第二話 ーお前は何者だー

 深夜ニ時程にもなると、人の姿はおろか、生活音すらも感じ取ることができない。夜闇に取り残されるような感覚を覚えつつも、男は一人、バイクを走らせていた。冷たい風が、ヘルメットを撫でるように過ぎ去っていく。

 このホリスシティでは非合法ともいえる残業明けの疲れもあり、男は帰路の長さに少しばかりの絶望を覚えていた。

 予兆は、なかった。突然にして前方を照らすバイクのライトが消えたのだ。

「え……?」

漏れる息とともに放たれたどよめき。しかし、男が呻いた次の瞬間には、再びライトが光を吐き出した。

 そのライトは、道路に直立する女性を照らした。

「うわっ!」

急いでブレーキにしがみつく。こんな所で事故を起こす訳にはいかなかった。

 祈りが届いたのか、バイクは女性の目の前で停止した。ワンピースの白が映える。少しでも遅れていたら、きっと男は轢殺犯のレッテルを貼られることになっただろう。

「あぶねぇじゃねぇか!」

静寂を引き裂かんばかりに男が怒鳴った。だが、女性は動じることはない。ライトを反射させながら立ち尽くしているだけだ。まるで、自分の声が聞こえていないかのように。

 「………肉は入りません……」

「へ……?」

女性が小声で呻いた。反射的に男が疑問句を放つ。

「……私は血だけで、結構です……」

 女性の生気のない目がこちらに向いた。そう感知する暇もなく、女性が蝶を模した異形の怪人に姿を変えた。

「うわぁァァァッ!」

男の絶叫。しかし、気にかけることもなく怪人は男を殴りつけた。バイクから投げ出される男。アスファルトに右半身を打ち付け悶絶する彼を無理矢理立たせた怪人は、口吻に相当する長いストロー状の器官を、男の左肩に打ち付けた。

「がっ!がァァァァァッ!」

ものすごい速さで、自分の体内の血が吸われていることを、男は確かに感じた。冷気が血管を満たしていく。それが、生涯最後の感覚だった。

 目を閉じることすら許されず絶命した男を、怪人は満足そうに眺めた。ストロー状の器官にこびりついた血を拭き取りながら。

 









街の中心部にでかでかと横たわったドーム状の建物。周りは分厚く高い壁で丸く囲まれている。壁はドームよりも高く、何の建物があるのか初見で見破ることは出来なかった。

 『オーダードーム』。西園寺コーポレーションの計画によってできた街『ポリスシティ』を統轄する建物だ。犯罪が起これば直様情報がオーダードームに提供され、事件解決に必要な人材がこれまた早く派遣される。また、街中の監視カメラの映像もこの建物で確認できる。それだけでなく、西園寺コーポレーションの本部オフィスも構えられている。

 社長室。中はやたらと広く何処か薄暗い。灯り自体は有るのだろうが、意図的に電気をつけていないようだった。街を一望できるように窓も広くできていた。

 これまた巨大な机の向こうに社長『西園寺隆祐さいおんじたかすけ』は居座っていた。白髪で顔に皺を戴いているあたり、それなりに年を積んだことが伺える。しかし、眼光は異様な程の輝きを放っていた。彼に眠る野望がその瞳を輝かせているようだった。机を挟んだ手前側にはスーツ姿の眼鏡の男が立っていた。

 「ネクロの登場は今月で五件目か。この街も穢れを背負うことになるとはな」

西園寺は口を開いた。その言葉に男は微笑を浮かべると

「人間自体が穢れていますからね。自然なことでしょう」

と言った。西園寺は重い笑い声を上げた。

「それは、君も同じなのかね?君自身も穢れの存在であるのかね?」

「私もまた人間です。胸の奥には汚い物がしこたま溜まっていますよ」

微笑そのまま男は答えた。声音から自虐が垣間見えた。

 「ネクロと、赤い霊装武士の動向は今後とも君が探ってくれ」

西園寺は窓に視線を移し呟いた。男の承諾する旨の声が耳に入った。

「では社長、失礼します」

男はそう言い踵を返した。

「君の穢れを解き放つ時も、そう遠くはない。その時、君は私に何を見せてくれるのか………私はそれが知りたい」

男の背中へ向かって西園寺は声を放った。男は振り返り、笑みを湛えた。

「それはその時のお楽しみですよ。その方が面白いでしょう」

 男は社長室を去った。最後に見た笑みを西園寺は脳裏に描いた。邪険な笑みだったという感想を抱けた。

「あれが……穢れ………私は大好物だよ………そういうものがね………」

感慨深そうに西園寺は笑みを浮かべた。男が見せたものと同じ、邪険な笑みだった。




 年季が入り色あせた看板。そこには『喫茶たかいわ』と茶色い文字で書かれていた。詩織にとっては第二の家と呼べるほど、世話になっている場所だった。丁度この時間帯の店内は空いていた。

 「あ、詩織さん!いらっしゃい!」

店内に入ると、接客担当が顔を出した。童顔や身体の大きさから少年というのが正しい、そんな彼、『富永匠海』は実際、彼はまだ高校二年生だった。高校では『オカルト同好会』とかいう謎めいた同好会に所属していた。活動がない日は店の手伝いをしているそうだ。

「タクくん!元気にしてた?」

詩織が話しかけるとタクくんこと匠海ははい、と笑顔を浮かべた。

 「おぉ詩織ちゃん。いらっしゃい」

会話を聞いたのか、キッチンから初老の男が顔を出した。

「高岩さん!ご無沙汰してます!」

詩織は、笑顔のままお辞儀した。

 高岩豊。この店のマスターだ。気さくな性格で客からの人気も高い人物だった。匠海の叔父に当たる人物でもあり、早くして両親を亡くした匠海の親代わりでもあった。

 席に座った詩織は匠海に話を切り出した。

「タクくんオカルト的な話詳しいよね?」

質問に匠海はまぁ、そうですけど、と答えた。

「あの、何かさ、人間がいきなり怪物に変身するって話……知ってる?」

匠海は目線を上にあげ考える仕草を見せたが、そのうち口を開いた。

「ええと……狼男……?的な……?」

満月の夜に人間が狼に変身を果たすという話を思い出した詩織は返事を返した。

「多分その時は満月じゃなかったと思うよ。あと、見た目全然狼っぽくなかった」

返答に匠海は困惑したようだった。

「ええ………何だろう………?そういう体のUMA?いや、宇宙人?」

「怪人じゃないのか?」

キッチンから出てきた高岩は右手を高く上げるとイーッ!、とやたら甲高い声を放った。高島は特撮ヲタクだった。

「言われてみれば……それに近かったかも……しれないです」

その言葉の後、匠海は興奮気味で会計レジの辺りを指差した。

「だったら、ヒーローがいなくちゃおかしいでしょ!」

指差した方向、レジの隣にはヒーローのフィギュアが置いてあった。黒と銀と赤と黄色が目立つ。叔父の影響で匠海も特撮の沼に突き落とされていたことを詩織は思い出した。平成初期のヒーローが好きなんだとか。

 例のヒーローフィギュアには似つかないが、詩織の脳裏にもヒロイックな戦士の姿は刻まれていた。

「それっぽいのいたかも!」

その言葉に、高岩と匠海は声を上げた。

「謎が解けたぞ!詩織ちゃんが出くわしたのは紛れもない怪人だ!」

高島が叫ぶ。

「そして、それを倒すヒーローもいる!」

匠海が次いで叫んだ。変身ポーズらしき動作を決めた。やたらと発音の良いComplete。

「もぉ!二人共訳わかんない話しないでくださいよお!」

詩織は頭を抱えて叫んだ。客が見事に自分一人しかいなかったのが幸いだった、と詩織は心の奥底で思った。




 ブルーシートの水色と野次馬の黒や茶の髪の色が視界を占めていた。そんな状況を神崎刃は静観していた。

 ホリスシティの治安の良さは日本随一。そんな街で起きた事件だけあってセンセーショナルな話題に成り上がるのも無理はなかった。

 「噂なんだけど、死体、血が全部抜き取られていたらしいぜ……」

「えぇ………それって吸血鬼的な?」

野次馬たちの会話を逃さなかった刃は

「噂が本当だとしたらネクロの仕業とも考えられるな」

とノウンに話した。

「証拠のないものを信じるのは得策ではないと思うがな」

ノウンは冷たく返した。

「だが、現にこの街にもネクロは複数存在した。連中が殺人事件を起こしてもおかしくはない筈だ」

刃の反論にノウンは

「まぁ……一理あるな」

と答えた。

「いづれにせよ、ネクロは俺が潰す。この事件に関係してようがいまいがな」

にこりともせず刃は言葉を放ち、その場を立ち去った。

あまり焦るなよ、と呟いたノウンの声には耳を傾けなかったが。



 

 大型の複合商業施設の片隅にあるフリースペース。詩織がそこを出る頃には夜の11時を過ぎていた。

 日々を過ごす詩織には、小説家になるという夢があった。その小説を書くため、フリースペースの椅子に座ったのだ。

 だが、詩織は何を書いていいのかわからなかった。どんな話を書こうか、その葛藤にまた、一日を費やしてしまった。やるせない思いを抱いた詩織は駐輪場に歩みを進めた。

 自分の行く手に謎の女が立っているのを視覚したのはその時だった。

 白いワンピースにつばのやたらと広い帽子。その出で立ちはまるで八尺様を思わせてくれた。

 不気味ではあるが気にせず横を通ろうとした時だった。女が詩織の肩を掴んだ。詩織が硬直しているすきに女は詩織の右手を取り、自身の顔に近づけた。右手にはこないだつけられた切り傷があった。

「やっと………見つけた………」

女はうっとりと詩織の手を眺めながら呟いた。この前の経験が蘇った。詩織は、手を振り払い逃げ出した。

 詩織は広場に行き着いた。歩道から数段の下り階段を挟んで存在していた。

 物陰に隠れていたつもりの詩織だったが、何者かに肩を叩かれた。心臓を大きく震わせて振り返ったそこには、先程の女が深い笑みを浮かべていた。

「もう離さないよ………」

詩織の悲鳴を浴びても女は動じない。女がひしひしと詩織との距離を近づけていた刹那、女の横ばいから、何者かが蹴りを当てた。女に立ち塞がった男は………



 刃の視界に映した女は、直様体制を立て直した。

「あなた、私の晩御飯、邪魔するの?」

女は笑みとともに刃に問う。刃はノウンを女に向けた。女にノウンの青白い光が当たる。影は、できなかった。

「それが、俺の仕事だ」

 その返答を聞き終えた女は叫びを上げ、刃に飛びかかる。拳を拳で受け止める。女は間髪入れず攻撃を繰り出す。後退しつつ牽制を加える刃。

 女が蹴りを放った。それを受け止め、女を後ろへ投げ飛ばした。

 階段を飛び越え、歩道まで飛ばされた女。苦悶の表情を浮かべながらも女は叫んだ。

「その子はネクロの血が流れている。私はやっと見つけたのよ!最高の美味を!それを………あなたに邪魔されちゃ気がすまないのよお!」

刃は顔に驚愕の表情を浮かべた。直様『その子』に該当する人物に目を向ける。後ろで座り込み恐怖に苛まれている女は、状況を理解しきれていなかった。

 刃はワンピースの女の方に向き直った。

「よくわからないな。お前の言ってることは」

「そうでしょうね………肥えない舌のあなたには!」

「ただ一つわかる」

刃の言葉は女を疑問に包んだ。

「人間は、お前のくだらないグルメに付き合わされる為にいるわけじゃない!」

その一言は女を紅潮させた。そして、怒りの叫びとともに女の姿は蝶を思わせるクリーチャーに変身した。

「奴はネクロ『バダビリン』。空も飛べるから気をつけろよ」

ノウンの説明を聞き終えた刃は右手を高く掲げ、

「霊装!」

と叫んだ。刃が鎧を纏った『暁』の姿に変身した。

 睨み合う暁とバダビリン。バダビリンが飛び降り暁と同じ土俵に立つ。バダビリンの拳が飛ぶ。それを下から受け流す暁。空いた腹に蹴りをかます。後退するバダビリン。追撃を試みる暁。

 しかし、バダビリンは背中から毒々しい色の翼を広げ、飛び上がる。そして、暁の頭上でかかと落としを放った。一瞬火花を上げ体制を崩す暁。その後ろに回り、左腕全体で灯りの首を絞める。勝ち誇った笑みを木霊させるバダビリン。

「ぐっ………うおァァァッ!」

 暁は腰を九十度折り曲げる。密着していたバダビリンはそのまま重心が前に傾き、慌てふためく。暁は右足のあたりに蹴りを加え、バダビリンを前に振り落とした。地面に倒れ込んだバダビリンに向かって、暁はバックルから生えた霊刀『焔』を取り出し、突き刺した。悶ながらも刀を引っこ抜いたバダビリンは羽を広げ空に舞い上がった。

 「奴、逃げるつもりだぞ!」

ノウンが看破した。

「逃さん!」

刃の叫びとともに刀身が炎を帯びる。刀の先が丁度前方に来るように構えた。霞の構えの様だ。そして、空中へ高く飛びかかった。

「ハァァァァァァァッ、ハァッ!」

 刀がバダビリンの腹部に突き刺さる。炎の刀で相手を突き刺す『烈火獄突』!

バダビリンは闇夜に咲いた炎の中に消えていった。




 例の男は霊装を解き、詩織の元へ近づいてきた。

「あ………あの……」

しどろもどろに声を出した詩織に対して、刃は左腕を詩織の前に出した。般若の面を思わせるブレスレットが巻きつけられていた。

 そして、そのブレスレットから青白い光が放たれた。

眩しさに顔を覆う詩織。やたらと縦に伸びた黒い影が足元に広がった。

「こいつはネクロじゃない。血の話も奴のデタラメかもしれんな」

何処からかそんな声が聴こえた。声の主を探す詩織に、男は

「化け物に喰われたくなかったらさっさと家に帰れ」

とだけ言い、詩織の元を離れた。

 状況が理解できずしばらく立ち往生していた詩織だが、あの人は何者なのか、という疑問に駆られ男の後を追った。

 だが、時すでに遅し。男はバイクにまたがり車道を走り出していた。

 詩織はただ、遠ざかる男の背中を見ながら、自分はどうなってしまうのだろう、という漠然とした不安に苛まれるのだった。







 ベッドに寝そべり、その右親指でスマホをスクロールする。傍から見れば、たいそう不真面目な様であるが、スマホを見つめる匠海の目は、きわめて真剣な光を宿していた。

 怪人を滅した存在。あの場ではおちゃらけていたが、実際の所、詩織の言う『それっぽいの』の文字は、興味の色に占領された響きを以てして、匠海の心にあった。オカルトとヒーロー。造詣が深く、なおかつ愛してやまない二つのジャンルが交錯しているからであろう。他に理由らしい文句もないし、何なら悪い龍でもないので、匠海は、謎の存在に惹かれる理由をそう設定していた。そんなバックボーンを経て、彼は長い間世話になっている、奇怪な体験談を纏めたサイトに着地していた。

 「おっ」

画面をスクロールする手が止まった。理由は無論、詩織の体験談に似た、いわゆる、それっぽい話を見つけたからである。

『謎の戦士』

そのタイトルに、匠海の心は高鳴っていた。


 

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