親友との距離感

 カーテンの隙間から漏れる日光。昨日の出来事が嘘のように感じる清々しい朝だ。

 スマホに表示された曜日は日曜日で、時刻は昼の十一時。休みの日はついつい寝過ぎてしまう。自堕落的だが、身体に悪いことに限って快楽を伴うのは否めない。麻薬と同じで中毒性があり、何度でも繰り返してしまうのだ。


「ふぁー……ねむ……」


 睡眠の質が悪かったのか頭がぼーっとして、身体はまだ眠りを求めていた。

 しかし、これ以上眠ってしまうと昼夜逆転の可能性があるため、心を鬼にして乱れたベッドから脱出する。フローリングへ足をつけるとひんやりとした感触が伝わり、真冬の寒さに一気に体温が下がった。布団という温もりの魔力に惹かれそうになったが、何とか我慢する。

 取り敢えず、喉の渇きを潤すために冷蔵庫から冷えたお茶を取り出した。コップに並々注いでは口へと運び、その頃には意識が覚醒して眠気は殆どない。

 今日の予定をなんとなく考えながら、部屋の隅に置かれた彼女のギターを見た。

 俺はこのギターを使ったり、質屋に出そうとは思わず、だからといって放置して埃を積もらす気もない。彼女に突き返すつもりだ。夢を再び追って欲しいし、それが駄目ならギターを趣味として健在させて欲しい。その方がこのギターの物としての本質が喜ぶだろう。


「ん? 誰だ?」


 スーパーで買った安物の茶を堪能しているとピンポーンというチャイムが鳴った。

 突然の来客に心当たりのない俺は不思議に思いつつ「はーい!」と言いながら、無用心で玄関の扉を開けた。


「って満か?」


「どっからどう見てもそうだぜ。暇だったから来てやったんだ……ってなんだ? 寝起きか? 寝ぐせが某ヤサイ人みたいになってるぞ」


「休みだからついな。まあ入れよ」


 はにかんだ笑顔を見せる友人、満を中へと招いた。

 彼は高校生活を鮮やかにしてくれた恩人であり、唯一関係が続いている友人でもある。俺とは違って気さくで明るく、コミュニケーション能力が高い。それ故か、芸人の道を突き進み、俺と同じ夢追い人であった。


「きったねぇ部屋だな。ちゃんと掃除しろよ。これじゃあ彼女なんか一生できないな」


「余計なお世話だ。それより、その手にあるのはなんだ?」


「ああ、近所のチェーン店で買ってきた何の変哲もないドーナツだよ。佐藤の分も一応買ってある」


「どうも」


 佐藤という全国で一番多い苗字は俺の苗字でもあるため、反応してドーナツの礼を言っておく。

 すると俺の事を揶揄って満足したのか、満は部屋の中を漁りだした。プライバシーのへったくれもないだろう。まあ見られて困る物は置いてないので、必死に面白そうな物を探す満を横目に茶を出しておいた。

 図々しい友人を放置し、起きたばかりであった俺はべたついた顔を洗って、軽く口の中を濯ぐ。歯は磨こうかと迷ったが、この後ドーナツを食べるのであれば意味がないと思い、さっさと満の元へ駆けつける。


「ちっ、エロ本ぐらい隠しとけよ。つまんねぇ」


 飽きたのか、それとも何もないと悟ったのか、宝探しを止めた満は愚痴を言いながら勝手にテレビを点けてニュースを見ていた。クッションを枕にして炬燵で暖を取り、自分で買ってきたドーナツを食べ、出された茶を飲み、まるで自分の家のように寛いでいる。

 まあ、今に始めった事ではない。寧ろ、これが俺と満の距離感なのだ。

 昨日の公園の出来事とは違い、いつもの生活がそこにあり、安心感を覚えて満の前に座った。


「おい、佐藤見ろよ。また自殺者だってよ」


 ニュースは『中学生が自殺。いじめが原因か』というテロップを出していた。

 満がまたというように日本は自殺者が多い。ニュースでは報道されないだけで実際は沢山の人が鬱を起こし、自ら命を絶つ。大阪だけでも一日に二、三人は死んでおり、一か月で百人近くだ。世界的に見れば少ないかも知れないが、それでも近年増えているのは事実で社会問題になっている。


「まあ、此処は平和な日本だ。人が死ぬ理由で自殺が上がるのは仕方ないだろう? 殺人事件の方が稀じゃないか? 俺の姉だって自殺だったし、何もおかしくないんだろう……」


 二年前、俺がまだシンガーソングライターの道を目指して間もない頃、姉は亡くなってしまった。死因は首吊りによる窒息死。事件性はなく自殺と判断された。当時の状況からそれは間違いないだろう。しかし、俺は認めたくなかった。

 姉は幼い頃から絵が好きで、よくイラストを描いては家族や友達に自慢していた。それが発展してか、いつしか漫画家を目指すようになり、その夢は叶いつつあったのだ。ファンがそれなりに出来ていて、書いていた漫画はネットで話題になっており、このままいけば夢は夢でなくなっていただろう。

 それなのにどうして自殺した? 俺は現実を受け入れられず、ただ家族を亡くした痛みだけが心に刻まれた。そして、地獄のような苦しみの挙句、答えを出した。


 自殺で亡くなるのは当たり前――


 今や自殺はリーズナブルな死因になりつつある。不慮な交通事故による死や自然の猛威が齎す死と同じだ。自殺は必然であり、何もおかしな死因ではない。


「そんなもんか……」


「そんなもんだ……」


 会話が一区切りすると同時にニュースは次の話題へと移行した。

 そんなテレビを横目に満からドーナツをもらうと齧り、口の中に広がる甘い味を堪能する。俺にとってはこれが朝食、いや昼食だったため食欲が満たされるのを感じた。


「どうして自殺するんだろうな。死ぬなんて怖いし、オレには理解できないよ……」


 まだ話題が続いていたようで、満はどこか遠い目をして言った。

 正直、自殺の話題は姉の事もあり、あまり口にしたくなかった。だけど友人である満の疑問だ。適当にあしらわず、きちんと解決へと導きたいのが俺の性。


「そりゃ現実が辛いから……世界が死にたいほどに苦しいから、あの世の方がマシだと思うから……じゃないか? 満も、なんとなくわかるだろ?」


「あー……」


 思うところがあるのか満はばつが悪そうにして、茶を口に含んだ。

 俺だって同じだ。夢を目指す過程で、努力を惜しまずに邁進して、色んな辛いことがあった。勉強で苦戦したり、ライブを開いて誰も来なかったり、バイトで大失敗をしたり、思い出すだけで辛い。追想すると色んな嫌な出来事が脳裏に過って、身体が僅かによろめいてしまった。


「確かに、いじめの対象になったら死ぬほど苦しいだろうな。オレだって自殺してしまうかも……佐藤の姉は――いや、何でもない」


 野暮だと思い留まったようで満は口を閉ざした。が、もう自殺を話題にしている時点で野暮なのだ。

 今更、姉の事を引きずって、表情を暗くして不貞腐れる訳にもいかず、俺は溜息を吐いた。


「姉が死んだ理由は分からない。だけど、きっと何か辛い事をあったんだろうな……一人で溜め込むタイプの人だったから……」


 いつも明るく自信満々な姉は闇とはかけ離れた存在で自殺とは無縁だと思っていた。けれど、その考えが間違っていたのだろう。

 満はゆっくりと俯くと「そうか……」と言って、黙々とドーナツを食べ始めた。

 この状況は間違っている。満は俺の家に遊びに来たのだ。こんな辛気臭い中、ドーナツを食べるために訪れたのではない。もっと楽しくて建設的な話をするべきだ。

 そう思うのは満も同じだったようで、ドーナツを食べ終えて茶を飲み干すといつもの揶揄うようなジト目を向けてきた。


「話は変わるが、佐藤は最近どうだ?」


「いや、あまり変わりないよ。強いて言えば、勉強によって自分の音楽に対しての知識が深まっているところかな……」


「ふーん……あの高そうなギターはどうしたんだ? まさか買ったのか?」


 昨日、寝る前に磨いておいた彼女のギターはより一層美しくなっている。木目はしっかりと映り、フレットは光で輝いている。最近は弾いていなかったのか、錆び切った弦は新しい弦へ張り替え、その際使用した弦は高級な物だ。機会があれば、彼女に整備代を請求したいところだ。


「いや、買ってない。っていうか高すぎて買えないよ。このギターは……そうだな、昨日の事なんだが――」


 簡潔に説明できず、俺は昨日の事を振り返りながら満に語った。

 変な女性に会った事、その女性は夢を諦めて絶望に染まっていた事、恐らく愛用していたであろうギターを貰った事、全てを聞いた満は何とも言えないような神妙な表情で傾げていた。


「不思議な話だな……その女性に何かあったんだろうな。名前は? 何処に住んでいるんだ?」


「何もわからないよ。ギターは返すつもりなんだけど……」


「なんだそれ」


 拍子抜けしたように満は肩を落とす。

 その気持ちは分かる。俺はこのギターを彼女に突き返すと語ったが、現実的じゃないだろう。何故なら、俺は彼女の住所どころか、名前すら分からないのだ。いつかまた巡り合うと直感という頼りないものが働いているが、所詮は直感だ。何の根拠にもならない。


「でも、そんなギター使うならプロなんじゃないか?」


「俺もそう睨んでいるが、まだ調べていない。有名なギタリストだと分かる筈なんだけど……」


 ある程度音楽に関する知識は得ていると思うが、その中に彼女は存在しない。愛用であろうギターが手元にあるので、それを踏まえてネットで検索すれば出てきそうだ。まあ、プロだった場合の話だが、それをするには時間が掛かるだろうし、満が帰ってからにするべきだろう。

 話はそこで途切れてしまい、丁度良いと思った俺は満に尋ねた。


「そういえば、満は最近どうなんだ? この前、お笑いのオーディションみたいなのを受けるって言ってなかったか?」


「ああ、あれか……あと一歩及ばないかな。でも準優勝みたいなものだし、手ごたえはあった」


「そうか……良かったな。応援しているよ」


 満は笑みを浮かべていた。まるで時期に夢が叶うと信じているようで、俺は羨ましくて心に闇が渦巻くのを感じ、そんな自分に嫌気が差した。

 順調に進んでいる満と比べて俺は停滞している。まだ夢が叶う兆しは見えていない。そう、俺は満に嫉妬しているのだ。友人である満を祝うどころか、嫉妬して疎ましく思っている。


「佐藤……オレに嫉妬しているだろ?」


「な、ななな! し、してないに決まってるだろ! そ、そんな見苦しいこと……」


「あはは! 分かりやすいんだよオマエは! 素直になれよ! 何年一緒にいたと思ってるんだ?」


 図星を突かれて声を荒げる俺を見て、満はにやりと微笑んでいる。


「心配しなくても軽蔑したりしないぞ。立場反対だったら、オレもそうだろうし……なにより手ごたえがあるからって、夢へと一歩進むだけであってまだまだ遠いよ」


「満……」


 友人の鑑と言っても良いほどに聖人のような人柄だろう。順々と宥められた俺は感動から目頭が熱くなり、このままでは涙腺が崩壊してしまいそうになる。本当に俺は良い友達を持った。

 俺はお茶を飲み干して、そっぽを向く。泣いている姿を見られるのはいくら満でも恥ずかしく、それを悟られないための行動だ。

 数秒経って、何とか感慨深い沼から脱出して平静に戻れ、同時に世界が広まるのを感じた。決して部屋が広くなった訳ではないが、心が軽くて物事を俯瞰的に見られそうである。

 だからだろうか? 俺は満が何かを言いたそうにしているのに気が付いた。一見、いつもの満のように見えるが、不自然に視線をきょろきょろとさせている。


「どうしたんだ? 何か言いたい事があるなら言ってみろよ。お前が言ったように、何年一緒にいたと思う」


「あーすごく言いづらいんだけど……オレが手ごたえを感じているのには理由があるんだ」


「理由?」


 普通に考えれば努力だ。しかし、満の真剣な表情を見る限り普通ではない理由。つまりは常識が通用しない、後ろめたい理由があるのだろう。

 一体、何が明かされてしまうのか? 好奇心で脈が速くなり、答えを聞くために耳を研ぎ澄ませた。


「実は……オレが上手くいっているのは宇宙人から助言を貰っているからなんだ」


「は?」


「見た目は犬っぽくて可愛らしい」


「えっと」


「で、そいつはオレの家に住んでいる」


「そうか……」


 宇宙人といえば大きな円らな瞳に、灰色の皮膚。痩せこけた胴体から細長い手足が生え、アンバランスな身体つきで二足歩行をする。人間とは程遠い見た目をしている、通称グレイタイプと言われる宇宙人が一般的だろう。

 で、そんな世間一般の宇宙人のイメージとはかけ離れた、犬のような愛くるしい宇宙人が満の家に来て、満に助言している、と。

 冷静に考えて、そんな訳ないだろう。宇宙人なんていくら何でも非現実的過ぎる。しかし、満の真摯な態度を見る限り、嘘を吐いているように見えない。


「オレの言う事を信じてくれるのか!?」


「ああ、勿論だ。俺たち、友達だろ?」


「ざ、ざどうぅぅ……」


「ざどうって誰だよ……で、何の宗教に入ったんだ? 入るならパスタ教だとあれほど――「絶対信じてないな!?」


 てっきり新手の宗教に入って騙されているのかと思ったが違ったらしい。

 満は目を丸くして「どうせ、誰も信じてくれないんだ……」と不貞腐れたように机に突っ伏した。鼻水が机に垂れて汚い。


「じょ、冗談だから……そうだ! なら精神科に――いたっ! わ、悪かった!」


 炬燵の中から足を蹴られ、結構な本気を感じたので俺は大人しく謝った。が、満の話は信じ難い事に変わりはない。

 と、なれば満は誰かに騙されているのだろうか? 兎に角、詳しく話を聞いてみないと始まらないだろう。

 ――ふむ。暫くして、聞き終えた俺は腕を組んで、頭の中を整理する。結論から言えば、満が語った話はまるでアニメのようだった。

 一週間前、満が自宅で漫才のネタを考えていた時、突如そいつは現れたらしい。幽霊のように何もないところから浮かび上がり、その姿は犬に似ていたというが厳密には犬ではない。何故なら、満が宇宙人と称すだけあり、何でも人間の言葉、それも日本語を話す。いや、テレパシーで伝えてくるらしい。


「その謎の生物から助言を受け取っていると……」


「おう。あまり詳しく話してくれないんだけど、多分宇宙人だと思う」


 実際の謎の生物と暮らしている満だから、宇宙人と疑ってしまう何かがあるのだろう。その理由は気になったが、それ以上に気になる事があった。


「で、そいつの名前はなんだ? 目的は?」


「名前はないらしい。だけど人間からはドリームって呼ばれているらしいからオレもそう呼んでいる。ドリームは何でも夢の世界に住んでいて、その世界を維持するために人間の夢を手伝いに回っているらしいぞ」


「なにその女児向けアニメみたいな設定は……」


 拍子抜けしてしまい、肩を落として溜息を吐いた。


「兎に角、ドリームは信用しない方がいいんじゃないか? 無償で夢を手伝うなんて胡散臭いだろ」


「うーん、悪い奴ではないと思うんだ。ドリームのお陰で確実にお笑いのスキルが伸びているからなぁ。なんというか的確なアドバイスをくれるんだよ」


「……まあ、お前の判断に任せる。何かあったらすぐに言ってくれ。力になるぞ」


「はは、ありがとよ」


 俺がいくら忠告したとしても、最終的な判断は当人である満に委ねられる。だから、あまり強く言おうと思わず、話を切り上げてしまった。

 なんだか胸がざわめくような嫌な予感が過るがきっと気のせいだ。何か遭ったとしても満なら大丈夫だろう。

 その後は普通の友人らしい付き合いをした。ゲームをしたり、雑談をしたり、アニメを見たり、晩御飯を作ったり、幼少期を思い出すほど楽しかった。

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儚い星食 劣白 @Lrete777

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