第31話 奈落の底
兄を見送った妹ちゃんは、悩んだ末に≪ホワイト・ナイツ≫のギルドマスターであるエドワードの家を訪れることにした。いくつも修羅場をくぐってきたであろう彼なら、きっと適切に対処してくれるはずだと考えたのだ。妹ちゃんはエドワードと直接面識はなかったが、緊急連絡先として自宅の場所を聞いていた。
兄の力になりたい一心で、エドワードの家の扉を叩く――だが。
エドワードの家にたどり着いた妹ちゃんは、想定外の事実に行き当たる。呼び鈴を鳴らすと、エドワードの奥さんが出てきたが、
「……申し訳ありません。主人は朝まで帰らない予定でして。どこにいるかも聞いていなくて」
エドワードは不在だったのだ。こうなると、どうしようもなかった。妹ちゃんに、他に頼れるような人間はいない。
こうなったら朝まで待つより他なかった。
†
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
――――――――――
どこまでも落ちていく。
心臓を掴み上げられたような、感じたことがない感覚。
アトラスはなすすべなく、ただ衝撃に備える。
そして落ちる先にわずかな光が見えた。
(――――地面!)
そう認識したそのすぐ後、アトラスはそこに激突していた。
「――ぐッ!!」
豊富なHPが一気に削られる。
それから大きなダメージを受けたことによる「仰け反り」でしばらく動けないでいたが、少ししてようやく立ち上がる。
「……とりあえず生きてはいるな」
穴の下がただの地面だったので、なんとか生き残れた。これで槍が敷き詰められていたりしたら、生きては帰れなかったかもしれない。
「しかし、ここは」
アトラスはアニスを抱えたまま、あたりを見渡す。
上を見上げると、元いた場所はあまりに遠過ぎて全く視認できなかった。
(ここから上に戻るってのはできそうにないな)
次に地面と平行方向を見渡す。
あたりは穴の入り口と同じ広さの空間が広がっていた。そして、ちょうどアトラスの体が今向いている方に通路が伸びていた。通路の入口の両端はわずかに明かりが灯されている。
(とりあえずどこかに進むことはできるみたいだな。その先が地上につながっているのかは不明だけど……)
アトラスはとりあえず周囲の状況を確認し終え、これからどうしたものかと考えあぐねていると、アニスが目を覚ました。
「ん、……ここは……」
「大丈夫?」
アトラスが声をかけると、アニスは目を見開いた。
「アトラス……さん?」
少しきょろきょろしてから、アニスは自分がアトラスに抱え込まれていることに気がつく。
「ああ、ごめん、ちょっとこれは訳あって」
アトラスはそう言いながら、アニスをゆっくり地面に下ろした。
アニスは、一体何が起きているのか飲み込めず、目をパチクリさせる。
「ええっと……私、ギルマスとご飯を食べていて……」
アニスはそこから記憶が途切れていることに気が付いた。そんなアニスにアトラスが状況を説明する。
「ごめんね、アニス。俺のせいで君を巻き込んじゃったんだ」
「アトラスさんのせい?」
「クラッブが、俺を誘き出すために君を誘拐したんだ」
そう言われて、アニスはクラッブとご飯を食べているまさにそのときに意識が遠のいたことを思い出す。あれは毒を盛られたのだと気が付いた。
「それで……本当に言いにくいんだけど、ここは≪奈落の底≫なんだ」
「≪奈落の底≫?」
その存在は、もちろんアニスも知っていた。中に入ったものは、誰一人生還していないという場所だ。
「本当にごめん。アニスをこんなことに巻き込んでしまって」
アトラスは自分のいざこざに彼女を巻き込んで、≪奈落の底≫にまで連れてきてしまった申し訳なさで頭がいっぱいだった。けれど、
「アトラスさんは絶対悪くないです。詳しいことはわからないですけど、でも絶対そうです」
アニスは、アトラスが謝ることなど一つもないとそう確信していた。
「それに、アトラスさんがいれば、≪奈落の底≫だろうが別に怖くないです。一緒に外に出ましょう」
「ありがとう。そうだね。今は外に出ることを最優先に考えないと」
幸い、アトラスは冒険道具を一式持っていた。こんなこともあろうかと予備の剣も用意してあった。それを丸腰のアニスに渡す。
「ありがとうございます」
アニスは剣を大事そうに受け取る。
「アトラスさん、体力が削れていますけど、ヒールは後にした方がいいですね。今私のHPは無傷なので、倍返ししてもらうのはもったいないですから」
≪ブラック・バインド≫時代からアトラスの力に気が付いていたアニスは、どうしたら効率よく彼と戦うことができるのかを熟知していた。アトラスは彼女の頼もしさを思い出す。
「ありがとう。じゃぁ、行こうか」
「はい!」
アトラスは不思議と絶望していなかった。誰も生きて帰ってきたことがないという≪奈落の底≫に潜り込んでしまった訳だが、アニスが一緒にいたらなんとかなると思ったのだ。
二人はダンジョンを進んでいく。すると5分ほどで、早速モンスターと出くわした。
「Aランクッ!!」
現れたのは、ミノタウロス。Aランクレベルのモンスター。並みのダンジョンならば、ボスとして出てくるレベルのモンスターだ。
ミノタウロスと通常エンカウントするということは、このダンジョンは最低でもSランク、あるいはSSランクレベルであるということを示していた。
「はぁぁッ!!!」
アニスが突撃を敢行する。アトラスも一瞬遅れてそれに続く。
Aランクのモンスターだが二人の実力を持ってすれば、手こずることもない。ましてここには、邪魔してきたり、自ら地雷を踏みに行ったりする無能な上司はいないのだからなおさらだ。
数分の戦闘でミノタウロスを蹴散らす二人。
「やっぱり、アニスと戦うと気持ちいいな」
アトラスは剣を鞘にしまいながらそう言った。
「そ、そうですか!?」
アニスは大好きなアトラスに急に褒められて肩を震わせた。多分しっぽがあったら、ピンと上を向いていただろう。
「うん。戦いやすい」
「わ、わ、私も……アトラスさんと戦うのは楽しいです」
「また一緒に戦えるといいんだけどね」
アトラスは歩き出しながら、何気なしにそう言った。
「ええ、本当に……早くアトラスさんと一緒に戦いたいです」
アニスはつぶやくようにそう言った。
今のアニスにとって、それが目標だった。
そして、アニスが求めているのは単なる≪同僚≫になることだけじゃなかった。
もっと先も――
けれど、今やアトラスは≪ホワイト・ナイツ≫の隊長。アニスからすれば全く手が届かない存在になってしまった。その距離の遠さを意識すると急に不安になる。アニスは生きるか死ぬかと言うそんなところにいるというのに、それよりもアトラスとの距離が離れていくことに対する恐怖心の方が強くなる。
「あ、あの。アトラスさん」
「ん?」
「新しい職場で……か、彼女はできましたか?」
「……か、彼女!?」
いきなり飛び出してきた言葉に、アトラスはつまずきそうになる。
「で、できないけど……」
アトラスはこういう時に誤魔化すのが苦手だったので、情けないと思いながらも正直にそう告白した。
「……そ、そうなんですか!!」
妙に声が大きくなるアニス。
「う、うん」
(……じゃぁまだチャンスはある!!)
アニスは心の中でそう思って、俄然力が湧いてきた。
一方、アトラスはアニスの気持ちなど知る由もなく、ただ「彼女ができない」と言う情けない自分を恥じるのだった。
(婚活でもしようかな。)
――とても≪奈落の底≫を歩いているとは思えない、妙なテンションで二人はダンジョンを進んでいくのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます