第30話「最悪の事態」
最悪だ、最悪の事態になったっ!
雲隠になっていた紅く光る月に照らされて、その場は明るくなり、全容が私の目に映し出される。
硝煙が周りの空気を巻き込み、煤だらけになった白い壁に打ち付けられた私は呻いて背を預ける。
「ハァ、ハァ、ハァ……まさか、こんなことになるなんてっ。」
目の前にある光景が信じられなくて、息が荒くなる。
震えを沈ませるように服に上からアレを握りしめた。
「逃げればこのままコイツらの頭に鉛玉を撃ち込む。大人しくしてろ。」
無常の言葉が鼓膜に触れ私は唇を噛み切った。鉄のような味がして、心の内に黒い感情が宿る。
目の前の男の言葉に、周りの黒服が小型の銃を突きつけ、私を脅すように頭を踏みつける。
突きつけ、踏みつけた先は地面に転がっているボロボロになった紅兎さんと琥珀さんで、私は相手を睨みつけた。
しかし、私に出来ることは相手の言う事を素直に聞くことだけ。
「瑠、さん……助けて……」
掠れた声は誰にも届かない。
****
――作戦開始前。
「それで結局瑠さんはなんの用で私を呼んだんですか?」
色々起きすぎて忘れていたけど、ここにいた理由って瑠さんに呼ばれていたからなんだよね。
瑠さんに聞けば、「あ。」と声を出して私の手を引く。
着いた先は瑠さんの部屋で、もう次は何も起きませんようにと願う。
「そうだったな。本当はもう少し話したいことがあったが時間が無い。だから早めに済まそう。」
そう言って瑠さんの首元から何かを取り出す。
青い玉がぶら下がる紐状の首飾りを瑠さんは私に掛けた。
しかしどこか見た事のある形で首を傾げ、なんで渡してきたの?という目で瑠さんを見る。
「それは俺の故郷に伝わっている『御守り石』で、故郷を出ていく若者の旅の安全を願い、その人の目の色と同じものを身につけさせるものだ。」
「え、じゃあ大事なものですよね?」
その言葉に目を細めて微笑む瑠さんはすっと私の髪に優しく触れた。
私は瑠さんのその表情はよく見てきた。
でもそれを見る度に私の胸の内から心音が高鳴ってギュっとするから、未だに慣れない。
「花菜、俺は終わったらお前に伝えたい話がある。でも今回は俺はいないから、お前を守ってやれない。だからそれまでそれがお前を守ってくれるようにした。絶対にそれを離さないように、いいな?」
言い聞かせるように優しく言い、何時ものように頭を撫でる瑠さんに私は強く頷く。
「じゃあ、終わったらその話聞かせてくださいね?」
「ああ。」
優しいオレンジの暖色の光が窓に差し込む。
私は薄々自分の気持ちに気づいている。でもその感情にまだ気づかないようにまだこの関係を保ちたい為にそっと蓋をした。
――それが私と瑠さんの最後の会話となることも知らずに、私は感情に蓋をする。
****
「旦那ー、花菜ちゃんー、鬼っ子ー。そろそろ時間だぜー?」
部屋で仮眠を取る私に、紅兎さんの声が聞こえてきた。
「うぅん……」
「ほら起きて、俺はあんたらに巻き込まれたんだから今日で終わらそうぜ。」
紅兎さんが私の体を大きく揺らすので目が覚めてしまう。だが確かにその通りなのでゆっくりと起きあがって準備を始めて宿屋前に出た。
「さて、今から作戦通りに動く。コウモリ、お前もし花菜が怪我でもしたら焼き切るからな。」
息をするように脅す瑠さんに、顔を青くさせていきよいよく頷く紅兎さん。
頭に手を当てて「参ったなー。」と呟いた。
「それから……」
「まっかせなさい!花菜を守るのは私なんだから!」
ドンと胸を強くた叩いてふんぞり返る琥珀さんに苦笑した笑みを私はついつい漏らす。
だが瑠さんはふっと笑った「花菜を頼む。」と琥珀さんに対して笑ったのだった。
その様子に驚きが隠せない全員(瑠さん以外)は瑠さんを凝視して、怒られた。
「それでは、作戦開始だ。」
「はい/うん!/おう。」
全員の呼応はバラバラだが、心は同じだ。
全員が役目を果たすために走り出した。
****
水に囲まれる美しい白の街並みを私たち3人は闇に紛れては走り抜ける。
不気味なほど街は静まり返り、月は雲隠れして見えないが、寧ろそれが絶好の機会だった。
「このまままっすぐ行けば莉さんの部下さんが待機しているはずです。」
「気を抜くなよ花菜ちゃん。いつ襲われるか分からないからな。」
「私がいれば百人力ってやつよ。それにしても……」
突然琥珀さんの足は止まった。
止まった場所は噴水のある広い空間でその静けさはあまりに不気味だ。
私は早くここを駆け抜けたいので、琥珀さんの袖を引っ張る。
しかし琥珀さんの言葉気になって袖を引っ張っていた手を思わず離した。
「ここってよく屋台の飲み屋とかあったのに、なんで今日はないんだろう?夜遅くって言ってもこの時間帯なら普通にあるのに……」
「……え、琥珀さんそれって本当ですか?」
「え、うん。私ここら辺に住んでるからよく知ってるよ?」
その真実に気づいてドっと冷や汗が吹き出してきた。それは紅兎さんも同じで、真剣な顔立ちで懐から苦無を取り出し構える。
「鬼っ子、構えな……」
「琥珀さん、構えてください。」
「え、どういうこと?」
「敵の狙いは、麻薬ルートの保護なんかではありません。敵の本当の狙いは――」
いい切る前に、遠くの方で轟音が鳴り響く。
赤い光と巨大な硝煙がみえ、風圧がここまでやってくる。
全員が驚きで固まっていれば、ヒュンっと風を切り裂く音が聞こえ、地面に鋭いものが突き刺さった。
そしてそれが合図かの様に、戦闘は始まる。
「――ッチ、もうこんなにっっっ!!」
黒い影が闇夜に化けるよう現れ消え、混乱する紅兎さんの隙をつき切り刻んでいく。
「まさか、瑠さんと私達を別れさせるためにわざとっ。くそっ!」
思わず言葉が乱暴になる。ここに来てから敬語が板になってきたが、急なことにはついつい崩れてしまう。
しかしそんなことを気にする余裕なんてなんかない。もう既に琥珀さんも紅兎さんもボロボロになり始めている。
敵の攻撃は苛烈を窮め、とんでもないスピードと攻撃力が高く連携は洗礼されている。
さすがに殺しのプロを十何人も相手にして2人が無事なわけない、なにか案を出さなくちゃっ。
「花菜ちゃん!ここは俺らに任せてさっさと逃げな!」
しかしそんな私に紅兎さんは逃げるよう言う。
「でもっ!」
「花菜が無事ならあの男も来るはず!お願い早く行って!!!」
紅兎さんの言葉を引き継ぎ、行き絶え絶えのなりながらも琥珀さんは叫ぶ。
既に限界を迎えているはずなのに、それでも私に攻撃を当てさせぬよう2人はたっている。
で無ければ、私はとっくのとうに敵にやられるか捕まっている、なら私のすべきことは一体何なのか?それもう知っているはずだと、心が強く叫びだす。私は全力で瑠さんのいるところに走り出した。
「私が戻るまで耐えてください!――ご武運をっ!!」
2人は私のその言葉にニット笑って親指を立てる。
走り出して街角ギリギリで見えた景色は歪む。
悔しくて悔しくて堪らなくて、涙が滲んだ。最近の私は泣いてばっかだ。
全力疾走で喉から鉄の味がする。
胸が苦しくてお腹が痛い、でもその足だけは止めなかった。
途中で何度も転けそうになってよろめく、その度に革靴は擦れてほとんど使い物にならなくなっていった。
何度も止まりそうになっても、喝を入れて足を動かす。おかげで、薬師組合の近くまで来れた。
あともう少しで、あの人のところに着く。後ちょっとで!!
そう思い足を動かした瞬間、背中に強い衝撃と痛みで私は気を失いかけた。
「――グウゥッ!!」
「おやおや、こんな時間に急いでどこに行くのかな、お嬢さん?」
白い壁に打ち付けられて、頭から生暖かいものを流す。痺れた体は私の言うことを聞かず動かせなくなった。
しかし朦朧とした景色の中でも、聴覚はその声を鋭く捉える。
「あ、なたは、あの時のっ……」
小さな掠れた声で私は吹っ飛ばしたであろう張本人を睨みつける。
「ああ、久しぶりだなあの狐以来だ。」
そうニヤつく美しい男は、以前黒い服を着ていた男に言われた、お方様だった。
****
そして物語は冒頭に戻る。
赤い夜の中、硝煙に混じる上品な香の匂いが鼻をくすぐった。
状況は最悪の一言に尽きない。
壁に叩きつけられ意識も朦朧とした私に、ボロボロになった2人。
既にこの中で逃げ切れる人なんか居ない。
せめて、せめてあの二人だけは逃がさないとと言う気持ちだけが、私の脳に染み付いている。
「さて、取引しようか。」
「取引、ですか?」
そういった男の顔は厭らしく、バっと腕を広げた。
「ああ、お嬢さん。君がこの条件を呑むのなら私はここから手を引くし、この2人にはもう手出ししない。どうかね?いい条件だとは思わないかい?勿論、君が言うことを聞くというのならだけど。」
「……その条件とは?」
どうせあの男が望む条件なんてわかりきっている。だがきっと聞かなければ行けないのだろう、何故ならここまでの好条件はないからだ。
私は間を開けて聞けば、男はさも嬉しそうに言う。
「その条件は、君が私の言うことを聞く事、ただそれだけだ。」
やっぱりか、わかっていても怒りが湧いて厭らしく笑う男を睨みつける。
そんな事のために2人をここまでやったって言うのか……?
男は私の反抗的な態度が気に食わないとでも言うかのように片方の眉をあげた。
いちいち行動が腹の立つ男だっ……!
「君が聞かないって言うならこの2人の手の指を落として徐々に切るとしよう。」
そう言い、黒服の人がグイッと琥珀さんの髪を引き顔近くに短刀を突きつけ、こちらに見せつける。
「いっ……」
「琥珀さんっ!やめろ琥珀さんは関係ないでしょ!?」
男を必死に見れば喜ぶかのように顔をほころばせて私の近くに腰を落とす。
「――アレは君の人質だ。そっちこそいいのか?お前のせいであの二人は苦しみながら、死ぬぞ?」
「……っ。」
私の笠を外し、頬に触れ耳元で死という言葉を強調して囁く。
ゾワッとした嫌悪感と怒りが、胸に渦巻き顔を見られたくなくて下を向く。悔しくて手のひらが切れたようでヌルッとした感触がした。
その様子すらも楽しいようで、こんな時も無邪気に私の髪で男は遊ぶ。
しかし周りの人は2人を離さずに短刀を手の近くに置き、私の返事を促進していた。
そして男は私に優しく言い聞かせるように頬に触れ耳を食むように囁く。
「――さあ友の命か、自分の自由か。どちらを選ぶんだ?」
それは選択ではなく、強制のようだった。
私は男を睨んで、轟音の響く夜にただ一言。
「わかり、ました。」
その答えを聞けば、男は美しい微笑みを零し私を持ち上げ、決して荒らげないしかし周りに響くような声を出す。
「撤収だ。」
そんな男の声が言葉が聞こえた気がしたが、私はただ、瑠さんの御守り石を掴み続け緩くなっている涙腺から水が出ていた。
紅い月は残酷に輝き、そのまま私の景色は暗転して、何も感じられなくなってしまった。
――2人の旅人は、離れ離れになり街と自身に災いを振りかけた。片方は怒りに身を焦がし、片方は敵によって手の届かなくなる所に行ってしまった。
街はもう、炎と紅い月によって最悪の夜となって今も輝いていた。
第二章『鬼人の薬剤師とコウモリ編 [完]』
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