第30話 人質

 

 ≪奈落の底≫と呼ばれる大穴があるダンジョン。

 なんてことない洞窟型のダンジョン。既にダンジョンボスは倒されており、魔物もほとんどいない。だが、その奥には底知れぬ大穴が待ち受けている。

 アトラスは全速力でダンジョンを駆け抜ける。とにかく、アニスを救わなければ。その思いに突き動かされて走り続ける。

 そして30分ほど全速力で暗がりの洞窟を走っていくと、目的の場所にたどり着いた。

 少し坂を降っていった先に、わずかに松明で照らされた場所が見えてくる。

 そこが≪大穴≫と呼ばれる場所だった。家が5つは入るほどの大きな穴がぽっかり空いている。その中は真っ暗で一体どこまで穴が続いているのかわからない。

 そして、穴の手前に一人の男がいた。その顔は、アトラスにも見覚えがあるものだった。

「ぎ、ギルマス!?」

 そこにいたのは、≪ブラック・バインド≫のギルドマスター、クラッブその人だった。

「良くきたな、アトラス」

 笑みを浮かべるクラッブ。

 その足元には手足を縛られたアニスの姿があった。意識を失っているようだ。

「どうしてあなたが」

 アトラスもさすがに彼のことを善人だとは思ってはいなかったが、まさか元部下を誘拐するほど腐っているとは思いもしなかった。

 そんな蛮行に至った理由をクラッブは吐き捨てるように言う。

「なぜ? 簡単だよ。目障りなお前を殺してやるためさ」

 アトラスには、その動機が全く理解できなかった。確かに≪ブラック・バインド≫では、散々無能と罵られていたが、しかし殺されるほどの恨みを買った覚えはなかった。

 だが、クラッブはそうは思っていない。

「お前のせいで、SSランクダンジョン攻略の受注を取り消された。王女様と謀って、俺に恥までかかせたんだ」

「そんな、謀ってなんて……」

 アトラスがそう弁明するが、クラッブは聞く耳を持たない。

「嘘をつけ! じゃなければ、お前が俺に勝てるわけがないだろう!」

 クラッブの中で、アトラスがズルをして決闘に勝ったということは、もはや「事実」になっていた。どんなに無理のある陰謀論であっても、自分に都合がよければ信じてしまうのが弱い人間の常だからだ。

「とにかく、お前さえいなくなれば全て解決なんだよ。だから死んでもらおう」

 と、そう言ってクラッブは足元に転がっていたアニスを持ち上げる。

「さぁ、大穴に飛び込め、アトラス。さもなければ、代わりにこの女を穴に落とすぞ」

 アトラスは頭をフル回転させアニスを助ける方法を考えるが、いい方法が全く思いつかない。

 アトラスの低いステータスでは、どうあがいてもアニスを奪い返すのは不可能。

 しかもアトラスの唯一の必殺技≪倍返し≫は、敵から攻撃を受けなければ無力だ。

「なんだ? 自分からは飛び込めないか? なら仕方がないな」

 そう言い、クラッブは見せつけるように勢いをつけてアニスの体を大穴へと投げ入れた。

 次の瞬間、アトラスは一も二なく地面を蹴っていた。

「――――ッ!!」

 放物線を描いていくアニスの小さな体を追いかけ、その下に入るようにして大穴に飛び込む。

 すんでのところで、アニスの体をキャッチする。

 だが――当然その先に地面はない。重力によって、大穴に吸い込まれていくアトラス。

「ははッ! バカなやつだな!!」

 クラッブの笑い声が大穴にこだましたのだった。



「ふはははッ!! ざまぁみろッ!!」

 奈落の底に吸い込まれていくアトラスを見ながら、クラッブはこの1年間でもっとも大きな笑い声を発した。

 今まで≪奈落の底≫に入って出てきたものはいない。一人の例外もなく行方不明のままだ。

 つまり、アトラスを文字通り闇に葬ることができたということだ。

「これであの無能とはお別れ。王女様も俺たちからダンジョン攻略の仕事を奪ったことを後悔するだろう」

 その実≪ブラック・バインド≫が損ねた信頼は何一つ回復していなかったが、それにも関わらずクラッブはこの上なく上機嫌だった。彼は自分で理解はしていなかったが「Fランクの無能」に決闘で負けたと言う事実が一番堪えていたのだ。だからこそ、その相手が消えたことで自尊心を保つことができるようになったのだ。

 ――なんの証拠もなく、跡形もなくアトラスを始末できた。

 これでまた以前のように、全てがうまくいくはず。クラッブはそう確信するのだった。


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