炎鬼武士 暁

ポチ太郎

第一話 ー炎の鬼ー

 人の魂、闇ありき。

 魂、獣となりて、闇より出づ。

 獣、その身を食らひ心を貪らん。

 光より、その獣穿つ者あり。

 人、『霊装武士』と呼びたり。






 暗闇の中にいた。上下左右何も見えず、方向感覚も、平衡感覚すらも狂わせんとする。視界を墨か何かで塗りたくられるのに近い様相である。

 だが、決して一人ではなかった。何かを感じる。……気配。しかし、人ではなかった。正体は検討もつかないがはっきりと感じる。邪悪な、殺気。

 刹那、何者かは闇の中からこちらへ向かって身体を跳躍させた。長く尖った爪が見えた。人の肉体を引き裂くには都合が良さそうな形状だ。

 爪を振り下ろす。容易に察知できる『死』。

 しかし、爪が肉を裂くよりも早く、何者かの肉体が切断された。火を纏いながら消滅する何者か。広がりきった闇の中で初めて見る光だった。

 炎に照らされる、何者かを切ったであろう戦士の姿を見た。頭部から生えた二本の角。猛る炎を思わせる肩。金色の瞳。

 武士とも思える出で立ちの戦士がこちらを見つめる。そして……

 






「時は、必ず満ちる……」









 次に聴こえたのは、小鳥の囀りだった。自分がベットに横たわっていることから、平田詩織ひらたしおりはさっき起きた出来事が夢だったと理解した。

「……なんか、変なの……」

眠気を引きずる瞳を擦り、詩織はカーテンを開けた。朝日の細い光が、一瞬にして拡散し、細やかな明るさをもたらす。

 着替えを済ませ、買い溜めしていた食パンをトーストに入れる。おかずをどうしようかと思いながら、詩織は時計に目を向けた。まだ出勤時間まで暇は十分にある。

 詩織は図書館勤めだった。市民会館とかいうでかめのホールの隣に位置する、少し小ぢんまりとした図書室だ。家から近いのも利点だが、大好きな本に関わる仕事ができるというのが最大の理由だった。今日はゆっくり行けるだろう、と思った詩織は安心感を手に入れ、冷蔵庫の中にあったハムをつかんだ。



 早朝の街を自転車で駆け抜けていく。静かに射す朝日が心地よかった。早朝特有の爽やかさは、案外心を癒してくれる。

 二十分ほどかければ図書館につくことができた。詩織は西園寺コーポレーションのインフォメーションモニターという自分と同じくらいの背丈のあるモニターを目にし、自転車置き場へと歩みを進めた。

 西園寺コーポレーション。世界的にも有名な日本の企業だった。様々な分野で多大な成果を発揮し、急成長を遂げたのは目にも新しい。この街もコーポレーションの計画によってできた街で、彼らが提供する医療や教育サービスは無償。家賃も安く、果ては就職活動や生活の支援も簡単に受けられる、夢のような街だった。隣の市民会館のインフォメーションにもいくつか西園寺コーポレーションが主催するイベントの告知が張り出されていた。

 『西園寺帝国』と揶揄する者がいるように、日本の行政からは遠く離れた制度で形成されたこの街は、日本でありながら日本から独立、厳密には他の市町村よりも頭一つ抜き出ているという、独特の存在感を放っていた。それ故、国政においてこの街の扱いを取り上げる機会もそう少くはない。そんな状況下においても『帝国』の運営を存続できているのは、住人を満足させられる街の暮らしやすさと、札束で口を封じることができる西園寺コーポレーションの手腕が為せる技であった。

 自転車置き場から出てきた詩織は、図書館の前に立つ男の姿を視界に移した。黒いロングコートを着たその男は詩織の視線に気がついたようで、こちらに目を向けた。

「すみません。図書館は九時から始まるんですよ」

 詩織は男に近づき、そう話した。僅かに眉を動かした男は、少し間を置いてから

「わかった」

と一言応じ図書館とは反対方向へと歩き出した。

 男の様相は風変わりの一言に尽きる。仏僧の法衣に似たデザインのロングコートからは、和風なイメージが思い起こされるが、詩織の周りでそんなコートが平然と着られていた試しはない。まるで、現代に飛び出てきたファンタジー世界の住人のようだった。

 いわゆるコスプレイヤーか。しかしここは小さな図書館、ちょっぴり辺鄙。余りにも場違いがすぎる。じゃあ彼は一体何者?堂々巡りを胸中に収めつつ、詩織は職員玄関から図書館の中に入った。




 「無鉄砲なのは師匠譲りだな刃。時間くらい把握しろ」

ブレスレットから叱咤の声が走った。その声に黒コートの男『神崎刃』は

「うるさい。黙ってろ」

と冷たくあしらった。

 この図書館でネクロの魔念を察知したという報告を受けた刃は、颯爽と参上。しかし図書館のドアは閉められており、待ち続けた挙げ句、営業時間前だったことを告げられた、という次第だ。喋るブレスレットの『ノウン』が怒りを露わにするのも無理はないと刃は思った。

 「今の所、これといった魔念は感じられない。時間を改めるぞ」

ノウンが目を点滅させながら言った。それに応じず刃は歩き続けた。






 「もしもし。……あ、今は休憩時間だから、大丈夫だよ」

仕事中に電話をかけたことを謝罪する友人を諌める声を女性は、自身のスマートフォンに吹き込んだ。その服装から察するに、詩織と同じ図書館に勤務しているのだろう。図書館の裏にあるベンチに腰掛けていた。緑の葉が風で揺らぎ、丸っこい光が瞬く。

「……へぇ!そんな事あったの?……大変だったねぇ……うん、……」

 友人との愚痴話に夢中になっていたのが、命取りだった。彼女は、自身の背後に迫る、得体のしれない殺気に気付けなかったのだ。ひしり、ひしりと迫る何か。彼女は見向きもしない。

「あ、てかさ、私も聞いて欲しい話あんのよ。……あのね、最近、富田って奴がさぁ、仕事戻ってきたんよ。……そうそう。事故にあったさぁ。あいつ、ホントにうざったくてさぁ!あれで死んでくれれば……ッ!」

 突然なる衝撃だった。風の如く、鳥肌が身体を駆け巡る。首を掴まれた。そう知覚する空きも与えず、何者かは彼女の首をを力一杯捩じ切った。

「ちょっと!どうしたの?!」

首を失った彼女の手からスマートフォンがこぼれ落ちる。そこから彼女の友人と思わしき人物の叫びが漏れ出ている。

 そのスマートフォンを脚で押し潰した何者かは、手にした生首に思い切り噛み付いた。生々しい咀嚼音が辺りを汚していく。

「ふふん……美味いじゃん……」

 何者かは悦びに満ちた声を吐き出し、再び生首にかじりつく。カニバリズムを平然と行うそれは、人間の姿をしていなかった。







 仕事が終わる頃には、外は暗闇に覆われていた。この日、詩織は日番という客や職員が一通りいなくなった図書館を点検する係だった。

 日番を終わらせ、図書館から出た詩織が目にしたのは、眼鏡をかけた男の姿だった。

 「あ、詩織ちゃん。日番お疲れ様」

男は笑みを浮かべてそう放った。何処か不気味な笑みだった。

「富田さんもお疲れ様です。どうかしたんですか?図書館も閉まっちゃった時間なのに」

富田。詩織の職場の先輩とも言える人物だった。3週間ほど前、交通事故で意識不明の重体になったという話だったが、奇跡的な復活を遂げ職場に復帰していた。

「実は少し、お腹が空いちゃってね……」

その言葉と共に、風が吹き抜けた。妙に鳥肌を立たせてくれる。気味の悪い感覚が詩織の皮膚に走る。風が止む頃には富田は、詩織の背後に陣取っていた。ギョッとした表情の詩織には意を介さず、彼女の両腕を掴んだ。

「富田さん……?」

かすれる声で、詩織は言葉を絞り出した。背筋に冷たい恐怖感が駆け巡る。

「前々から……君って何だか美味しそうだなって思ってたんだよ。だからさ、この機会に味見させてくんない?駄目?」

その質問には応じず、詩織は富田の腕を無理に振り、払い逃げ出そうとした。

「ちょっと待ってよ……」

 次の瞬間、伸ばした富田の右手が腕から外れ、独りでに飛んできたのだ。ロケットパンチの要領だ。「ひゃっ……!」

防御本能が働き、手で視界を遮った詩織。手にパンチがかする。痛みが走った。詩織の手の甲にはベッタリと自分の血がこびり付いてきた。パンチは律儀に富田の腕にひっ付いた。富田の手にも自分の血が付いていることを詩織は確認できた。

「おおう……今まで飲んだ血の中で一番うめぇや。この調子だと、身体はもっと美味いに違いない!」

こびり付いた血を舐めながら富田が近づく。詩織は腰を抜かしその場に座り込んだまま動けない。

「やめて……来ないで……!」

詩織が叫ぶ。しかし富田は歩みを止めない。

「ごめんね詩織ちゃん。でも、俺もう我慢できねぇや!喰わせてくれよ!」

再び拳を放とうとした刹那。

 「待てッ」

鋭い静止の声が鼓膜を震わせた。声の方向に目を向ける。そこには、朝方見た、黒コートの男が立っていた。




 刃は女性を襲おうとした男にノウンを向けた。ノウンの目が青く輝いた。光に照らされた男の後ろに本来あるはずの影は、できなかった。

「間違いない。奴はネクロだ」

ノウンが報告する。

「なら……始末する!」

刃はそう叫んだ。男『富田』は叫び声を上げ、刃に飛びかかった。最小限の動きで回避した刃は、富田の脇腹に拳を打ち込んだ。距離ができる。間合いを逃さず蹴りを入れる。富田の体が後ろに吹き飛ぶ。富田の背後には市民会館の入り口でもあるガラスドアが控えていた。

 「こいつ……俺の晩飯邪魔しやがってよお!」

富田は両手を前に出す。すると両手から、木の葉が繰り出された。木の葉の群れをジャンプで回避。更に距離を詰め、空中からジャンピングキック。顔面にめり込む。ガラスドアを突き破り、市民会館の中まで飛ばされる富田。刃が近づくと、富田は逃げ出し、近くの広めな、二階ホールに続く階段を駆け上がった。

 「まさか……弟子の方もこんなに強いとはな……流石はジャキョウを討伐した霊装武士だ……」

富田は階段の上からそう叫んだ。

「何が言いたい?」

刃が問いかける。笑い声を上げた富田は

「お前も師匠と同じ、あの世に送ってやるよ!暁の弟子!ええっと、確か名前はァ……」

と首を傾げる。が、そう待たずして思い出したようで、前触れもなく目を見開き、曲げた首を直す。そして

「風間章ァ……!」

富田の顔は愉快な笑みの為に、これまで以上に歪んでいた。刃は挑発的な態度に思わず深い皺を眉間に寄せた。ただの挑発ならまだいい。しかし、看過できない。『風間章』という、響き……

「人違いだよ……」

感情を殺し、極めて冷たく応じたつもりであったが、平然にしては不自然に震える唇から、富田は刃の裏面を察し、饒舌を滑らせた。富田はより、愉快なのである。

「なぁに怒った?怒っちゃったの?!あーららら地雷踏んじまったかな俺ぇっヘヘッ。ごめんちょ、ごめんちょォォ!」

刃は言い返しもせず、やたら汚らしい叫声を浴びることに徹した。一人思慮もなくケタケタ笑う富田の声響は、羞恥も呼び込みかねない虚しさがあった。それに気づいたか、富田は徐々に笑い声を潜めると興ざめと言わんばかりの顔で言い放った。

「なんかつまんなくなっちったな。喰うか」

 富田の身体が、全身に枯れ葉を思わせる意匠をこしらえた異形の怪物へと変化した。むき出しになった歯と白目が見るものに恐怖感を与えた。

「こいつはネクロ『リブーズ』。あの男の生への執着心がうみだしたネクロだ」

ノウンが解説を入れる。リブーズを睨んだ刃は右手を天高く上げ、それを自分の目前にまで下ろし、

「霊装!」

その叫びとともに左手を正拳突きの要領で繰り出した。そして、左手にはめてある指輪『霊装輪』が赤くフラッシュした。刃の身体が光に包まれた。



 何とか動けるようになった詩織は、割れたガラスを避けながら入った。そこで彼女は、市民会館の中で謎の怪人と、全身を鎧に包んだ戦士の対峙を目にした。

 長い角、炎を思わせる赤い体色にアクセントの金色が映える。

 その姿……まるで……

「夢に出てきたのと……同じ………」



 霊装武士『暁』は戦闘体制をとり、天高く跳躍して、階段の上に飛び乗った。リブーズが拳を繰り出した。それを左手で受け止め、押し返す。今度は暁から拳が放たれる。腹に当たった。肉弾戦が続く。互いに慣れた手つきで拳を振るう。暁は腕を振り払った。腕全体に炎を纏っている。炎を帯びた腕がリブーズにヒット。大きく吹き飛ばされたリブースは入口付近に落下した。

 リブーズが放つ木の葉とすれ違う形で階段を飛び降りた暁。起き上がったリブーズと対峙した。暁の腹部のバックルが輝き刀の持ち手が生える。それを抜き取ると、刀全体が現れる。霊刀『焔』。暁専用の武器だ。刀身と持ち手の間の菱形のパーツ、その左右から突起物が展開。そして刀身に炎が宿る。

 「グアアアアアアッ!」

リブーズが叫び声を上げ、手から木の葉の群れを繰り出す。それを刀で切り捨て、リブーズに接近する暁。

「テヤァッ!」

暁が刀を振り下ろす。剣道の胴切りの如く、リブースの腹部が斬り裂かれる。黒ずんだ木の葉が、血しぶきの如く切り口から舞い上がる。

暁、必殺の一撃『烈火一閃斬』!

 リブースは炎に包まれ爆散した。



 戦いの一部始終を詩織は見届けていた。夢に出てきた戦士は自分を守ってくれた。何故、自分は戦士の姿を夢に見たのだろうか?

 疑問は尽きないが、これは今日限りの出来事ではないかもしれない。詩織はそんな予感を感じとった。自身を見据える、戦士の瞳がそう告げている様に思えた。

 だが、混沌なる不安と驚愕は詩織の身体を容易に固着させている。悠々と立ち去る戦士の背中を、追いかけられなかったからだ。




 時は、必ず満ちる……

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