放課後の占い師

遊眞

§1 放課後はタロットを持って

鑑定1 逃亡者は星を仰ぐ

第一話 碧が喋らない五つの理由

 関野せきの あおいが、クラスで静かにしているのには理由がある。


 彼自身が極めて内気とか会話が苦手とか、そういう内因的な理由ではない。

 他人に対してコンプレックスがあるわけでもない。

 いて言うならちょくちょく中学生に間違えられる程度の、高二の男子にしてはずいぶん小柄な体に若干の引け目がないと言えば嘘になるが、その体格が原因で弄られる、ましていじめを受けている、なんて事実もない。

 性格や環境に問題があるというわけではなく、碧は自主的に。教室で寡黙を貫いているのだ。


 理由はおおまかに分けて五つある。

 第一に。

 碧にはクラスメイトと共有できる話題がない。

 彼はテレビをほとんど見ないしネットや動画も必要以上に閲覧しない。

 だから昨今の流行り廃りも知らない。

 漫画も読まない。アニメも見ていない。

 スポーツもやらない。目立った趣味はない。

 これらは取りも直さず〝たった一つのこと〟に彼の時間をほぼすべて費やしていることの裏返しなのだが、まさかそれをクラスで話題に出すわけにもいかず、結果として誰ともなるべく口を聞かずに過ごしている、というのが一つ目の理由だ。


 だが、その話題を一度だけ。

 碧は口外して〝やらかしてしまった〟ことがある。

 これが第二の理由である。

 時期は中学二年の頃で、たった一度の〝やらかし〟が生徒、教員、保護者父兄まで巻き込んでの大騒動にまで発展したことがある。

 さすがに行政の世話になるような羽目には至らなかったが、ほぼその一歩手前の段階まで話は登ってしまって、結局、彼自身が転校せざるを得なくなった、という程度には大事件であった。

 こういったことに世間の目は思いのほか理解がなく、そして神経質であると子供ながらにいたく身に染みた碧は、その後一切。

 中学を卒業してからも決して問題を起こすまいと心に誓っているのだ。彼に取ってタカコー、ここ高峰たかみね高校は校則も緩く——それは碧のように特殊な事情を持つ高校生が進学先を決める第一条件でもあった——居心地のいい学校なのだ。


 第三の理由。

 碧はクラスメイトと繋がりたくない。

 いわゆるSNSの話だ。碧は級友に携帯を見せたことがない。

 持たないわけでなく、むしろ割と高機能のスマホを所持していてSNSのアカウントもある。連絡先も、家族を抜きにしてもけっこうな数が登録されているのだ。

 だが。これは決して学校ではひらけない。

 誰にも、クラスメイトにも教師にも見せられない。

 万が一にも教師に見られたら、またしても大変なことになる、それこそ中学時代の騒動を再現することになりかねない代物で、そんな危険なスマホを碧は一度も校内で、他人の前でロックを解除したこともない、そもそも電源すら入れていない。

 だったら家に置いてくればいい話だが、学校帰りにどうしても必要なアイテムなのだ。その中にクラスメイトの情報は極力混ぜ込みたくないのだ。


 そして、第四の理由。

 これこそ一番馬鹿馬鹿しい話なのかもしれないが。


 ◆


「ミドリ最近どしたの? つきあい悪くね?」

「そっかなあ」「そーだよ」


 昼休みの教室で。

 窓際のあおいの席から二つ前に、その女子は座って窓の桟に背中を預け、風に薄茶のポニーテールを少し揺らしてスマホを弄っていた。

 そばの机に二人ほど座った女子の問いかけにも、今はあまり興味がなさそうで。

 彼女のフルネームは八津坂やつさか みどりという。

 あおいとは読み仮名の違う同名で、じつはこれが不味かった。

 中学の頃とは比べるべくもない些細な話ではあるのだが、このクラスでの新学期に彼は小さな〝やらかし〟をやってしまっているのであった。


 もともと八津坂は気さくな性格もあって、男女かまわずクラス内での受けも良かった。

 あおいだって彼女のことは嫌いじゃない。

 というかむしろ気になる存在で。

 いつも同じ格好、窓のサッシに寄りかかって少し立て膝でスマホを見る横顔を、外を眺めるふりして見ていられるのはこの席のおかげだ。

 細い後れ毛が窓からの光を吸い込んでふわふわ揺れているのに、たまに見惚れてしまう。二つ前の席の八津坂に、言葉こそ交わさないが目を奪われてしまう瞬間だって、それなりにあったのだ。

 そんな静かな時間を台無しにしたのが、今、彼女のそばに座っている二人のうちの片方、黒髪でおとなしそうな天然の赤那谷あかなや夢美ゆみである。


 ——「ね。ね。八津坂さんて関野くんと漢字おんなじ。ほらっ。こっちミドリでこっちアオイだって。すごいねえ」——


 クラスの名簿から夢美がそんな極めてどうでもいいことをわざわざ見つけて。みどりあおいに悪気もなく。唐突に。振ってきたのだ。

「あ。あはは。ホントだ。だってさ関野くん」とその時の八津坂は今にして思えば社交辞令とはいえ十分にいい笑顔でこちらにボールを投げてくれたのに、あろうことか彼は中学からの癖で。

 いや照れ隠しもあったのかもしれない、が。

「そうなんだ」

 その一言で済ませてしまったのだ。

 しかも窓の外を見ながら。


 思い返せば痛すぎて、髪を掻き毟りたくなるようなあおいの行動は、しかし誤解されたのだろうか。

 同じ名前であるのがそこまで不機嫌になる事実だったことに、女子として相当傷ついたのかどうだかもはや彼には知る由もないが、かくてそれからの八津坂とあおいはクラス内でもまったく口をきかない。

 その彼女がクラスの中心にいるので成り行き彼は、すみっこにいることになった。まあ、都合は良かったのだ。この際、誰に対しても寡黙な性格ということにしておこう、と自分に言い聞かせて。ただ一つ問題があって。——


 手を止めた彼女がちら、と。こちらを見た。目が合う。

 冷めた視線が、正直怖い。

 またすぐスマホを弄り出す彼女を見て、軽くため息を吐いた。

 苦手だ。あれからの八津坂はいつだって睨むような目でこちらを見る。

 自分のせいだが。いや。お前のせいだ赤那谷あかなや。と思う矢先。

 その黒髪天然が八津坂に両手を合わせる。どうやら頼みごとらしい。

「ちょっと帰りバンケードに寄りたくって。ね。どっかな」

「あたし?」「うんうん」

 困ったような顔で八津坂が謝る。

「ごめん。ちょっと無理かも」「えー」

「つき合い悪いのはいいけどさ」

 ふわふわした声で横から言ったのは瀧川たつかわ思凜ことり、彼女の名前を初見で読めたクラスメートは誰もいなかった。

 緩いカールのかかった髪にうっすらと化粧したことりは三人の中でも一番スカートの丈も短く派手めの女子で、だが時々彼女は。

「顔色悪くね?ミドリ悩み事ある?」

「え?」「気のせいならいいけど?」

 鋭いことを言う。ちょっとだけ顔を上げた八津坂が視線をやって。

「そうかな」「うん」

「気のせいだよ」

 また目を戻した彼女に二人の女子が互いに顔を見合わせるのを、ちょっとだけあおいは観察していたのだ。


 確かに八津坂 碧は、最近。

 どことなく様子がおかしい。


 ◆


 そんな寡黙な時間も終わって下校時刻になってバス停まで歩く道すがらスマホの電源だけ入れて何も見ずにポケットに仕舞う。

 ぶーとバイブが震える。一気に着信が入ってくるのだ。

 しばらく歩いて信号の脇で取り出す。メールは三十六件、SNSは五十四件だ。数だけ確認してポケットに戻して信号を渡る。

 中身はバスの中でざっと目を通す。特に急ぎの用はみつからない、家に帰ってからの返信で間に合いそうな内容で。

 次いでSNSを順々に見ていけばポンと一つ。


『既読ついたー』

     『😱こわっ』

     『まだ🚌ですよ』

『①番で入れてまーす😀』

     『はいはい。後でね』

『よろしくー🙏』


 ナルミさんだ。そういえば彼女もそろそろ準備の時間なのだとあおいが思う。

 それとも今日は非番なのだろうか?

 バスに揺られながらカレンダーに目を通す。今日は四件、確かに先頭はナルミと書かれていて、だが備考欄に。

「……まーた書いてる……」

 あおいが呆れるのだ。


 バス停を降りた先のアーケードのある商店街を少し歩いて赤レンガの細いビルに入っていく。

 だがその一階を真っ直ぐ抜けた裏にはさらに、長屋のように他のビルとの隙間が小道になっていて。

 プラスチックの旧くて黄色い天蓋が被った通りに小店の提灯が並ぶ。

 通りに似合っているのか似合わないのかわからないカラフルなケバブ屋の軒先からいい匂いが漂ってくる。店長のお兄さんが手を振った。

「あとで買イに来るノ、びりーちゃん」

「わかんないです。母さんが行くかも」

「はーイ」

 店長の国籍は聞いた事がない。いつもあおいのことは「びりーちゃん」と呼ぶ。

 どうやら緑色ビリジアンと掛けているらしい、碧のイメージはどちらかといえばアクアマリンなのだが、あおいは特に気にしていない。


 さらに古ぼけたビル脇でごそごそポケットから取り出した鍵で開けた勝手口から入る。

 ちょっと湿った通路を歩いた先にアルミ扉があって、中は更衣室だ。

 併設の洗面所で歯を磨き、軽く顔を洗う。かかったタオルでぱんぱんと拭いて。ちゃっちゃっと制服を脱いで「アオイ」とカタカナでネームの書かれたロッカーにブレザーを仕舞う。

 ハンガーにかけた瞬間笑いが出る。ナルミさんのせいだ。

 ジャケットに着替えて袖を捲る。ロッカーの扉に引っ掛けてあった眼鏡は伊達メガネで度は入っていない。

 小さな鏡でちょっと弄って髪を分ける。

 上の棚からポーチを取って。中を確かめる。

「よしっ」

 掛け時計を見た。時間は一番予約の十分ほど前だ。

 廊下に出ると向こうから道玄さんが声をかけてきた。

「お。今から?」

「ですよー。今日は上がりですか?」

 道玄さんは綺麗なスキンヘッドの易者さんで、いっつも作務衣に下駄履きで。

 早々に挨拶を済ませて店に出る。


 あおいボックスにはもう来客があった。

 歳は三十代ほどの女性で、日本人離れした目鼻立ちにくっきり眉を描いた美人で、でも地味な服にいつもはストレートの長髪が今日はたてがみのようだ。

 どうやら非番で当たりらしい。

「はあーい。おっかえりー」

 テーブルの向こうでばっと陽気に両手を広げる。座りしなに開口一番、あおいが文句を言う。

「また書いたでしょナルミさん、なんですか〝制服希望〟って」

「ええええたまにはいいじゃん高校生に観てもらいたいじゃん」

「ダメに決まってるでしょ」

 呆れながらブラックのポーチからあおいがデッキを出す。

 小ぶりなユニバーサルウェイト版のカードだ。

 初心者用と言われることの多いデッキだが、あおいは一番これが読みやすい。

「はい。じゃあお願いします」

「よろしくお願いしまーす。MIDORI先生」

 三十代の成人女性が高校生に頭をさげる。


 関野せきの あおいは放課後。

 占い師をしている。


 ニックネームはMIDORIミドリ。もう昔から慣れ親しんだ名前だ。

 この名前を級友には知られたくない。

 彼がクラスで沈黙を保つ四つ目の理由だ。

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