第26話 王女からのお呼び出し


 土曜日。

 アトラスが≪ブラック・バインド≫に勤めていた時は休日なんてほとんどなかったし、たまの休日になると昼過ぎまで寝ていたものだが、もうそんなことはない。定時帰りで十分睡眠時間をとっているので、休日の朝でも規則正しい時間にスッと起きることができた。

「お兄ちゃん? どこいく、どこいく?」

 アトラスが朝食を食べていると、妹ちゃんがシャツを引っ張ってくる。

 こないだ妹ちゃんと遊びに行けなかった埋め合わせに、今週末デートにいくことになっていた。だが、具体的にどこに行くかは決まっていなかった。

「どこか行きたい場所ある?」

 アトラスが聞くと、妹ちゃんは腰をわずかにふりふりしながら答える。

「別にどこでもいいよ? お兄ちゃんとどっかに行ければ」

(それ、一番困るやつ)

 どこに行ったら妹ちゃんが満足してくれるか、アトラスは無い知恵を絞らないといけない。

(……なんか服でも買ってあげるか)

 そうしてウキウキ顔の妹ちゃんを見ながらアトラスが何をしてあげようかと考え始めた時だ。

「――アトラス殿!」

 外から、聞きなじみのない声が聞こえてくる。

「休日の朝から何でしょう?」

「知らない声だな」

 アトラスは駆け足で玄関まで行って扉を開ける。

「アトラス殿、休日にお邪魔してすみません」

 ドアの向こうから現れたのは赤色の服を身にまとった男。腰には剣を差しているが冒険者ではない――宮廷の近衛騎士だ。

「ど、どうされましたか?」

 突然の訪問者に緊張感が走った。

「王女様がお呼びです。お手数をおかけしますが、お時間を頂戴できませんか?」

(お、王女様が?)

 アトラスは心臓が止まるかと思うほど驚いた。

(王女様といえば、第一王女ルイーズ様。あの方が俺を呼んでいるって……)

 アトラスは思わず振り返って妹ちゃんの方を見た。

「……なんか王女様が呼んでるらしい」

「ええ!?」

 妹ちゃんも声を上げるが、彼女が驚いているのは兄が王女様に呼ばれているという事実にではなかった。

「お兄ちゃん、私とのデートは!?」

「いやいや、そこ!?」


 †


 近衛騎士に案内され馬車で宮廷に向かうアトラス。ちなみに、妹ちゃんは当然のようにお留守番である。

「あの、なんか俺悪いことしたんですかね?」 

 アトラスが恐る恐る聞くと、近衛騎士はすぐに否定した。

「まさか。ただ、ちょっとお願いがあるだけです」

「……お願い?」

「詳しいことは王女様の口から」

 それ以上近衛騎士は何も教えてくれなかった。アトラスは仕方がなく外の景色をじっと見た。

 そして馬車は王宮に入り、ある建物の前にたどり着いた。近衛騎士に促されて降りると、

「あ、アトラスさん、お久しぶりです」

 視線の先にルイーズがいた。アトラスも王女様に呼び出されたとは理解していたつもりだったが、それでもこうして本物が現れると固まってしまう。

「お、王女様……」

 アトラスはかろうじて頭を下げる。

「今日はよくお越しくださいました。その……以前に別荘でお会いして以来ですね」

 王女は少し声を震わせながら言った。

一方、アトラスは王女様が自分のことを覚えていてくれたことに驚く。確かに王女様の別荘に出現したダンジョンを攻略した時に一度だけお話ししたが、まさか自分のことをちゃんと認識していたとは予想もしていなかったのだ。

「まさか私のことを覚えていてくださるとは光栄です」

 アトラスが言うとルイーズは「当然ですッ」と大きな胸を張る。アトラスの視線は思わずその大きさに釘付けになった。

(いかん、バレたら不敬罪で死罪だ……)

 慌ててアトラスは目線を逸らす。王女はアトラスがそんな葛藤をしているなどとはつゆ知らず言葉を続ける。

「あなたほどお強い冒険者を、私は見たことがありません。忘れるなどありえないことです。1日たりとも、あなたのことを忘れたことなどありませんよ」

(ん、なんか、ちょっと言葉がおかしくないか?)

 アトラスは内心で首をひねる。

(なんていうか……まるで恋する乙女のような言葉だ……王室独特の言葉遣いなのかな?)

 だが、アトラスがそんな風に違和感を覚えていることなど、つゆ知らずといった感じでルイーズは本題を切り出す。

「実はですね、今日はアトラスさんにお願いがあるんです」

「お願い、ですか」

「ええ。あなたの力をぜひ証明して欲しいんです」

「私の力を?」

 事情を全く知らないアトラスは突然のことに驚く。

「実は、アトラスさんがまだ≪ブラック・バインド≫に所属していると思って、彼らにSSランクダンジョンの攻略を依頼したのです。そうしたらギルマスのクラッブは、アトラスさんは弱すぎるからクビにしたと、そう言うのです」

(まぁ、クビにされたのは事実だけど……)

 それについてアトラスは全く気にしていないし、否定するつもりも毛頭なかった。

 だが、アトラスがよくてもルイーズはよくないのだ。

「アトラスさんが強いということを、ぜひ≪ブラック・バインド≫のギルマスと決闘して、証明して欲しいのです!」

 自分のあずかり知らぬところで、決闘がセッティングされているらしい。アトラスは、なぜそんなことになるのかとまた首をひねる。

 だが、次の瞬間、そんなことを考えている余裕はなくなった。

「お願いしますッ!! アトラスさん!!」

 ルイーズはグイッと顔を近づけてきて、アトラスの両手をとりそのまま胸に引き寄せるようにぎゅっと握った。

(――ちち、ち、近いッ! あと、胸!!

 アトラスの指がルイーズの巨乳に当たる。

(……不敬罪ッ!! 不敬罪ッ!!)

 そう心の中で連呼するが、アトラスは動揺を抑えきれない。

「もちろん報酬はお支払いします! それにアトラスさんの力を世間に知らしめるいいチャンスになるはずなんです!」

 アトラスは別に報酬も名声も欲していなかったが、美少女に両手を握られながら頼まれては断れるはずもなかった。

「わ、わかりました……」

 アトラスがそう言うと、ルイーズは満面の笑みを浮かべて、アトラスの手をさらに強く握ってぶんぶん振った。

「ありがとうございます!!」

 そんな訳で、なぜかアトラスは元上司と決闘することになったのである。


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