第32話 奈落の王


 ――順調にダンジョンを進んでいくアトラスとアニス。

そして二時間ほどすると、とうとうその扉に行き着く。

「ボス部屋、ですね」

「うん」

 これまで数多くのSランクダンジョンに潜ってきた二人の体感としては、おそらくこのダンジョンはおそらくはSSランクだ。となれば、ボスも当然強敵となる。

 だが、引き返しても出口はない。ボスに挑む以外の選択肢はなかった。

「行こうか」

「はい!」

 二人はゆっくりとボス部屋の扉を開ける。

 ――≪奈落の底≫最奥部。アトラスとアニスがその扉を開けると、待ち構えていたのは、骨格が浮き出てきて鎧になったような竜だった。

 アニスがスキルでボスの名前を確認すると≪奈落の王≫の名前が与えられていた。他のダンジョンでは見られない、ダンジョン固有の≪ユニーク・モンスター≫である。

 ≪奈落の王≫は、その両目でアトラスたちを認めると、低く咆哮して地面を震わせた。

(――Sランクボスとはレベルが違うッ! 間違いなく、SSランクだ!!)

 どおりでダンジョンから生きて帰った者がいないわけだとアトラスは納得した。

「アトラスさん、奥にもう一つ門があります!」

 アニスが≪奈落の王≫の後ろを指差す。確かにそこには門があった。今は閉ざされているが、ボスを倒せば開くはずだ。

「やっぱり、倒すしかないみたいだね」

「はい!」

 アトラスは、アニスが圧倒的なボスを前にしても、周囲を冷静に観察していることに勇気付けられた。二人なら勝てる、そう思えたのだ。

「はぁぁッ!!」

 アトラスは自分から切り込んでいく。すると無防備なアトラスに≪奈落の王≫は、黒い炎を吐き散らかした。炎によって、アトラスのHPはごっそり削られる。だが、その攻撃は倍になって主人の元へと返っていくのだ。

「“倍返し”ッ!!」

 アトラスのスキルによって、獄炎は二倍の威力で≪奈落の王≫に返っていく。

 ――だが、次の瞬間。

 ≪奈落の王≫の体が青白く光り炎を遮った。

「――効かないッ!?」

 アトラスは想定外の展開に驚く。

 ≪奈落の王≫のHPは全く削られていなかった。

「アトラスさん! 相手は≪シールド≫を纏っています!」

 ≪シールド≫は、ある一定以下の攻撃を無効化する防御スキルである。一定以下の攻撃であれば何度受けてもHPが削れることはない。

 ≪シールド≫自体は決して珍しいスキルではない。だが≪奈落の王≫のそれは規格外だ。SSランクボスの二倍の攻撃をもはねかえす≪シールド≫なんてアトラスは聞いたこともなかった。

「これはまずいな……」

 アトラスは、自分がこのボスと相性最悪であることに気が付いた。

 攻撃を通すためには一度≪シールド≫を破る必要があるが、≪奈落の王≫の≪シールド≫の防御力は、≪奈落の王≫の攻撃力の二倍よりも大きい。すなわち“倍返し”で敵の攻撃を二倍にしても≪シールド≫を破ることができるだけの攻撃力を出せないのだ。

「くそッ!!」

 “倍返し”が効かないと見ると、一転してアトラスはディフェンスモードに入る。

 HPが減ったアトラスの代わりに、アニスが前線に入ってきて≪奈落の王≫の注意を引きつける。その間にアトラスはポーションで回復をしつつ、作戦を考える。

 と言っても、彼が取れる作戦は一つしかない。考える余地はなかった

(問題は、それが有効になるまでなんとか持ちこたえられるかだけど――)

 しかし、選択肢がない以上、迷ってもしかたがなかった。

「アニス! 後衛に戻って!」

 アトラスが叫ぶと、アニスは指示通り後方へ下がった。代わりにアトラスが再び前線に出る。

 ≪奈落の王≫は再び炎の広範囲攻撃をアトラスに浴びせてくる。

 アトラスはその攻撃を正面から受け止める。

「――ッ!!」

 その圧力に吹き飛ばされそうになるが、なんとか踏みとどまる。

 そしてアトラスは“倍返し”をあえて封じ込めた。

 実は“倍返し”自体は任意発動で、自分の意思でカウンターを止めておくこともできるのだ。 

 そして業火が止んだ瞬間、後方のアニスに指示を出す。

「とにかく時間を稼ぎたいから、俺のHPが減ったらどんどんヒールを打って!!」

「は、はい!」 

 アニスは言われた通り、アトラスにヒールを打つ。そしてアトラスは、今までとは違って自分から突っ込んで行くことをせず、≪奈落の王≫が動くのを待つ遅滞作戦に切り替えた。

 ≪奈落の王≫はその大きな翼を広げて、それをそのままアトラスに振りかざした。アトラスはかわそうとするが、巻き起こった風圧によってバランスを崩し、そのまま直撃を受ける。

「――ッ!!」

 だが、今度もやはり“倍返し”は使わない。

(いや――本当のところは使えないというのが正しいんだけど――)

 アニスはアトラスのHPが削れたのを見て、すかさずヒールを打つ。

(なんでアトラスさんが“倍返し”を使わないのかわからないけど……でもきっと何かあるはず)

 アニスは、アトラスが無策でただ敗北を待っているとは思わなかった。説明する時間がないだけで、逆転のための何かがあるはずとそう確信していた。

 だから、アニスは指示通りにアトラスにヒールを打ち続ける。

 ――だが、戦いが長期化するにつれて、≪奈落の王≫は「苛立ち」を露わにした。

 鼻息が荒くなり、攻撃にもより力が入る。アトラスが攻撃を受けるたびアニスはヒールをかけて行くが、いよいよMPがなくなってきた。

「アトラスさん! もうMPがッ!!」

 アニスがそう言うと、アトラスは後方にジャンプして≪奈落の王≫と距離を取る。

「ごめん。ポーションで回復するから、少しだけでいいから時間を稼いでくれる?」

 体力が減ったアトラスはそうお願いし、アニスは二つ返事で前線へと飛び出していった。

 ≪奈落の王≫はその鋭い爪でアニスへと襲いかかる。

「はぁぁ!!!」

 渾身の力で刀を振り抜き、≪奈落の王≫の打撃を迎え撃つ。

「――ッ!」

 冒険者として高い力量を持つアニスだったが、さすがにSSランク相手では敵わない。完璧に力負けして、弾き飛ばされてしまう。

 だが、アニスはすぐに立ち上がり、再び立ち向かって行く――しかし、再び弾き飛ばされる。

 そしてアニスのHPは、一気にレッドゾーンに突入する。アトラスほどHPがないアニスは≪奈落の王≫の攻撃を3度耐えることはできない。

 しかも今度は≪奈落の王≫のすぐ近くに叩きつけられたせいで、敵が動き出す前に立ち上がることができなかった。

 怒り狂った≪奈落の王≫の攻撃が迫る。ポーションで回復する時間はなかった。

(――ここまでか)

 アニスは目をつぶり、心の中でそうつぶやいた。不思議と恐怖心はなかった。

(大好きな人と一緒に死ねるなら本望――)

 ――全てがゆっくりに感じられた。

 迫ってくる≪奈落の王≫の鋭い爪も、簡単に避けられそうなほど遅く感じる。だが頭がそう感じているだけで、体を動かそうとしても反応しない。≪奈落の王≫の爪が届くまでに避けることはできないだろうとわかった。

 これは神様が与えてくれた、死ぬ前の時間――

(――アトラスさん、さようなら) 

 そう心の中で告げて。

 この世に悔いはなく――――――――――――――

 だが、次の瞬間。

「――――“倍返し”!!!!」

 響くアトラスの怒号。

 アニスの見る世界は、再びスピードを取り戻す。

 アニスと≪奈落の王≫の間にアトラスは割って入ってきて、そして攻撃を受けたわけでもないのに“倍返し”を使ってみせたのだ。

 ≪奈落の王≫の≪シールド≫がアトラスの倍返しを遮る。しかし、結果は何度やっても同じ――にはならなかった。

「グャァァァッ!!!!」

 アトラスの倍返しの剣は、≪奈落の王≫の結界を粉砕して、初めてその本体に到達したのだ。

「≪シールド≫を破った!?」

 アニスはありえないと思いつつ、好機だと言うことをすぐに理解した。

 ポーションでHPを回復し、再び≪奈落の王≫に斬り込んでいく。今度は結界がないので、ちゃんとダメージが通る。

「ギァアア!!!」

 怒り狂った≪奈落の王≫の刃がアニスに襲いかかるが、それはアトラスが身代わりになって受ける。

 ――再び、倍返し。それが決定打となった。

 シールドに守られている分、≪奈落の王≫の素のHPと防御力はそこまで大きくなかったのだ。

「グァァァァアアアアアアアアアアア!!!!」

 ≪奈落の王≫はひときわ大きな咆哮を上げてから倒れこむ。

 あたりを大きく揺れた。≪奈落の王≫の巨体は、一度倒れると立ち上がるはなく、ボスの間には静けさが残った。

「か、勝った?」

 アニスは目の前の光景が信じられずに思わずそう呟いた。

「うん、勝ったよ」

 アトラスがその事実を確認すると、アニスは思わず彼に抱きついた。

「や、やった! これで帰れるんですね!! 一緒に!」

「う、うん……」

 突然年頃の女の子に抱きつかれて困惑するアトラスは、それまでの勇ましい姿が嘘のように棒立ちになる。と、アニスもハッとしてアトラスから離れる。

「す、すみません」

 顔を赤らめにアニス。

「いや、別にいいんだけど」

 アトラスはうつむいてから、後頭部をかく。

(……むしろ得をした感じだ)

 アトラスは表情に出ないように気を付けながら、心の中でそう呟いた。

「で、でも、なんであの時攻撃を受けていないのに“倍返し”が使えたんですか? しかも結界を破れるほど威力があったのはいったい?」

 アニスは赤くなった顔を誤魔化すようにアトラスに尋ねる。アトラスも話題を見つけることができて一安心だった。

「えっと、それはね……あんまり使わないんだけど、“倍返し”は任意発動なんだよ」

「確かに言われてみれば、トニー隊長の暴発(ぼうはつ)をアトラスさんが体を張って防いでましたもんね。あの時は隊長にダメージはなかったです」

 そのことを理解してくれている人がちゃんといたのかと、アトラスは少し感動する。

 少し気分がよくなり、アトラスは今まで使うことがなかったその技のことを説明した。

「“倍返し”のカウンター攻撃は貯めておけるんだよ。しかも、貯めておくと、“利子”付きで威力が高まる。勝手に“借金返し”って呼んでるんだけど」

「そんなことができたんですね!!」

「でもまぁ、貯めてる間は他の攻撃を受けても倍返しできなくてやられっぱなしになっちゃうから、あんまり使わないんだ。今回はたまたま役に立ってよかった」

 アトラスはそうはにかみながら続ける。

「って言っても、それもアニスがちゃんと時間を稼いでくれたからだね。アニスとじゃなかったら時間を稼げなくて、威力を出せなかったよ。本当にありがとう」

「と、とんでもないです……とにかくアトラスさんに言われた通り、信じてやっただけです」 

「さて、種明かしが終わったところで、早速外に行こう……と言いたいところだけど、MPももうほとんどないし、ちょっと休憩していこうか。ボス部屋なら安全だし」

「はい!」


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