第二話 彼女は眼鏡の奥から覗き込む
「いや。置いた時でしょお、決まるのはアオイちゃん」
「めくったときだってば」
「そんなはずないでしょ。置いたらもう替えないんだからさ」
それはもう、ずっと昔っから。
それはもう三つか四つ頃からの習慣で、お店の占い師からも常連さんからも「碧ちゃん碧ちゃん」と可愛がられて育ったのだ。
やがて小学校に上がる頃になると生意気になって、いっぱしに他の占い師とカードがどうこう、リーディングがどうこうなんてちょっとした議論を戦わせるほどになって、時には面白いやり取りも出てくる。
当時タロット占い師のこずえ姉さんはショートカットのちょっとコロコロした感じの先生で、よく碧に付き合って話に乗ってくれた。
というより結構本人もマジになって小学生相手に熱くなっていたのだが。
「伏せてあろうが何だろうが、テーブルに置いたらそのカードは決まり。もう何も変わらないでしょお」
「そんなの、わからないじゃん」
「いやもう何が出るかは決まってるのっ」
「きまってないって」
「
「はあ? なに玄さんまで」
横から参戦してきた易者の道玄さんは四柱推命が本分なだけあって割とロジカルな思考の持ち主で、でも玄さんのセリフをよくこずえ姉さんは「煙に巻く」と言って怒っていたのを覚えている。
そんな中で育った碧が自分なりにカードを読み込んで並べるようになったのが小学校の終わり頃だ。
よく鑑定の練習に付き合ってくれたのも、こずえ姉さんだ。
まあその頃の碧はどちらかというと、こずえの大きく開いたTシャツから覗く形の良い胸元が気になり始める年頃でもあったので、彼女が本気で結婚を考えている二人の男性を占って欲しいと相談してきた時には少なからずショックを受けたのも事実で。
練習とはいえ、赤らめた顔を伏せながら真剣に占って。
新進気鋭のIT会社の若い社長のアプローチを、いとも簡単にこずえが蹴ったのは碧の鑑定のおかげだ。
剣の3逆位置と悪魔が出たこの社長を碧は「元カノと別れてないし、こいつ二股かける気だよ、女癖が悪そう」と読んだし、こずえもそれに思い当たる節もあったからだ。
結局その会社は社長が秘書に手を出した一件でコンプライアンスがどうので今は鳴かず飛ばずで傾いたままだ。
当のこずえはもう片方、工場勤めの高校の同級生——こちらは碧のカードで聖杯6と力のアルカナが出た。「幼馴染? 優しくて包容力ある人だね」というのが当時の碧の読みで、そう言われたこずえが納得したように頬を染めて笑ったのを、ちょっと悔しかった彼は今でもはっきりと覚えている——と結婚して、旦那は今は新規プラント開発の主任に抜擢されて忙しくしているらしい。
一児の母になったこずえが久し振りに顔を出して。
すっかり占い師が様になった碧にびっくりして。冗談半分で「じゃあ今日はあたしが占ってあげよっかなあ」と頼まれもしないのに恋愛運など鑑定されたのが二週間ほど前だったろうか。
恋愛の総運は、
金貨1
まあまあのカードだ。こずえの人差し指が、すっとカードに乗って。
「四つの出会いの一つ。堅実でストレスのない出会い。お互いは対等な立場。味方、同僚、そして——」
リーディングする時のこずえの
すっと上目遣いで見返される。
「——クラスメイト?」
「……コールドリーディングは無しです」
「おおっコイツめっちゃ生意気になってるっ。じゃあね、相手はどんな子かなあ」
こずえが地声に戻って、ぺ。ぺ。と二枚。相手に出たのは。
女教皇
のカードだ。対して碧には。
金貨4 逆位置
が出た。
「……ざっこ」「はぁっ?」
「ざっこ。アオイくん。ざっこ」
「なんですかっ。ちゃんと説明しましょうよ。わかるけど」
「じゃあアオイくんなんて読むのコレ」
「……〝勘のいい相手だ、お前の気持ちは隠しきれない〟……ですよね?」
急に表情を崩して。今はちょっとセミロングっぽく伸ばした髪をテーブルに垂らしてこずえが言う。
「えっへへ。相変わらずカードが喋るようなリーディングするね。あたしアオイくんの読み方、大好き」
「あ、ありがと」
「でね、総運が金貨1なのにいきなり金貨4枚なんて持ち過ぎ。相手に気持ち入れ込み過ぎ。そりゃあ隠せないよ、ばれっばれじゃん、ねー」
「そんなコンビネーション読まなくても……」
「やっぱ、ざこー」
「うるさいっ」
「相手の子、じーっと見ちゃってるんじゃないのお? あたしのおっぱいみたいに」
「は? は、は?」「うふふ」
胸元が広く開いたTシャツを前かがみにして。
「今日のブラは黒でーす」
「しっ。知りませんよ」
「アオイくんエッチだからなあ、むっつりだし。視線すぐわかるし。立派に育ってお姉さん嬉しい」
「ううう……」
からかうこずえは楽しそうだ。
「バレないように気をつけようね。無理っぽそうだけど。じゃあ二人のこれからの関係は——お?」
ぺ。と一枚。
そこに出たのは魔術師のカードだ。
◆
碧は高校生なので一日の鑑定は余裕を見て二十時過ぎには切り上げることにしている。
だいたい下校してお店に入る時間が、その日の予約にもよるが十六時から十七時頃で、鑑定の入ってない日は更衣室の脇にある事務机で宿題を済ませていることが多い。
中学までは道玄さんが宿題を見てくれることも多かったが、高校になってからは「さすがに手に負えないなあ」と禿げた頭をぺたぺた叩いて謝るので、かえって碧が畏まってしまって、一人でぼちぼちと励んでいるのだ。
その日は宿題の後に十九時過ぎからの遅い鑑定が一件終わって、やや二十時をオーバーしたのでそろそろ切り上げようとカードをとんとん整理していた。が、その
「あ、あの」「え?」
お客が一人現れた。
伊達メガネの奥から上目で覗くと若い女性で、薄い色のついた大きいサングラスに深く被ったサマーニットのキャップから長い髪を伸ばしている。
まるでお忍びの芸能人のような格好は、でも占いの館では珍しくない。自分の情報を表に出したがらない顧客もいるからだ。
そしてだいたい、そういう客は最初は言葉が少ない。
一言声をかけてから椅子の前に立ったままの彼女に碧が「どうぞ」と促すと、ちょっと
やっぱり視線を合わさない。中学生か高校生なのだろうか?
「は、初めてです」「そうですか」
「どうしたら、いいでしょうか?」
どうしようかと碧の方も考える。
本来、学生の身である彼は鑑定を完全予約制にされていた。
碧曰く彼の予約は〝母親フィルター〟なるものがかけられていて、ネットから飛んできた事前の鑑定依頼から、トラブルにならなそうなものを母親が選別してスケジューリングされている。
ただ時折、空いた時間に
ところが今夜は遅番のアテロナ=ウィッカさんが少し遅れると連絡が入っていたのだ。
二十時台の予約はなかったので、そこは臨機応変に対処するつもりだったのだが。
「本当は、僕はそろそろ上がりです。でもこのまま鑑定進めてもいいです。もう少しお待ちいただけるなら、遅番の占い師さん来られますから、お話が長くなるような内容でしたら、それがいいかもしれません」
鑑定中の碧は、なるべくトーンを落として声を作っている。あまりにも占い師側が若いと敬遠する客もいるからだ。
そもそも〝母親フィルター〟で碧を指名してくる顧客はほぼ全員、彼が高校生であることを知っていて、且つその秘密を守ってくれている相手ばかりだ、これは碧が
目の前の女性もニット帽の奥でちょっと考えている風で。
「あの、あたしはどちらでも……あ」
その時。
テーブルに差し込んだネームプレートに書かれた『MIDORI』の文字に、彼女の視線が留まった。
「MIDORI先生、って云うんですか?」
「え? ええ、はい」
瞬間。ぱっと相手が顔を上げた。
「だったら私、先生に観てもらいたいですっ」
「え? えっと。そうなんですか?」
「はい。これって。きっと何かの……その……」
サングラスの向こうに。彼女の瞳がうっすらと見えて。
「——あの」「はい?」
「
誰? と。
不覚にも碧は完全に固まってしまったのだ。
それが他の誰かだったら。
わずかでも誤魔化す仕草ができたのかもしれない。
だが相手が悪かった。つい。
「
碧は名を呼んでしまったのだ。
薄暗い占い館の
関係のカードは、魔術師。
〝その出会い、お前の技が必要となるだろう〟、と。
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