終章 選択の時

第40話 「5年後の世界」

懐かしい夢を見た気がする。

とても懐かしい1ヶ月半の長い旅の夢。


私は結局、瑠さんから逃げたのだ。

その想いと優しさから手を伸ばす事なんて出来なかった。

またあの人を傷つけてしまうんじゃないかと不安になって、そして逃げて捨てた。


「あれから、5年ね……」


たった5年、されど5年。

元に戻った時、私は向こうに行く前と同じ格好でその道に座っていた。

時間も一切進まずに、私は白昼夢でも見ていたのかと思うほど周囲は普通だった。

でも唯一違ったのは、私の首元にかけられているあの青いとんぼ玉の首飾りだけが、夢でないことを伝えてくる。


いっそ夢だった方がどんなに良かったか。

その石が、私に思い出させる。

あの夏が、私に忘れるなと言う。

人を傷つけたこと、想いを跳ね除けたこと。

それら全てを忘れるなと。


「……瑠さん……」


忘れたくとも忘れられない、忘れるには時間が足りなさすぎた。

あの夏の貴方を忘れるには貴方は鮮明すぎる。


オレンジの光が窓から差し込む。

夏らしい生ぬるい風は、カーテンを踊らせた。


「もう夕方……」


いつの間にか私は寝ていたようだ。

体を起こして、空腹を満たすために私はキッチンに立つ。

トントンと食材が切られコンロに火が灯る。

この夢を忘れたくて、無心で料理するが……


それでも夏になれば、永遠に忘れられない。



****


あの後家に帰った私だが、泣いて帰った私を心配して親が事情を聞いてきた。

でも知られたくなくてなんでもないと笑って誤魔化した。


ただ、好きな人を傷付けたのだと。


親は何も聞かずそんな私を抱きしめて1人にさせてくれた。本当に親には頭が上がらない。


その後の私は、ただ無心になりたくて勉学に打ち込んだ。

そんな私を友人は心配したが、事情なんて話せるわけが無い。

異世界に行って、色んな旅をして好きになった人を傷付けて逃げました。だなんてそんなこと誰に言えよう?


ただそれのお陰で、大学はノンストップで行けたし割といい大手の会社に入れた。

怪我の功名ってやつかな?

それに色んな人に告白された事もあった。

みんな赤い顔をして真剣に言ってくるし、とてもいい人ばかり。きっとああ言う人と付き合ったら幸せなんだろう。

なんて思っていても忘れようと没頭しても新しい人と出会っても彼が浮かぶ。


「女々しい女。」


声に出せば尚その言葉がのしかかってくる。

ああ、女々しい。本当に女々しい。

もう5年もたった筈なのにここまで女々しいだなんて、自分が自分に呆れてしまう。

その癖、私は莉さんの全てを押し付けて迷惑をかけさせる。

あれほど迷惑はかけないと誓った癖に。

そんな後悔をしている間に領地は出来上がった。それを持って私は居間に向かう。


一人暮らしの家は、物が少なくどこか寂しいがでも心地いい気がする。

私は作った料理を小さなテーブルに置く。

良い匂いのした野菜炒めが私の空腹を誘った。


「いただきます。」


手を合わせて箸を手に取る。

野菜炒めには絶対に味噌汁がいると私は思うしそのお供は真っ白いお米だと思う。

でもやっぱりどの料理でも吸い物はいるはずだ。

黙々と食事を終わらせて、家に持ち帰った仕事を始める。


空を見れば藍色に変わって夜を告げていた。

時間は歳をとる事にあっという間にすぎて、今の私を過去に置いていく。


カタカタとキーボードのなる音が静かに部屋に響き仕事はあと少しで終わりになる。

カタンッと最後にスペースキーを押して送信する頃にはもう10時を回っていた。

背を伸ばしてストレッチして布団に入って目を瞑る。

もうこの生活をあの時からずっと続けている。違いは学業か仕事かの違いだけだ。


「……おやすみなさい。」


部屋の電気が消え、窓にあるカーテンの隙間からは銀の月明かりが私を照らしていた。



****


「お、花菜ちゃんおはよー!」


「北村先輩、おはようございます。」


会社のオフィス前、私はいつもの時間の8時ぴったりに会社に着くと私の新人教育を担当している北村先輩と会った。


「いやー、花菜ちゃんって朝結構早いよね、何時起きなの?」


「基本は6時起きです。」


「え、はっやー!」


北村先輩は私と歳も近くとても話しやすいしちゃんと仕事は教えるが、この先輩とても距離が近いのだ。精神的にも物理的にも。


「俺しっかりした子っていいと思うんだよね。なんか頼り甲斐あるし、それにほら花菜ちゃんって可愛いのにしっかりしているのがすごくギャップあるよね!」


何が言いたいんだこの人?

可愛いからしっかりしてるのはおかしいみたいな言い方で少しむっとくる。

そう考えかけて、私は首を振って小さく息を吐く。


いや違うな、ただの被害妄想だ。

この人は多分そういう意味で言った訳じゃない、はずだ多分。

あの性格にせいであまり断言ができない。

と私が思っていることも知らずに、先輩はペラペラと聞いてもない話をしてくる。


「あーでも、花菜ちゃんって笑うこと少ないからさ可愛いのにもったいないよね。みんなも思ってると思うよ?笑ったらいいのにってさ。」


訂正、やはりこいつの言葉には悪意がある。

だいたい余計なお世話だ。それに仕事ではしっかりと笑っている。営業だけど。

それになんで私が朝っぱらからそんなことを言われなくちゃいけないんだ。


「……先輩、私少し資料室によるので失礼します。」


「え、あ、うん。」


先輩の話を無理やり中断させて私は資料室に向かう。

ちなみに資料室に用があるって言うのは口実だが嘘ではない。今日の会議で使うものがあるからだ。

先輩が何か言いかけようとしている気がしたが無視してさっさと行く。

これ以上私は話なんてしたくなかった。


曲がり角で先輩と別れて資料室に向かって必要な物を取って部屋を出た。

資料に被っている埃を軽く叩き、少し廊下を歩けば喫煙ブースで話し声が聞こえる。


「――でさぁ。」


どうやら通話中らしい。

しかしその声に聞き覚えがあって足音を消して、角で止まる。

しかし止まって聞こうとしていた自分が恥ずかしくなり、さっさと通ってしまおうと考えた時。


「そうそうそれで俺が教育している新人さ、可愛いんだけど全く愛想なくてさ。笑っている顔だってすげーわざとっぽくてよー、そう!めっちゃ人形みたいでさ、あれじゃあ結婚どころか彼氏もできなさそう。……え、いや顔も体もいいから遊び程度、的な子。

でもまあ、俺はぶっちゃけ狙ってるかな。」


聞くつもりなくともそういうことは聞こえてしまうのが人ってものだなと、冷静に考えている自分がいた。

全く、間が悪すぎる。


「そうそう、で……え、花菜ちゃん?」


私はさっさと角から出て喫煙ブースの横を歩いていく。

先輩は私に気づいて顔を青くさせていたが、別に先輩が何を思おうが私には関係ない。

まあ、確かに声は大きく外からでも普通に聞こえたが、そもそも先輩と私はただの先輩後輩の仲だ。

何も焦る必要はない、だって人の評価なんて人それぞれで気にしてたらキリがないから。


「ま、待って花菜ちゃん!」


と思っていたがやはりそうとは行かないらしい。先輩はさっさと部屋に向かっていく私の肩を掴んだ。


「なんでしょうか?」


「いや、あのさ……聞いてた?」


その問いに私はにっこり笑って、なんのことかを聞けば先輩は明らかにほっとした顔をした。

全く、顔に出過ぎでは?

これじゃあ反省もクソもないな、私ならあれ程度いいけど他の子だったら確実に傷ついているだろう話だ。


私はそんなほっとしている先輩に近ずいて耳打ちする。

いきなり近ずいた私に先輩は顔を赤くしていたが、次の言葉ですぐに青くなった。


「ああ、でも先輩知ってますか?ここって、案外声が響きやすいですよ?だから、ここでの通話は気をつけた方がいいですよ。他の子だったら傷ついているかも……」


「え、それってどういう……」


「それでは、私はこれを置きに行かなければ行けませんので失礼します。」


今の言葉で私が全てを聞いていたのがわかったのか青くしたまま立ち止まる先輩。

私はそれを放置したままさっさと資料を置きに行った。


「…………瑠さんがいたらもっとマシだったかも、なんて……」


本当に後悔ってあとから大きくるものだと、私は5年間を通してずっしりと重く感じた。


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