第十一話 ー決戦の二人ー

 外を見なくとも、音で具合をある程度把握できる、そんな大雨だった。闇夜の黒背景に白い雨の線達が映える。雨が衝突し、飛び散るアスファルトを踏みしめる黒い甲冑が、ネクロに迫っていた。

「やめろ……貴様も同じ力を持っているのに!何故?!」

 完全に腰が抜け、尻もちをつく形で黒い甲冑の戦士を仰ぐネクロが絶叫した。戦士は黙々と歩みを進める。そして、ある程度の所で立ち止まり、ネクロに剣を見せびらかすかの如く構えを取った。中国の銅剣を思わせる剣を両手に持つ戦士は、雄々しいというよりかは禍々しい覇気を放っていた。

「う……うおあぁァァァ!」

 よろよろと立ち上がったネクロは突進をかまし、戦士の腰に取り付いた。だが、膝蹴りによって力なく引き剥がされてしまう。程よい距離ができたのを逃すことなく、黒い戦士は右手の剣でネクロの胸部を突き抜いた。鳴り響く雷鳴と共に煌めくフラッシュが、苦痛に悶えるネクロと無慈悲さと禍々しささを併せ持った戦士の姿を白く輝かせた。

 頭部の、縦長で菱形の発行部分が帯びる黄色い光は、一つ目として機能している。棘の如く、反り立った両肩。背中には、垂れ下がった翼のようにも見える、二帯のマント。黒と赤の体色は、闇の中に浮かぶ鮮血の筋のようで、不気味さを演出していた。

 剣を引き抜かれたネクロは黒い灰となり、雨に流されていった。



 「ようやく現れてくれましたか。暁といい雅といい、霊装武士は誰も彼も厄介なものですね」

事の一部始終を眺めていたフードの男が物陰から姿を現した。黒い戦士が視線を男に合わせる。

「貴様もネクロか……?」

戦士がここに来て、初めて口を開いた。明らかな敵意が含まれた声を受け流しながら

「人間でありながら貴方に話しかける物好きもそうそうは居ませんよ。それは過去に生きる貴方にも分かるはずだ」

と猫なで声気味に挑発した。戦士の敵意が殺意に変わるのも無理はなかったのだろう、戦士は剣を構え

「黙れ……!」

と叫び、剣から黒いエネルギー波を放った。雨を焦がし迫る波。しかし、男はジャンプでそれを回避した。落ちる雨に逆らいながら跳び、回転した男の姿がスネジャロクに変化した。

「フフフフ……アァッ!」

 スネジャロクが空中から放つパンチ。素早い反応を見せた戦士はそれを交わし、剣を振るったが、スネジャロクの顔をたたっ斬ることはなかった。戦士の伸ばした肘を腕で抑えることで、スネジャロクは戦士の可動範囲を狭めたのだ。互いの腕を視界に据えスネジャロクと戦士が睨み合う。

「貴方の欲しているものは解っています。だからこそ邪魔なのです。貴方という存在がね」

 静かな怒りを含んだ声音を言い放ったスネジャロクは、身体から発された闇の中へと消えていく。後に残るのは飛び散る雨の音と、光を反射した白い水の幕だけだった。



「貴方は自身の願いを叶えることはできない。そして、過去に埋葬されるのです」





 

 午前九時頃。いつものようにスーツを着こなした将暉は、西園寺社長からの呼び出しを受けていた。体には出さないように心がけていたが、目上の人物からの唐突なお声がけは、いくつになっても背筋を伸ばされる緊張感を持っていた。

 社長室の西園寺は極めて穏やかな面持ちだった。そして、一息に言い放った。

「鈴鹿君。君を『χトルーパーシステム開発部門特務行動課』から除外します。今までご苦労さまでした」

 『χトルーパーシステム開発部特務行動課』。砕いた言い方をすれば、西園寺コーポレーション内でネクロ研究を行っている部署だ。そして、将暉は研究に必要な資材を集めたり、研究の妨げとなる存在、つまりは霊装武士の監視を行う係に潜入していたのだ。そんな部署及び課をクビになるということは、潜入捜査のピリオドを明示していた。

 それまでの飄々とした表情が一気に愕然に支配される。将暉は自身の皮膚の蠢きでそれを察した。それから彼の脳内で除外理由の詮索が始まった。

 考えられる原因としては、あのフードの男を仕留めきれなかった事だろう。奴が研究に関わっていることは左介から聞いていた。そんな奴が将暉と交戦した後、彼が霊装武士であるとコーポレーションの人間に伝えるなんてことはごく自然なことのように将暉には思えた。

 だが、仮にそうだったとして、そんな状況下で今日までのうのうと生きてこれたのは不自然なようにも思えた。システムの情報を脳に積み込め、なおかつ反抗勢力でもある人物を、こうも長く野放しにするのは如何なものだろうか。頭を支配する疑念は自ずと冷や汗を生み出し、将暉の皮膚を濡らしてくれた。

 「社長。無礼を承知で申しますが、私はこのコーポレーションの最重要機密を垣間見た身です。私が外部にそれを漏らす危険性だって、ある筈でしょう?」

極力、自身の思考の根幹をつかれないように将暉は質問を投げた。乾いた笑い声を上げた後、西園寺は答えた。

「悪戯は時に人を楽しませてくれるものですが、下手な事は考えないほうが君の身の為ですよ」

「身の為、というのは、私を殺すということでしょうか?」

西園寺の言葉を引用し、将暉は再び西園寺に問う。笑みを崩さずに西園寺は応じた。

「叛逆者を死をもって粛清する。それは統率を諦念した愚かな君主がすることです。私は違いますよ。人の上に立つ存在は、誰よりも人に認められる存在であるべきなのです。そんな君主は、命を切り捨てたりはしません。最も平和的かつ、効果的な手で、叛逆者を再び従属させる。それが私のやり方です」

 穏やかでありながらも、人を圧する。独得な眼光

はあまりにも容易に将暉の身体に肌色の斑点を浮かばせてくれる。

「そのお言葉。肝に銘じます」

やっと彼の口からでた文句だった。平生それなりに高いプライドを持っていた将暉にとって、他より高い所で物を見る余裕を崩されたことは屈辱的と考えるのが自然だが、今は屈辱なんて贅沢な感情は未知の威圧感に掻き消されていた。

 にこやかと歪む西園寺の目が、将暉伸びる視界を驚異に染めた。






 どういう風の吹き回しか、その日の喫茶たかいわの来客数は妙に多かった。談笑するものや、料理を食べるものでごった返している客席の雰囲気はどこか異質に感じられる。静かで落ち着けるのが喫茶たかいわの客席だというイメージが、従業員含め、客に浸透しているからだろう。

 だが、高岩は満足感を笑顔で表現し、キッチンでフライパンを振っている。匠海も同様、機嫌よく接客業をこなしていた。

「あ、神崎さん。結構お皿たくさん来るんで頑張ってください!」

奥の方で皿洗いに従事する刃に対して匠海が積み重なった皿を置いた。洗う力が強いからか、無造作に飛び散る水を胸部あたりにもらいながら、わかった、と一言返事を刃は匠海に浴びせた。

 残ったソース類がこびりついた皿に泡だらけのスポンジを擦りつけ、水で洗い流す。そんな動作を無心で繰り返していくうちに、料理を乗せる前に戻ったきれいな皿が彼の傍らに積まれていった。

 綺麗になった皿の置き場所を思い出した刃は、皿を数枚掴み、前かがみの姿勢から背筋を伸ばした。その時だった。背中のあたりから鋭い痛みが突き刺さった。冷や汗が浮かび、鳥肌が凄まじい速さで皮膚を駆け巡る。恐らく、この間雅につけられた背中の傷が痛みだしたのだろう。傷口は霊力で塞がったものの、痛みは未だに消えていなかった。突然の衝撃がその痛みをさらなる苦しみに変えたようで、刃はうめき声を漏らしてしまう。

 だが、痛みは強く、深く、彼を刺激する。その苦痛を代弁するか如く、落とした皿が大きな音とともに四散した。それと同時に刃も力なく倒れ込んでしまった。

 倒れた刃の聴覚は、談笑に紛れる抑えた怪訝な声音を感じ取っていた。無理はないだろう。皿が割れるなんてめったにないことなのだから。

 「神崎さん!大丈夫ですか?!」

詩織が音を聞きつけ刃の肩を持ちつつ問いてきた。

「大丈夫だ!心配するな……」

詩織の腕を雑に振り払い、立ち上がろうとする刃。が、粘着質な苦痛はその度に刃を痛みつける。

「神崎さん!」

匠海もこちらに不安を浮かべ寄ってくる。高岩も心配げにこちらを見ていたが、料理の真っ最中ということもあり、むやみに近づけずもどかしい表情を心配の中に混ぜていた。

「くっ………!」

 痛みは引く気配を示さない。この痛みのように鈴鹿との訳のわからない因縁も続くのかもしれない。少しばかり飛躍した考えだが、それが自身の脳裏をよぎった刃は、静かに震えていた。






 刃が散策に出たのは、時計が三時を周った頃だった。思いに反して消えぬ痛みを慮った高岩の判断で、刃はその日の持ち場を離れることとなった為である。皿を割ってしまった手前、高岩の配慮に対し、頑なに首を横に振り、客足の多い時間帯をキッチンで乗り切ったのが、皿の報いと成れば、と同じ文句を何度もリピートしながらも、刃は徒然な歩を進めていた。痛みが青空に霧散していくのは幸いと捉えるべきだが、かえってそれが刃に申し訳ない心持ちを植え付けていた。傷が痛む様を心配される霊装武士など情けない。自虐が為の刃の見解がそれだった。

 「散歩とは。随分とお気楽なこった」

自販機目当てに、道中の小さな公園に訪れた刃は、あからさまな挑発を受け取った。後ろから迫る挑発に、刃は脊髄反射で振り返る。その木陰に伸びる細身の眼鏡面。それを視認して間もなく、臨戦態勢をとるあたりから、刃の将暉に対する警戒心の如何かが伺えた。

「おいおい…、よしてくれよ。殺す気はあるが、今は戦うつもりで来たんじゃないの」

牙を剥く小動物を諫める様に似た口調でゆったりと将暉は木陰からその身を日向に晒した。天然のベールを剥いでも、張り付いた不敵な笑みはその怪しさを拭う素振りを見せない。

「……なぁ。前に、ネクロの血を持つ人間を救いたいつったよな?」

 その将暉問いかけにより、刃は数か月前の雅との対峙を想起する事となった。詩織の顔もそこにあった。

「どういう風の吹き回しで手前がそんな事言えるようになったは知らないがなぁ、もし俺を殺してそれを救う力を手に入れることができるとしたら、どうするよ?俺と戦う気になるかい?」

「何……?!」

崩れない将暉の笑みが、一瞬鮮明さを失った。刃はその背後に、『あの日』の匂いを、これから起こるやもしれぬ『悲劇』を感じ取っていた。振り向けるはずもない。

「左介から聞いたよ。お前、その手のいざこざで痛い目遭ったらしいな。いいじゃないのよ、リベンジマッチ」

 視線が、あった。死装束の少女の悲しい笑み。黒い甲冑。見慣れた赤い鎧が、その角を地に付す。刃は不可視性の中に、独占された過去を見た。

「刃、挑発に乗るな」

ノウンの言葉が耳朶を打った。その時、無意識の内に握られた自身の拳を見た。殴るときの拳をしていた。

「なーんだ。別に相手になってもよかったけど」

きまり悪く解かれた拳に目を落とし、将暉は気の抜けた感想を放った。

 まぁいいや、とそう間を置かず、将暉は話を切り上げた。

「とりあえず日付が変わる頃、『孤桜村』に来な。ネクロの血を浄化できるアイテムを持ってきてやる」

続いて将暉は随分と淡泊に言い放った。孤桜村。ネクロによる大量虐殺の末廃れた、という遍歴を持つ村だが、何故、そのような場所を指定するのか。刃は将暉の意図をまるで解することができずにいる。

「本当なのか……?」

無理にでも沈黙を破りたい刃は、苦し紛れに疑問句を残した。将暉のペースに乗せられすぎている。その焦りが滲んでいた。

「まぁ、俺を倒さない限りはあげるつもりはないけどね」

刃に向かって歩みを進める片手間に応じた。刃が立つ方向に公園の出口がある為であろうか。しかし、将暉との対談が終わる予感は、少なからず刃を安堵させていた。そんなすれ違いざま、将暉の鋭く重い拳が、刃の腹部に食い込んだ。

「がぁッ……」

短く呻く刃。軟派な態度とは打って変わる、硬い拳だった。

「貴様……何故ッ?!」

「ちょっと殴りたい気分になっちゃったのよ。悪い?」

ノウンの詰問を受け流し、構わずに去る。痛みを抱える刃の予想は、以外にも裏切られた。

「こんな感じだけどさ、俺、結構キレてるのよ。変な事ほざくのもいい加減にしろよ」

去り際の一言は、明らかに敵意を孕んでいた。声音のテイストが先とはまるで違う。そして、あからさまに尖った声の矛先が刃、その人に向いていると確信するのはそう難くは無かった。

 去りゆく足音と拳の明示が重なっていた。






 


 夜の街を風と共に駆け抜ける。街の街灯などの人工的な光が線になって、彼女の視界からフェードアウトしていく。

 速度そのままで走り続ける彼女は、やがてお目当ての人物を視覚した。彼を囲う三体の野良ネクロと共に。

「霊装!」

 叫んだ彼女は跳び上がり、空中で黄色の光を纏う。光は物理的な甲冑と化し、同じタイミングで薙刀のような武器が右手に据えられる形で形成された。

「はぁッ!」

黄色の霊装武士が薙刀を振るう。三体の野良ネクロは揃って斬り裂かれ、仲良く爆散した。

 爆煙の向こうにぐったりと座り込むスーツ姿の男が見えた。腹部は血で赤くベッタリと塗りたくられており、見開かれた目からは生気が感じられなかった。

「間に合わなかったみたいだね………」

彼女は霊装を解き、呟いた。

「謎はそう簡単にわかるものじゃないのよ。次の機会に期待しましょ」

彼女の左耳に付いているアクセサリーがノウンよろしく喋りだし、彼女を慰めた。前髪で両目が隠された女の横顔、と形容できるアクセサリーだった。

「そうだね………でも、なんとしてもボクは本当のことを知らせなくちゃいけない……」

 張り詰めた面持ちで彼女は夜空を見上げた。その闇は彼女が求めている謎の深さを暗示しているようだった。



         





          一年前




 


 

 静まりかえった山道を白いオフロードバイクが走り抜けていく。特徴的なエンジン音を撒き散らしながら静寂を壊していくそれには、将暉が股がっていた。

 遡ること二時間前。霊装武士としてある街で活動していた将暉の元に、故郷の村である孤桜村がネクロの大群に襲われているという知らせが届いたのだ。

 霊装武士や霊道士は本山と呼ばれる本拠地の元に広がる村に暮らしている。彼らの家族や事情があり人間社会で生活するのが困難になったネクロの被害者なども同様に暮らしている。大概の本山が山奥にあるゆえに、任務で送られた街から辿り着くまでにはそれなりに時間を必要とした。

 村にはネクロが近づけないように結界が張られているはずだった。だから、村人がネクロに襲われるなんてことは非常事態の中の非常事態というわけだ。

「みんな……死ぬんじゃないぜ……!」

バイクのスピードメーターの針が右に傾き続けたのは、彼の焦燥感の表れだった。






 将暉が辿り着いた村は彼の知るものとは、遠くかけ離れた有様だった。木造の家屋は無造作に破壊され、火がつけられているものもあった。血溜まりを下敷きにして倒れる村人の死体、死体、死体。臓物や肉をえぐり食われて、原型をとどめていない死体も少なくはない。

「連中………酷いことしてくれやがったな……!」

間に合わなかった後悔とネクロに対する怒りが混じり、呪詛と化していた。

 しかし、一向にネクロに遭遇することがない。警戒と疑念を懐きながらも、将暉は村の広場に足を運んだ。

 「将人!」

広場に見える人影に向かい、将暉は叫んだ。驚愕の声音で。

 鈴鹿将人。将暉の元に弟で、彼と唯一血の繋がった人物だ。霊装武士として死んでいった父、母の代わりに、将暉は将人に愛情を注いだこともあり、彼らには決して断つことのできない絆が生まれていた。

 将人は何者か、恐らくネクロに首を締められている状態だ。いつ首をおられてもおかしくはない。

「将人を離せぇ!」

将暉は叫び、将人の方向へ走り出した。むやみに撃てば将人に当たる可能性も十分に考慮できるので、銃は使えない。

 早く、一秒でも。彼に、将人に触れなければ。助けなければ……

 手をのばす。あと少し。あと少しで届く。

 グギッ、ともゴギッ、ともつかないグロテスクな音が鼓膜を震わせたのは、丁度その時だった。

「え………」

将暉が立ち止まる。その視線の先には、先程とはうって変わって両腕を力なく垂らし、首があらぬ方向に曲がった将人の姿があった。何者かが将人の首の拘束を解き、軽く引き離すと、将人は少し離れたところで倒れた。糸が切れた操り人形のようだった。

「将人!おいっ!しっかりしろ!将人ぉ!」

肩を揺さぶり叫ぶが、返事は返ってこない。何度も、何度も将人の名を叫ぶ。しかし、一向にして状況は変わらない。見開かれた将人の目があるだけだ。

 信じられなかった。将人がこうも酷い仕打ちを受けるなんて。誰だ……誰が殺した………!

 抱いた憎悪に動かされ将暉は目を上げた。そこには勿論、将人を殺した張本人がいた。

「……霊装……武士……?!」

金色の二本の角。自分を見下ろす二つの瞳。揺れる炎のように反り上がった肩。赤いカラーリング。それらの要素から成る洗礼された鬼のような出で立ちからは、ネクロのような禍々しい生物感を感じることができない。

「手前ぇ……いいかげんにしろォッ!」

 霊装武士は人間を護る存在で、将暉の味方だった。味方であるべき存在から裏切られ、弟を殺された怒りは計り知れたものではない。激昂のまま霊装した将暉は、雷をまとった拳で霊装武士を殴りつける。しかし、当たらない。拳が衝突する直前で、霊装武士が消えたのだ。まるで、幻のように。無念は虚空を空振った。

 全てが終わったあと、嘗て村だった何かは死という静寂を纏っていた。将暉の隣には同じく死に取り憑かれた将人があった。目を閉じさせてやった将人の死に顔はつくづく安らかなものだった。それがただただ、悲しかった。怖かった、苦しかった。そんな将人のどうしょうもない絶望はこの死に顔に埋葬された。そして、もう誰もその絶望を知ることはできない。将人自身も。

「………将人。お前の仇は必ず、兄ちゃんがとってやる。だから、もう……苦しまないでくれ……」

 将人の予期することのできない大粒の涙が将人の頬に透明な斑点を生む。最期に将人の無念、怒り、悲しみを聞くことすらできなかった。何か話したかった。笑顔が、見たかった。哀しい願望は熱を持った雫としてこぼれだして視界を歪めた。

 止めることは、出来なかった。






 

 

          現在







 「……んだよ。穴場心霊スポットとか言う割にはお化け出ねぇじゃん」

闇夜に隔離された世界を歩く、三人の大学生のグループのうち、先頭の男がそうぼやいた。

 友達から薦められた心霊スポットは、とある山奥の廃村だった。どういう訳かはわかっていないが、忽然と村人が全員消え、村が廃れたという噂だ。人が住んでいたかどうかも怪しい。

 「心霊スポットなんてそんなもんだよ。どうせ体験談とかは話を盛ってるだけだって」

後ろを歩くキャップ帽の男が先頭をなだめる。だが、彼は納得した面持ちではなかった。

「でも怖いよ。なぁ、もう帰ろうぜ?」

キャップ帽の隣に立つ、眼鏡の男は情けない声で怯えていた。その怯えぶりは他の二人を呆れさせるほどだったが、これ以上居て何かが起きるビジョンが見えないということもあり、眼鏡の提案どおりに引き返すことになった。

 帰路にて、先頭をきっていた男がおもむろに指をある方向に指した。その指先には、いかにもな雰囲気のボロ屋が見えた。

「あそこ雰囲気ヤバくね?ぜってぇなんかあるって」

スマホを取り出した男は、勢いそのままボロ屋の風景をスマホカメラに収めた。二人が後方で見守る中、写真を見つめていた彼だが、突が然、顔を青白く染め、叫んだ。

「やっべぇ。幽霊写真撮れたぞ!」

 何だ何だ、と呟きながら二人が寄ってくる。その写真には、ボロ屋の入り口からこちらを覗き込む白いモヤが写っていた。よく見ると、そのモヤは人型をしている。

「すげぇぞここ!本当に出る場所だ!」

 恐怖より興奮が勝ったのか、夜中であるのにも関わらず、男は叫んだ。それに呼応するように、二人も拍手を贈ってくれた。

 しかし、変だ。二人は手のひらではなく、手の甲を打ち付ける形で拍手をしていたのだ。

「え、お前ら、なにそれ?」

そう問いかけた刹那、二人は口から鮮血を吹き出しながらその場に倒れた。

「えっ!えっ!何だよ?!なんだよコレぇ!!」

息と声とを同時に出し、恐怖する男。その男の耳に甲高い笑い声が届いた。

「ウキェキェキェキェキェッ!」

 恐る恐る振り返る。ちょうど真後ろにある木の幹に、猿のような怪物が座り、こちらを嘲笑していたのだ。

「うわぁァァァァっ!」

再び恐怖する男の前で、猿ネクロは悠長に、手に持っていた短めの筒を口元に持っていった。恐らく吹き矢か何かの類だろう。

 男を嘲笑するかの如く、耳障りな鳴き声を上げた猿ネクロは筒に息を吹き込んだ。

 しかし、死線の動きは目まぐるしかった。今まさに男を殺そうとしていたネクロは、切断音とともに左右で真っ二つに分かたれ爆散したのだ。腰を抜かした男は、炎の中で鬼を思わせる戦士を見た。






 霊装を解いた刃は恐れおののく男に逃げろ、と一言怒鳴った。腰を引きずるように立ち去る男を他所に、刃は辺りを見渡した。風で木の葉が擦れる音がどこまでも響いている。

「しかし、この場所は本当に多くの人々の無念が感じられる。一体何があったのだろうか……?」

 ノウンが疑問句を口にした直後だった。

「そりゃそうだ。だってさ、お前が殺したんだぜ。みんな」

将暉が俯き気味で刃の方向ヘ歩いてきたのだ。都市の光など届く筈もない、鬱蒼な闇に身を染め、眼鏡の奥の瞳が小ぶりな光を浮かべている。

「その手の文句は聞き飽きた!」

沈黙を崩さない刃の代わりにノウンがそう吐き出した。だが、将暉は低めの声で笑うだけだった。

「何が可笑しい……?!」

調子そのままにノウンが問う。笑い終え、大きく息をついた後に将暉は答えた。

「可笑しいのはァ!お前等のほうだろぉ?!散ッ々人をここで殺しておいて、その態度は!どぉかしてるんだよぉ!なぁ?!」

その豹変ぶりは、正直異常だった。今までのような飄々とした余裕を感じることができない。憎悪に彼の人格が乗っ取られたかのようだった。その叫びは、慟哭のようにも聞こえてならない。

「もおね!俺ね、お前等の言い分なんか信じないぜ。お前等がなんて言ったとしても!俺はお前等の首を撃ち抜く!その為に今日まで生きてきたんだからさぁ!」

 将暉が眼鏡を外し、荒々しく投げ捨てる。人ではない。まるで獣だった。これが復讐に突き動かされ続ける男の姿か。それとも、悲哀に心を引き裂かれた人間の末路なのか。

「どうする、刃?」

静寂があまりにも長く感じられた。しかし、刃はゆっくりと、口を開いた。

「来るなら……倒すだけだ!」

「そう来なくっちゃなぁ……」

 刃の答えを聞き、少しばかり落ち着きを取り戻した将暉は、左手を右肩の上あたりへ持ていく。それに便乗するように、刃も右手を天へ挙げ、目前へとそれを降ろした。冷たく、鋭い風が辺りを切り裂いていく。

「霊装!」

「霊装!」

 闇を打ち払わん勢いで廃村の一隅がフラッシュに包まれる。残光の中で、暁と雅。二人の霊装武士が独特なる覇気を持ち、互いを睨み合う。

「ハァッ!」

 雅が発砲。青白い線を描き、銃弾が暁にまっしぐら。腕でそれを受け流しつつ、暁が迫る。

「タァッ!」

暁がジャンプ。空中から放たれるパンチ。しかし、雅のアームドカッターから伸びる電光によって防がれてしまった。吹き飛ぶ暁。たが、ただ吹き飛んだ訳ではなかった。滞空時間を得た暁は体制を立て直し、右足を前に向けた。

「何っ?!」

「イャァァァァァァッ!」

雅の驚愕を意に介さず放たれる炎のキック。大きく後方へと流された雅は手頃にあった木に背中を打ち付ける形で地に落ちた。

 暁がゆっくりと、確実に雅に迫る。

「借りるぞ!左介っ!」

片膝立ちの状態にまでなった雅は、黄色の霊紙を銃口に密着させると、そのままトリガーを引いた。霊紙が光の筋となり、銃弾と共に暁に食らいつく。光は暁の右胸に当たり、派手にな火花となった。

「……まだあるんだよね!」

続いて霊銃のコッキングレバーを引いた雅が雷電閃光射を放つ。同じく食らう暁。間髪入れない射撃。

「くそッ……まるで隙がない……!」

暁が嘆くその瞬間にも雅が空中に電撃を打ち上げる。空中に漂うそれは無数に分裂し、流星の如く降り注いで来るのだ。

「来るぞ!気をつけろ!」

ノウンが絶叫する。しかし、忠告虚しく暁は、爆炎をバックに電撃を数発頂き倒れていくだけだ。

「へへへ……いい様じゃないのよ……なぁ!」

 雅が前傾姿勢で迫る。接近戦を仕掛けるつもりだろうか。暁の予想そのままに、雅はアームドカッターを振り上げる。

「させるかぁッ!」

素早く刀をバックルから取り出した暁は、片膝立ちの姿勢で雅を斬りつける。膝から白煙を吐き後退する雅。立ち上がるついでです距離を詰めた暁が、右腰から左肩にかけて雅を急襲する。流れるような動作で、暁が霞の構えをとる。このまま刀を心臓にでも突き刺せば暁の勝ちだ。

「なッ?!」

雅が死線を察知し、緊迫なる息を漏らす。だが、妙に構えの時間が長い。言うなれば、刺突を躊躇っているように。

「………クソぉッ!」

恨み節と共に、暁は構えを解く。そして、無理矢理に雅を刀で払った。致命傷ではなかった。

「舐ぁめるなぁ!」

 仕留められる状況であったのにも関わらず、止めをささない。そんな暁の行為を俗に言う『舐めプ』と受け止めた雅は激昂し、躊躇うことなく引き金を引いた。連射される凶弾が暁を突き刺す。

「ぐ………ぐほぁぁっ!」

呻く暁。銃弾の嵐の最中、暁は右手に握りしめた霊刀を地へ落としてしまった。数枚の色あせた木の葉が舞い散る。

「変なことしないでさぁ!こうしてればいいんだよォ!」

 絶叫の雅が霊銃のコッキングレバーに手をかける。激しい銃撃にさらされた暁は身動きが取れない。銃口がはっきりと目視できる。狙いは、暁だ。

 バヒュゥゥゥン!

響く銃声。轟く閃光。疾走る狂気。そして嘆き。青白い一撃に右胸を貫かれた暁は崩れるようにその場に倒れた。撃たれた部分を抑え、ビクビクと蠢いている。

 なおも雅はレバーを引きトリガーを押す、という行為を繰り返す。それ即ち、暁が連続で必殺級の攻撃を受け続ける事であった。

「でゃァっ!」

シャキッ、バビュゥゥゥン、デシャャャ……

「ぐはぁァァァ!」

「ウゥあっ!」

ジャキッ、バビュゥゥゥン、ズガァァァン………

「ヌゥあぁァァァ!」

「フゥァァァァァァ!」

ジャギシィ、バビュゥゥゥン、ブフィィィン………

レバーが擦れる音、銃声、着弾音、悲鳴。それだけだった。その度、赤い装甲から火花が吐き出され、無理に闇を払おうとする。しかし、深い夜の侵食は早かった。

 六発目を放とうとしたが最後、銃口から火花と装填されていた雷が暴発。威力の高い技を連続で使用したツケが回ってきたまでの事だった。霊銃の負荷は限界を超え、自壊を余儀なくされた。

 銃の暴発に巻き込まれ後退した雅だったが、太く濃い煙を数束揚げる暁を見るなり、ゆっくりと歩み出した。勿論の静寂。固い足音ですり寄る雅は、その視線を一度も暁から外さなかった。

 抵抗出来なかった。必殺技を連続で受け続け、満身創痍の暁にとっては、膝で立つのがやっとだった。右手で脳天を掴める程に、雅を接近させてしまったのも致し方がなかった。

 「自分が死ぬ姿を見なくて済むんだ。最後の慈悲だよォッ……」

そう吐くと、左腕のアームカッターを暁に見せびらかす。

「何……だと……?」

痛みが疼く暁。固くなった声音からは、怯えの色も混ざっているようだった。

「ありがたく思え!」

雅の叫びと同時に、アームカッターが暁の右目に深く押し付けられた。肉を引き裂く生々しい音と血が、目とカッターの間から溢れ出る。

「ガァァァァァァッ!」

苦悶の絶叫が木霊する。

「ビェハハハハハハハァッ!イョェェェァ!」

それに雅の高笑いとも悲鳴ともつかぬ咆哮が混ざる。あるいは、泣いているようにも。

 勢いをもちアームカッターが引き剥がされる。後退しながらも暁は負傷した右目を抑えている。その手の甲には赤い線が浮かび、地面には血の斑点が積もっていた。痛みに悶え、身体を揺らす暁の前方。そこには跳躍する雅が。

「将人への手向けだァッ!せぇぇぇりゃァァァッ!」

電光を纏った右足による空中回し蹴り。頭部にそれを食らった暁は後方へ大きく吹き飛ばされてしまった。木に背中を打ち付けると同時に霊装が解除される。

 「おい、刃!大丈夫か?!返事をしろ!」

ノウンが必死に叫ぶが、一向に返事はない。呼吸に合わせて胸が動いているので、辛うじて息の根はあるようだ。しかし、いつ止まっても何らおかしい事はない。そんな様子だ。

「やっと……全て終わらァ……」

刃に銃口が向く。無表情な雅の仮面は、暁の死という祝福に悶えている。トリガーは既に指を受け止めていた。  

 その刹那、横ばいから何者かが斬撃を繰り出した。仰反る雅と倒れた刃の間に立つ形で、黄色の霊装武士が臨戦態勢をとった。

「誰だ?!」

雅が声を荒げる。対象的に落ち着いた声でにその霊装武士が答えた。

「桜虎武士、巴。刃をいじめるやつはボクが許さない!」

「巴……まさか?!」

その女性的な声はノウンにとって聞き覚えのある声だった。

 素早い薙刀による突き。再び後ろへ雅が飛ばされる。それを隙とし、巴はぐったりとした刃を抱きかかえると、雅がいる方向に手をかざした。すると、そこに、桜の花吹雪が咲き誇ったのだ。花吹雪に巴と刃が包まれる。そうはさせんとばかりの雅が、力任せに花吹雪を掻き割る。しかし、その奥にいるはずの刃と巴の姿はなかった。






 急な静寂があたりを包み込む。あと少し、あと一撃浴びせられれば、、確実に仕留められた筈だった。その状況で将人の仇をとれなかったことが、彼の中に苦痛を伴う影を落としていた。

「ぅぅぅぅぅうううおおオオォォォぉぉ!」

 その形容し難い痛みは将暉の絶叫として発現した。闇の虚空には、呪怨と共に放たれた銃声がいつまでも、いつまでも、こびりついていた。

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