第28話 「俺はコウモリ」紅兎side

俺の覚えている記憶の中で、いちばん古い記憶は母親の醜い笑みだった。


「良い?――は1番にならなくっちゃダメなのよ?」


「……うん。」


5歳にも満たない小さな子供の人生は、母親の望むままに動くこと、ただそれだけだった。


それはまるで人形とでも言うかのように。


「――どうしてこんなのも出来ないの?ねえ、は要らないのよ。」


母は怒鳴ることも殴ることもしない。

しかしその失望したような目が何よりも恐ろしく、俺は認められたくて必死に頑張った。まだ少年と言われる歳だった俺にとってその苦労が耐え難いものだったのをよく覚えている。


その狂ったような生活は、俺が十になる頃に突然終わった。

――俺の手によって。



****


俺はいつものように母に言われた手習いを終わらした後、何時もは行かない母の部屋に行った。

理由なんて特にない、ただ好奇心が俺の胸に巣食っただけ。


「――。」


「――――。」


俺と母は2人で暮らしていて、この家にほかの人が来たことはない。

しかし母の部屋からは、2人分の声がすることに俺は気づいた。


一体誰だ、あの人は?


障子に見えないぐらいの小さな穴を開け、そっと覗けば見慣れない男がそこに居た。


群青色の長髪はとても高貴そうで、それを結っている紐ですらも母と比べて上品で美しいものだ。

しかしそんな人が、何故こんな家にいるんだ?それも知られないようコソコソと。


話し声はそこまで大きくなく耳をすませなければ聞こえないぐらいの音量で、息を潜めて聞いてみれば、その内容は俺を凍らせるに十分すぎる内容だった。


「もうあの子供の教育は終わりました。そろそろ貴方様の諜報員としてお使いいただけます。」


え、母さん一体何を言っているんだよ。諜報員って、今までの教育全てそれの為に?


縁側に通じた障子は全て閉まっていて暗く、蝋燭の僅かな光で部屋を照らしていたが、見慣れた母の顔は全く別人に見えた。

そしてそれが蝋燭の光のせいだけでは無いのを、薄々と感じとっていた。


「ああ、しかしさすがだな。仕込みの腕は確かと言われるだけはある。貴様を雇ってよかった。」


「勿体なきお言葉に私、感激でございます。……それで失礼ながらお聞きしたいのですが、あの子供のの処分はもうお済みに?」


「心配するな、今ごろあの女含め海の藻屑だ。全く、あれ程優しくしてやったというのに恩を仇で返すなんてとんでもない女だ。」


……は、本当の母親?海の藻屑?

ダメだ、頭が痛くて話が入ってこない。


ガンガンと頭を叩かれ、耳鳴りがする。

極度の緊張で俺の喉からはヒューヒューと、妙に高い音が聞こえていた。


しかしそんな事など露知らない二人の会話は続き、俺の頭は限界を迎えそうになった。


が、つぎの台詞が俺の頭に過り考え全てが吹き飛び、息をするのも忘れた。


「ええ、その通りでございます。貴方様の御恩を最も最悪な形で返したあの売女……汚らわしいコウモリめ。まさか始末すべき男に惚れ一緒に足抜けとは……」


「黙れ、少し話すぎだな。これが貴様の報酬だ、次も期待している。」


「申し訳ございません。つぎの調教もお任せくださいませ。」


男がこちらに向かって歩き出し、それに母もついて行く。

その様子を見て俺はすぐ近くの部屋に静かに身を隠した。

ギシっと廊下から音がなり通り過ぎるまでの時間が酷く長くて、頭では多くの雑音が鳴り響き、それは俺の気を狂わすのに十分すぎるものだ。


「ハッハッハッ……っう、おぇ……」


音が完全に聞こえなくなり、俺の荒い息だけが部屋をこだまする。

しかし、そんな部屋にも耐えきれなくなり喉にせり上がったものを吐き出し、口の中が酸いものに変わったが、それに気を取られることは無かった。


「ハハッ、俺はただの道具、なんだな……」


真実という絶望が、俺の身を焦がす。


最初っから母に、いやあの女に愛されてなどなかった。

思い返してみれば、あの女に抱きしめられた記憶などない。が母から貰える愛情など、ハナからなかったのだ。


それも知らずに俺は、ただあの女に認められたいがためにあそこまで頑張って来たのか。


「滑稽だな……」


俺の自傷が部屋に木霊する。

その言葉を吐いた瞬間、俺はあの女に渡された苦無を懐に静かに入れた。



****


その日の夜は、満月のかけた下弦の月だった。


静かにただ静かに夜の風は、シダレヤナギの葉を擦っていき、俺がこれから実行するに相応しい夜だった。


カタッと静かに母だった女の部屋を開ける。

開けて視界に入るのは、寝息も立てずに寝る女の姿。


「……」


無防備な女の姿に、母として認識していたあの隙の無さとの違いに少し驚いたが、好都合だった。


部屋の中に入れば睡蓮の髪飾りが目に入る。

いつもこの女が大事そうに身につけていたものであり、決して俺には触れさせてくれなかった。


「私を殺しに来たのですか?」


静寂な部屋に、女の声が響き渡る。

俺が髪飾りに気を取られている間に、女は上半身をあげてこちらを見ていた。

俺は警戒するように懐に入れた苦無を構え、女の動きに警戒する。


「……そうだと言ったら?お前が話していたこと全て聞いた。よくも」


「よくも自分の母を殺したな、とでも言うつもりですか?全く、くだらない。」


ピシャリと言い付ける女の目には侮蔑の色が混ざって、月の光に反射された女の顔は無表情だった。


俺の体は、気持ちとは裏腹にビクリと体が動く。

……俺は怖いのだ、今まで逆らったこともない女を今殺そうとしていることに、俺はかつてない恐怖と暗い何かが胸に渦巻く。


そんな俺を見透かし、女は卑しく嗤う。

その様子に、カッと頭が燃えて俺は女に掴みかかった。


「どうして、お前は俺の母を殺した!?」


激昂する俺に、掴み掛かられた女は涼しい顔で淡々と答えた。


「……教えてあげましょう。私が貴方の母を殺した理由。それはね?お前の母は私の大事な恋人を、のですよ。

だから私も復讐というものをした。あの女を殺した理由なんてそんなものです。」


そう言って女は俺の手を軽く捻って外し、髪飾りを手に取って愛おしいと言わんばかりに薄く笑う。


「……俺は、あんたを殺す。」


「……」


激昂した俺の頭に、冷水をかけるような重い言葉。

俺の冷えた頭にあった怒りの感情は消え、ただ淡々とした殺意が芽生える。


もうこの女に用はない。

その思いだけが強く、苦無を女の首元に当てる。


「……やっぱり、親もアレなら子も同じ、ですね。――本当に汚らわしいコウモリよ。」


それが、俺の母という役目をした女の最後の言葉になった。


目の閉じられた侮蔑の笑みは赤い化粧によって彩られ、睡蓮の髪飾りは月明かりに反射して赤く輝く。

俺の苦無から赤い水が滴り落ちて真っ赤になった部屋を後にした。


縁側に出れば、夜風が静かに頬を撫でていき俺は静かに家を燃やして後にする。


「――今更だろ、俺が汚らわしいコウモリなのは。」


燃えていく家に振り返り嘲笑う様に言う。

しかしその言葉に反応すものは、誰一人としていなかった。


****


そのあとは、家に来た男に仕え、二十年たった頃実母の縁者である姪に出会った。


その姪は、権力者にあるような下卑た笑みといっそ下品と言われるぐらいの豪華な服を眺めて、俺に1枚の姿絵を渡す。


「コレは……?」


「今回は大物よ、絶対にしくじらないでね?直々のお達しで、この娘を連れて来いって依頼。手段は問わないから好きにやっちゃって頂戴。」


俺は姪の言葉を聞き流しながらその姿絵を見る。

しかしその絵には顔は描かれておらず笠を被った姿だけだった。


その後聞いてみたが姪にも顔は分からず何時も笠を被っている事と、その近くに居る男が危険だと言われた。


姪の部屋から出て俺はすぐに準備をする。

姿絵と共に渡されたトンボ玉に目を剥いたが、相手がそれぐらいも強さなんだと悟り準備を厳重にする。


「しっかしなぁ……」


最初に会った頃の姪と今の姪の姿はあまりにかけ離れ、そろそろ手を切る必要がありそうだと薄々感じ取った。


昔の姪はとても狡猾で、強欲だったが臆病でもあった。しかし今は権力に溺れた醜い女になっている。


「……」


もう一度姿絵と依頼内容を見て、姪の心酔するお方様とやらの無慈悲さに思わず笑いが出る。


「邪魔者は皆殺し、ねぇ〜?」


そして小さく書いてあった続きに、俺は魅入ってしまった。


『依頼対象であるこの少女は、頭の回転が早く冷徹な部分もある。しかし大変なお人好し。』


へぇー?お人好し、ねぇ?

俺はニヤッと笑って本棚から本を取り出す。

この本には俺が殺してきた奴らのことが詳しく書いてあるもので、演劇派な俺の大事な仕事道具のひとつでもあった。


「――よし、今日はこいつで決まりだな。」


そう言って無造作に本を投げ部屋から出る。

開いていた本には小者と書いてあり、その中にはある男の顔と性格が書いてあった。



****


(いやー、まさか俺が返り討ちにされるなんてな。)


最初までは良かった。

依頼内容に書いてあった男は居なくて、代わりに別件で立て込んでいた鬼っ子と例の少女が怯えていた。


だが中に入ることは、結界によってできず仕方なく能力を使うことにした。


俺の神通力の能力は『幻影』。

しかもあのとんぼ玉のおかげでパワーアップ済みのものだ。


「こりゃ、肩透かしだな。」


俺は仕事が早く終わってしまうことに幸運を覚えながらも、少し物足りなさを感じていた。


しかし、突然あの鬼っ子が状況をひっくりがえした。


通常、神通力を物理で吹っ飛ばすなんて不可能だ。

なのにまさかこんなイレギュラーなことに巻き込まれるなんて誰が予想したよ!?


そしてそのまま例の少女に脅され仕方なく、例の演技で乗り切ることにした。


だが、例の少女に見透かされてしまい俺はとっさの嘘をついたが、あの文の通りお人好しらしく直ぐに俺の味方をしてくれた。


(いやー、本当にやさしいね花菜ちゃん。このまま利用させて貰っちゃうね?)


俺はこのまま進む話に内心ほくそ笑んだが、どこかで俺は絆されていたんだろう。

花菜ちゃんは典型的な人たらしだ。その優しさと騒がしさに、俺は少しの間だけその立場を忘れていた。


しかしあの男が帰ってきたことにより、また状況は一変する。


男は完全に全てを知っているようで、ビシビシとその殺気を当てられた。

多分だけど独りになった瞬間、俺殺されるわ。

だけどそんな中でも俺は楽しかった。

終わりを作るのが自分だと言うのも忘れて……


俺は少し離れた部屋に入り、肩を解した。

コツコツと窓から音がなり、窓を開ければ式神が紙を持っていて、その紙を受け取り内容を見て、俺は現実に引き戻された。


「あーあ、ごめんねぇ花菜ちゃん。俺はやっぱり自分が大事なコウモリみたいだ。」


紙をバラバラに引き裂いて部屋を出る。


『裏切りはすぐに分かる。早急に依頼を達成せよ。出来なければお前の命はない。』


そして俺は、俺自身の嫌った絶望と悲しみにに、君を叩き落とす。

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