが自然な風を装って壁際に去っていく。


 ロジンカは内心少し焦りっていた。お母さまは全員と話す選択肢もあるといっていた筈なのに、この空気は一体なんだろう。




「本当です。私の一生に関わる事ですから、慎重に決めさせてほしくて……。」




 とんとん、とお父さまが人差し指でテーブルを叩く。最近知った、お父さまの機嫌の悪い時の癖だった。




「ロジンカ、時間が無いのはわかっているのかしら? あと五年すれば、私たちはあなたを闘技場に送らないといけないのよ。」


「ああ、私たちはね、早くお前を嫁にやって安心したいんだ。」


「まだ五年もありますよ? 」




 ロジンカは必死に反抗すると、二人はやれやれというように首を振った。




「大人の5年と言うのはあっという間なんだ。それに5年丸々残っているわけじゃない。15歳になってからでは歳をとり過ぎている。とうが立っているというんだよ。」


「あなたの一生に関わることだというのは私たちの方が良くわかっているけれど、あなたは家の為だという事を忘れているんじゃなくて? 」




 次々をぶつけられる否定的な言葉にたじろぐ。おかしい、だってさっきは。




「……でも、先ほどお母さまは全員と会ってもいいと言ってくださいました。」


「っ! ロジンカ! 」




 お母さまが咎めるようにロジンカの名前を呼ぶ。口を滑らせてしまったことを後悔した。これではお母さまに全ての責を押し付けてしまった形になる。




「ごめんなさい! 今のは嘘です! 私の勘違いで……」


「お前、本当にそういったんだな? 」




 ただの確認でしかない言葉にしては、随分剣呑な言い方だ。


 お父さまの言葉で、全員の視線がお母さまに集まった。


 矢面に立ったお母さまは、毅然としようとしながらも、少し声を震わせて告げる。




「私は……母・として、より素敵な殿方の元に嫁いでくれるならそれが良いと、その時は思った迄です……。」




 しん……とその場が凍ったように静まり返った。まだほとんど手を付けていない夕食がどんどん冷えていくような気さえする。


 傍に控えている使用人たちに申し訳が無い。ちらりと視界の端を見ると、皆表情を固くしていた。




「……なるほど、夫婦で少し意見が食い違っていたようだ。ロジンカ、明日までに話を纏めておくから、どうなっても良いように覚悟を決めておきなさい」


「……はい、わかりました。お父さま、お母さま、お先に失礼致します。」




 さんざん教え込まれたお辞儀はこんな時でも優雅にできたが、背中には冷や汗が伝っていた。


 はしたないけれど早足で晩餐室を出た。


 久々に大失敗してしまった。心臓が早鐘を打っている。


 お母さまがお父さまに怒られたりしたら、私がお母さまにお仕置きを受けるのに。


 それだけならいいけれど、今はルトゥムがいる。彼にまでお母さまの怒りが飛び火したらどうしよう……。


 とぼとぼと階段を登っていると、突然後ろから抱きしめられた。




「大丈夫? 」




 肩越しに顔を覗き込むレモン色は心配そうだ。


 ロジンカがしょんぼりしているのが後ろ姿で分かったのだろう。




「大丈夫よ」




 出来るだけ優しく笑って彼の頭を撫でる。


 ロジンカよりも少しだけだが背の高いルトゥムだが、ロジンカに頭を撫でられるのがお気に入りなようで、自分からも彼女の手に頭を擦りつけてくる。


 その様子が本当に猫のようだから、彼は大人になっても大きな猫のままなのだろうかと少し心配になる。


「疲れてるの? 」と聞くなりロジンカを俵のように持ち上げて、4段飛ばしで階段を飛び上がっていくから、フィジカル面で頼れることは間違いないが。


 そして部屋に連れていかれる頃には、いつの間にか緊張が解けていることに気が付いた。






「送ってくれてありがとう。今日は一人で寝かせてくれるかしら? 」




 ドアノブに手をかけてそういうと、急にルトゥムの眼つきが悪くなった。




「……嫌なの? 」




 ルトゥムは使用人達が住んでいる屋根裏部屋の空き室をあてがわれているが、寂しがりやなのか、朝になるとロジンカの布団に紛れ込んでいることが度々あった。


 今のところは誰にもバレていないが、これが発覚したら大騒ぎになることは間違いない。


 ロジンカが嫁入り前でなくとも、婦女子の部屋に男子が入り込むことなどあってはならない。


 ルトゥムは男子ではないからロジンカとしては問題ないと思っているし、朝起きると彼が傍で寝息を立てているのが可愛いし暖かいので、正直嬉しく感じていたが。


 それでも縁談が来ている身なので、そこはお見合いを申し込んでくれた方々に誠実でありたいというのも本心だ。




「ねえお願い、ほんとは一緒に寝ちゃダメなのよ? お部屋に入るのも良くないの。」


「……。」


「ごめんね……」




 彼にはついていないはずの黒い尻尾がビタンッビタンッと床を叩くのが見えるようだ。


 完全に拗ねている。いつもはアーモンド形の綺麗な目が今は三白眼みたいになっている。


 これで眉間に皺は寄っていないから不思議だ




「どうしたら一緒に寝ていい? 」




 ルトゥムは目線を床に落としたまま端的に質問した。




「え~~~……っと、それはね……。わからないわ……、ダメだから……。」




 どうしたらと言われて色々考えたが、思い浮かばない。そもそも添い寝など家族間でもそうはしないことだからだ。


 取り敢えず駄目なものは駄目なんだと伝えると、よくわかっていないなりに、ロジンカが拒絶しているのではなくそういう決まりなのだという事はわかってくれたようだ。


 今度は拗ねるのではなく素直に残念です。という事が背中に書いてありそうなくらいしょんぼりしながら、ルトゥムは屋根裏部屋に登っていった。


 その姿を胸を締め付けられながら見送ったロジンカは、ふと、まだ灯のともっていないお母さまの寝室を見て、何となく呟いた。




「母・として……ですか。」






 *****






「まったく出来の悪い子だわ」


「ここに嫁いだのは私の父の間違い、私は悪くないわ。けれど……」


「あなたを選んだのは私の間違い、そうでしょう? 」


「あなたじゃなければよかった。」


「そうだわ、隣にいた茶髪の子にすればよかった。あの子はとても大人しかったもの。そばかすだって慣れたらきっと可愛く思えたでしょう。」


「沢山いた黒髪の子でも良かった。私はそう思っていたの。」


「もう一人選んだ男の子が生きていれば……家を継げたのに」


「あなたに全てがかかっているっていうのに、あなたは気ままに過ごそうとする。」


「学校なんて行きたがるからよ。嫁ぐために育てられたという自覚が薄れてしまったんだわ」


「女に学なんていらないの。どうせ政略結婚の道具なんだから。だって私もそうだったんだから」


「私だってこんなことはしたくないのよ! 」


「私だって良き母になりたかったのよ! 」


「あの人との間に子供が出来ていたら違ったかもしれないのに……! 実の子なら母としての愛が生まれていたかもしれないのに! 」


「私がこんなに苦しんでいるのに、あなたときたら一人娘の自覚どころか、私への感謝は! ? 」


「どうして要らないことばかりするの! どうして私の立場を悪くするの! ? 」


「買わなければ良かった! この子が綺麗だわ、なんて言わなければ! あなたの一挙手一投足の責任を私が取らずに済んだのに! 」


「奴隷制がまだ続いていたらあなたなんて返品していたのよ! ? 」


「あなたがいても私が子供を産まなかったという事実は消えなかった! それだってあの人のせいなのに! 」


「使用人たちが陰口を言っているのが聞こえる! 友人たちが密かに私を笑っているの! 全部全部、あなたのせいよ! 」


「はぁっ、はぁ……」


「………………………………………」




「私は……何をしているの……っ」


「ごめんなさい……、」


「どうして……………どうして」


「こんなつもりじゃ……」


「こんなことするつもりじゃなかったの……」


「でもあなたが……あのひとだって……わたしは……」


「こんなの私じゃない! 悪魔よ! 悪魔がやったの! 」


「そうよ違うわ! 私がやりたくてやったんじゃないの! 」


「お願い信じて……愛しているわ……ロジンカ」








 ロジンカ は めいしん を しんじない


 かみ も まじょ も、あくま だって いない のだ


 でも かたち ばかりは おいのり するし


 こういう ときは、あくま が みえた と つぶやいて おく


 そうしない と


 いき を とめられて しまう から




 赤く腫れた頬は、誰のもの




 *****






 ロジンカががいない


 あさになったら いなかった


 へやに入ったけどいなかった


 おやしきから ロジンカの匂いがしない




 ロジンカ どこ? 




 さみしい


 いなくならないで




 ひとりにしないで


 ずっといっしょがいい


 さみしいの きらい




 ロジンカ どこ? 


 またずっとさがすの? 




 ねむるたび こわくなる


 あなたにあえたの 


 ぜんぶゆめだったらどうしよう




 わたしがつくった つごうのいい


 ゆめだったら どうしよう




 こわいから そばにいて


 もうどこにも いかないで




 ロジンカ  どこ? 




 ロジンカ     どこ? 




 ロジンカ    




 どこ


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