第十話 ー因縁の魔弾ー
その日の夜空は、黒絵の具を塗りたくったかのように暗かった。その闇のもとに青年や男が複数人、物音一つ立てずあるものを囲んでいた。青年の目線が低いのは、男の内の二人によって押さえつけられているからだ。強い力が絶えずかかっている両肩と背中が痛い。
あるものに一人の男が近づいてきた。その男は片手鎌を携えている。彼はあるもの、柱に縛り付けられた少女に歩みをゆったりと、確実に進めていた。
「駄目だ!そんなことしちゃ駄目なんだ!やめろぉ!」
青年は思わず叫んだ。しかし、黙れ、という男の怒声が鼓膜を轟かせ痛みを強くさせた。青年からうめき声が漏れる。
「さっさと始末しろ。ネクロを狩るのが霊装武士の仕事だろう?」
男達のリーダー格であろう人物が片手鎌の男に催促した。片手鎌は振り向くことなく、天へと首を上げる。少女は悲しい笑みを浮かべ、彼を見つめる。
「やめろぉぉぉぉぉぉ!」
青年の叫びは、届かなかった。鎌が振り下ろされ、少女の身を引き裂き、そして………
オーダードームの地下フロアの一角。そこには一部職員しか入れない特殊な実験区画があった。だが、オーダードーム勤務の職員の大半はこの部屋のことを知らない。無論、そこで行われる事も。
青白い光に照らされた一室のベッドに一人の男が寝かされていた。頑なに目を瞑っているあたり、全身麻酔が施されているのだろう。その男を囲むように白衣の男が複数人立っていた。強化ガラス越しにその様子を見つめるのは、この実験の責任者の男と、黒フードの男だ。
責任者が手を挙げた。それを合図に白衣の男が黒い溶液で満たされた注射針をベッドの男の腕に突き刺した。溶液が流れ込んでゆく。
その瞬間。男がパッと目を見開き苦悶の表情を浮かべる。血走った目を震わせている彼の顔には黒い☓の紋様が浮かんでいた。線は鼻の上のあたりで交差している。
「『あれ』は強制的に人間の意識を覚醒させる。気の毒ですが、麻酔は無駄なようですね」
フードの男は狼狽する責任者の隣で悠然と呟いた。
男がベッドに備え付けられていた拘束具を破りさり、ベッドの上に立ち上がった。
「ウワァァァァァァッ!」
黒く変色していく男の身体。そして、本来男がいるべきそこには、ゴキブリを人型にしたような怪物がいた。
怪物は拳や蹴りで白衣の男達を見境なく襲う。その様子はガラス越しにでも確認できた。
「な、何が起きている?!」
責任者が近くに置いてあったマイクに吹き込む。完全防音の実験室と連絡が取れる唯一の手段だった。だが、彼の問いかけに応じるものはいない。
「非常事態でマニュアル通りの動きは困難を極めます。仕方がないことなのですよ」
フードの男は相変わらずだった。
頸動脈から吹き出た血でガラスを染めたゴキブリ怪人は、そのガラスを突き破りフードの男の前へと迫ってきた。責任者は腰を抜かしている。
「そう驚くことはありません。人間が本来持つ、獣としての本能が現れただけのことです」
そう語りかけるフードの男に怪人が迫る。その腹部。男は蹴りを入れる。真っ直ぐに突き刺さるキックに悶た怪人は黒い粒子となってその場から消えた。
フードの男は人間としての姿を保ってはいなかった。蛇をモチーフにした禍々しい魔人の姿がそこにあった。
「実験は続行なさい。必要な資材は私の方で全て集めておきます」
深く低い声の蛇ネクロは責任者にそう伝えた。顔が大きい故に相対的に小さく見えるその目を見開き、責任者の男は震えるように頷いた。
天然芝が広がるその広い公園は刃にとってのお気に入りの場所だった。日夜ネクロとの戦いに染まるこの街で唯一落ち着くことができた。青い空に散らした白い雲は風と共にゆったりと過ぎ去っていく。遠くの方は家族連れでごった返していた。
「あれ、神崎さん?」
天然芝に寝転ぶ刃の目線にを見覚えのある顔が覗き込んだ。同時に聞き覚えのある声も鼓膜を震わせる。それが平田詩織だと認識するのにさして時間はかからなかった。
「……何でお前がここにいるんだ?」
呆れた調子で刃が問いかける。そんな態度を気にすることもなく詩織は微笑して答えた。何度かそんな態度で接する内に慣れてしまったのだろう。
「小説を書いてて行き詰まったとき、よくここに来るんです」
詩織が小説を書いていることは刃も周知していたので、気に留めることはなかった。彼女のショートヘアが風で揺れる。
「神崎さんもここ好きなんですか?」
詩織が逆に問いかけてきた。少し間を置いて刃は答えた。
「ここが一番落ち着く場所だからな……」
刃の回答にそうですよね、と笑みを大きくした詩織は刃の隣に寝転び、大きく息を吐いた。ふわふわとした所作が芝にも伝わたようだった。
「言えてなかったですけど、ネクロの事、いろいろありがとうございました」
詩織がこちらに目線をやり、話した。
「それが俺の仕事だ。気にするな」
ふふっ、と軽い笑みを溢した詩織は続けた。
「何だか神崎さん、かっこいいですよね。まるで主人公みたい……」
かっこいい、という一言に胸をときめかせてしまったのは、男としての性だろうか。だが、同時にそれは切なく刃の心に引っかかることとなった。
「かっこいいはずはない。ネクロだって元は人間だ。人殺しを褒められてもいい気はしない」
刃は目を合わせることもなく答えた。
ネクロとなった人間の魂は、やがて自身が人間だった頃、即ち生前の記憶や価値観を忘れ、その心も、身体と同じように獣の如き様相をとる事となる。人間の心を忘れていくスピードは個体差があり、また、それを維持したまま生きながらえる事のできるネクロも少数ながら存在する(便宜上、上位種と呼称される)。しかし、如何なる例においても、ネクロの根幹にあるのは、畢竟、人間であり、その事実が、彼の語り口を曇らせていた。
その言葉尻はきわめて冷たく、詩織の笑顔を萎ませるには十分だった。
「ごめんなさい。変なこと言っちゃって………」
それまでとは調子の違う声に詩織の方を振り向く刃。起き上がり、申し訳無さそうに謝る詩織に不思議な危機感を感じた。危機感、といえば仰々しいが、詩織の陰る様が、なんとなく嫌だった。直ぐに黒コートのポケットを漁る。感触が伝わったのは直ぐだった。
「………食うか?」
刃が差し出したのは飴だった。丸い、一口サイズの。小腹が空いたら食べようと思っていたものだった。
「……なんで飴?」
詩織が目を丸くして質問する。条件反射的に行った行動故に、刃は理由を考えるのに必死だった。
「が、ガキはこういうのやると喜ぶんだろ?ほら」
刃はだいぶ強制的に飴を手渡した。自然と声がうわずる。その間も刃の答えをかみくだくように空に視線をやっていた詩織だったが、急に顔を赤くした。
「ちょっとぉ!私を子供扱いしないでくださいよ!」
「うるさいなぁ!折角やったんだからありがたく食え!」
詩織の怒声にこれまた反射的に怒声で刃は応じてしまった。頬をぷっと膨らませた詩織は
「言われなくても食べますよ!」
と、飴を口に放り込んだ。それから直ぐだった。
「飴が美味しかったので、今回は許します。特別ですよ?」
ころころと変わる態度に、刃は先程まで感じていた危機感を忘れ、またしても呆れることとなった。
「急に上から目線になるんじゃないッ」
刃のツッコミに詩織は吹き出した。別に詩織は心から怒っていたわけではなさそうだ。
ふと詩織は自身の腕時計に、目を落としたと思うと、ギョッと目を見開き、慌てて立ち上がった。
「いけない!私、これからバイトあるんで!……一旦失礼します!」
「……頑張れよ…」
刃のその一言に、勢いそのままにお辞儀をした詩織が、ゆっくりと顔を上げた。
「今……なんて……?」
瞬間的にあった目をそらし、刃は口早に答えた。
「頑張れと言った。一回で聞き取れ」
何故、頑張れ、なんて労いの言葉が出たのかは、刃は自分自身でも確信できなかった。自分の言葉でしゅんとした詩織が、不憫だったからか。それとも。
「あ……ありがとう……ございます…!」
詩織は、ハッと答えた。緊張故か、妙に声が裏返っている。
「礼はいらない、さっさと行け!」
場違いに声を張り上げた詩織に、若干呆れ顔の刃はそう催促した。だが、はい、と応じた詩織の顔には、再び笑顔が咲いていた。
無邪気なその笑みは、刃の頬を自然とほころばせてくれた。だが、それはあの日の少女と重なるようで、またしても刃は、漠然とした切なさを覚えた。
ネクロの血。脳裏にこびりついたそのワードを、口にする事は出来なかった。
ネクロは肉体を持つ故に、生殖活動も可能である。人間の肉を摂取していれば、肉体は永遠に維持される特性上、生殖行動は必要度が低く見積もられる。人間の心を失えば、性欲も気にはならない。が、事情は了解しないものの、人間相手に契りを結ぶネクロも存在し、その間に子、つまりは人間と根黒のハーフをもうける、というも事例も存在する。
「ノウン……どうだった?」
「彼女から感じるネクロの気は僅かだ。恐らくは討伐対象にはならないが、この先どう事が動くかは見当がつかない」
人間とネクロのハーフは、流れる血の割合によって、ネクロとして覚醒するか否かが決まる。当然ながらネクロの血が強ければネクロとなる。が、何かのはずみでネクロの血の割合が増え、ネクロと化する事もある。ノウンの言葉が濁るのは、それへの危惧がある為であった。
「そうか………」
瞳に影を落とす刃に、励ましの文句をノウンはかけなかった。ネクロのハーフに関する過去外人負わせた、刃の消えぬ傷跡を知っているからだ。されば尚更、刃を安心させてやるべき、とノウンは考えない事もないが、されば尚更、言い辛い事でもあった。傷が深すぎるのだ。
当たり前ながらも、深夜の闇に黒いフードは目立つものではない。闇に紛れるという表現がまさに正しいフードの男の前には一体の野良ネクロがいた。同族の匂いを感じたのか、ネクロは警戒する素振りを見せない。
それを良しとした男は野良ネクロの胸部に勢いよく右腕を突っ込んだ。悲鳴を上げるネクロを他所に男はその腕を引き抜いた。その手には野良ネクロの心臓が握られていた。消滅する野良ネクロ。
「へぇ。お前が西園寺にネクロの心臓を捧げてるのか。いかにも悪い奴って見た目じゃないの」
フードの男がその声の方向に振り返る。ちょうど真後ろだ。そこにはスーツ姿の将暉がいた。
左介の調べによると、潜入捜査の将暉以外で西園寺のネクロ研究に加担している者はネクロの心臓を手土産にしている。ネクロの心臓からは新鮮なネクロの血が多く採取できるので、この手の研究にはもってこいの素材だった。
「鈴鹿将暉。私の邪魔をしないで頂きたいものですね」
短く呟いた男は空に跳躍した。闇夜をバックに男がネクロ態『スネジャロク』に変身した。暗いグレーの体色。両肩には、骸骨を想起させるアーマー。新種の死神と説明されても、自然と納得できてしまいそうな姿だ。
そのままの勢いでパンチ一発。将暉は腕でそれを受け止める。
「人間とネクロ。お手て繋いで仲良く解剖ごっこってか?趣味が悪いなぁ!」
押し返す将暉。距離ができれば素早く銃撃。スネジャロクが大きく後退する。
「霊装!」
チャンスと言わんばかりに将暉が霊装する。雅の登場だ。
「気に入らない奴には時間をかけないのが俺の主義でねぇ!」
霊銃のコッキングレバーを引いた雅は、寸暇も置かずトリガーを引いた。ボウガンのような銃から雷弾の一閃が描かれる。目にも留まらぬ速さで迫る銃弾。直撃は免れない。
「フッ、ハアッ!」
スネジャロクが飛び上がる。そして、その両足が一つに重なるかと思うと、蛇の尾の如く長く伸びた。上半身人下半身蛇という特異な形にスネジャロクが変化した。
「何だと?!」
「甘いな………」
スネジャロクが長い尾で、銃弾を弾き返す。振りかぶったバットに当たった野球ボールの如く、反射した銃弾が狂うことなく雅に迫る。
「グハァァァァァァッ!」
着弾。爆炎を上げ、雅が地面に背中を打ち付ける。身動きの取れない雅にスネジャロクが歩み寄る。
「どうしました?その程度では暁を殺すことはできませんよ。敵を取ることもね……」
その挑発的な態度は雅を怒りを渦に引き込んだ。
「黙れ!手前に関係ある話じゃないだろうがよ!」
怒りに突き動かされた雅は霊銃を構え発砲した。しかし、着弾する前にスネジャロクは黒い霧となって消えた。
「暁を倒しなさい………そして、得た力で私を倒してみなさい……」
脳に直接語りかける、そんな声だった。ふつふつと身体を駆け巡る豪炎が将暉の皮膚を翻させる。
「黙れぇぇぇぇぇ!」
空に響いた発砲は何者にも当たらずに消えるだけだった。
『雄々しく目前に立ち塞がった鬼武者は、迷うことなく魔物に刀を振り下ろした。』
その一文まで書き終えた詩織はほっと一息つき、自宅の天井を眺めた。クリーム色の暖色光が視界の中心で照る。その光に照らされる原稿用紙の中では、鬼武者こと暁が熾烈な闘いを広げていた。
暁が彼女にとってのヒーローであること。それは当人に否定されたとしても変わらなかった。銀色の光を宿した刀でネクロを狩るその姿は正しく英雄の二文字で形容するに相応しい。主人公像として新鮮な存在だった。
ただ、暁の存在は創作のための素材だけではなかった。その刀は詩織の窮地を四度も救ってくれたのだ。匠海や高岩を含めるともっと多くなるだろう。暁を見つめる自身の眼差しには徐々に羨望の色が溶け始めているようだった。
「神崎さん……今日も戦ってるのかな……」
再び原稿用紙に目を落とした詩織はふと呟いた。詩織はたとえ暁が戦いの渦中にいたとしても、涼しい顔して戻ってくるような気がしていた。だが、もし怪我の一つでもしているのならば、手当てでもしてやりたいと願う自分を無視できなかった。キャンプ場の奥地で擦り傷を手当してもらった過去を思い出す。もうすっかり傷は癒えていたが、詩織はあの時の恩を忘れたつもりはなかった。勿論、今まで自分を助けてくれたことも。
「なにかできたらいいけどなぁ………」
案を思考するがまるで思いつかない。助けてもらっているだけの自分が虚しくなるだけだった。
バイクのエンジン音を闇夜に響かせ、刃は貨物ターミナルへと突入した。手負いのネクロの逃走先となった貨物ターミナルは時すらも止めているように錯覚させる静寂に包まれている。その静寂は刃の足音も溶かし込んでしまう。
その刹那、金属が刃物か何かで切り裂かれる轟音があたりに突き刺さった。バッと目線を積まれているコンテナに向ける刃。一番上のコンテナが袈裟懸けの切り込みが入っていることに気づいた。それから間を置かず、切られたコンテナの上半分がせり出し、勢いよくこちらに落ちてきたのだ。
「何ッ!」
バク転でコンテナを回避し、着地ついでで跳躍。コンテナの上に飛び乗る。刃の目線の先にはコンテナの下半分から顔を出す鹿のようなネクロの姿があった。両手に七支刀を構えている。
「ベビゾブブジ……ジズベジ……!(霊装武士……死すべし……!)」
不気味に宣言した鹿ネクロが刀を振るう。そして、その刀から紫色の衝撃波が迫る。
「霊装!」
コンテナから跳び上がった刃の姿が暁に変化した。鹿ネクロがいるコンテナ群に着地した暁は放たれた突き攻撃を回避し、ネクロの頭部に拳を一撃打った。コンテナ上での攻防が始まる。後退するがなおも七支刀を振りかざすネクロ。その刀を腕で防御。左手の刀が迫る。ならばと言わんばかりにそれを右肘で受け流す。そして、空いた腹にドロップキックをお見舞い。
ネクロの右手の刀が地面でもあるコンテナに突き刺さる。その無効に据えるネクロが左手の刀を右手で構え直す。
「ウオオオオオオオオ!」
ネクロが叫びこちらに迫る。だが、暁は刺さった刀を引き抜き、ネクロの頭部を切り裂く。天に伸びる角が落ちる。ネクロが走り迫ったゆえに、暁は斬りかかった後に直ぐにネクロの後ろを取ることに成功した。
「そこだッ!」
暁が叫び、七支刀をネクロの背中に突き刺した。貫通した刀先を眺めたネクロはガサガサとしたうめき声を上げる。刀を引き抜いた直後にネクロは爆散した。
「流石だな暁。一筋でいく相手ならこっちも楽だったのによ」
爆発の後、そんな声があたりに響いた。主は自身の後方。振り向いたそこには雅がいた。
「鈴鹿………!」
仮面の下に広がった刃の驚愕を感じ取った将暉は優越感を溶かした笑い声を上げた。
「何故俺に付きまとう?!」
刃が叫んだ。将暉の嘲笑をかき消さんばかりに。返答は直ぐだった。
「それはお前が一番良く解ってるだろうよ!」
銃撃。発砲そのまま雅が暁に迫る。腕で防御する暁。だが、その頃には雅は暁の目前にまで接近していた。
「なっ……!」
「ハァッ!」
電撃を纏ったボディーブロー。大きく後ろに飛ばされる。コンテナ群がなくなった頃には、暁は近くを走行していた貨物列車のコンテナに着地することとなった。
だが、まもなく雅の追撃が。銃弾を回避した暁は一つ前のコンテナに移動した。先程まで居座っていたコンテナに雅が降り立つ。外の白やオレンジの光が風と共に後方へと走り去ってゆく。
「霊装武士でありながら罪なき人々を蹂躙する。そんな奴許しちゃおけないだろぉ!」
雅の霊銃から生えた雷の鞭が牙を剥く。それをロンダートで避ける。手や足が当たる度、茶色いコンテナから金属音が響く。着地とともにバックルから刀を抜刀。追撃の鞭を受け止める。大きく刀を振った故に若干雅が体制を崩す。コンテナが多少軋んだ。
「今だ!」
「てりゃッ!」
ノウンに催促された暁は空中に飛び上がり、一回転。その後に雅目掛け刀を突き刺す。
「そうゆうことねぇ!」
雅はひらりと身をかわした。そして、銃身から伸びる鞭で、暁の首を捉えた。雅の代わりが如く的を失った刀がコンテナに突き刺さる。ここまで数秒しか経過していない。雀の涙程度の時間のうちに、精神を研ぎ澄ました攻防が繰り広げられるのだ。
「ぐっ………こいつ……!」
「そう簡単にいくほど、世の中甘くは出来ちゃいないんだよ!」
苦悶に苛まれる暁に雅が力を加える。そして、暁の背中に雅のアームカッターが深々と食い込む。
「うがァっ!」
暁がしゃがれた悲鳴を上げる。
「先に折るなら首か背中か、どっちがいい?両方一気にいくのもいいぜ?」
雅が不気味な声音で問いかける。雷の鞭で絞められている首が唸る。背中に感じ始めた生ぬるい何かが走る感覚。恐らく出血は免れていないようだ。
だが、暁の闘志は折れてはいなかった。
「不覚っ!」
暁が叫ぶ。何ッ、と呻いた雅を他所に、突き刺さった刀を軸にジャンプする暁。
「うおりゃァァァァァッ!」
腹の底から放たれた絶叫を合図に、暁が炎を纏った回し蹴りを雅にめり込ませる。火花によって一瞬、深夜の闇夜が明るく照らされる。
「うわァァァァァァッ!」
雅が大きく吹き飛ぶ。そして、フェードアウトしていく背景に同化し、彼方へ消えていった。
戦いを終え、なんとか貨物列車から降りた刃が感じたのは背中を突き破るばかりの痛みだった。うめき声を上げ、刃はその場に倒れ込む。多少の土煙が舞った。
「刃、手当用の霊紙を使え」
ノウンのアドバイスを了解した刃は、コートのポケットから緑色の正方形の紙、霊紙を取り出し、深い赤に染まった傷口に貼り付けた。その刹那、霊紙が緑色の光を放ち、消えていった。まるで、蛍の光のような美しさを醸し出していたが、それを味わう余裕が刃にあるはずもなかった。
「出血は収まった筈だ。悪いが痛みは我慢しろ」
ノウンの言葉を横耳に挟み、刃は血を背中につけ空を見上げた。全てを飲み込まんとばかりの果てのない闇が広がる。
「奴は……何故俺を襲うんだ……?」
闇を視界に入れたまま刃は問いかけた。『罪なき人々を蹂躙する。』その言葉が彼の思考を複雑なものとさせているようだった。
「見当もつかんな。何処かで奴の恨みを買ったと考えるのが妥当だ」
ノウンが回答した。しかし、ノウンの意見を刃は納得できなかった。
「恨みを買うようなことはしちゃいない……第一、殺しなんか俺はやっていない」
その文句に刃の不満は堆積していた。ノウンは溜息を吐いて言い放った。
「お前が人間を殺していないのは確定した事実だ。それは認めよう。だが、虚実から構成された恨みというのは理不尽なものなのだよ。人間は勘違いだけで人を信じられなくなるし、殺そうとすることだってある。奴も同じ穴の狢さ。つくづく厄介事に巻き込まれたものだな」
冷たい風が、頬を逆立たせる。背中の痛みは未だに取れない。この痛みがノウンの言う理不尽な恨みなのだろうと、刃は悟った。
貨物ターミナルからやや近い市街地に間隔の安定しない足音が響く。塀にもたれながらも歩く将暉こそがその足音の主だった。
腹が焼けるように痛い。しかし、それ以上に彼の心臓が、魂がうずく。
「暁ぃ………将人の無念は必ず晴らす……貴様の首をもってな……!」
体内に据えた業火を吐き出すかのごとく、将暉は呪詛を漏らした。乱れている呼吸と共に放たれたその言葉は夜の虚空へと消えていった。
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