第36話 香水

 午後五時過ぎに、リムからメッセージが届いた。


『ちょっと黒四丘駅まで来てくれない?』


「黒四丘駅……? わざわざどうして……?」


 黒四丘駅と言えば、俺の家から一番近いダンジョンがある駅だ。直線距離で言うと二十キロくらい離れていて、電車で三十分くらいかかる。


『わかった。すぐ行く』

『理由も訊かずに二つ返事で来てくれるところ、いいね。ありがと』

『理由が気にならないわけじゃないんだけどな。どうしてわざわざそこに呼び出し?』

『ちょっと一緒に見たいものがあってさ。とにかく来てよ』

『了解』


 リムに誘われれば、行かないわけにはいかない。俺は犬である。嘘だけど。……本当に嘘かなぁ?

 買い物に出ている両親に、今日は遅くなるだろうということをメッセージで伝えて家を出る。

 駅まで徒歩五分、そこから電車に三十分ほど揺られて、黒四丘駅に到着。俺の住む県では三番目に人口の多い市になっていて、駅も大きく、周りの開発も進んでいる。

 また、ダンジョン周辺の建物は、堅牢なものが多い。スタンピード現象でモンスターが溢れ出しても大丈夫なようにということだが、いざそういう事態になったら人間の建造物などあまり役には立たない可能性が高い。ダンジョン産の素材を使っているところもあるとはいえ、安心はできない。

 ただ、ここ五年ほどはスタンピードを抑える方法もある程度わかってきたし、ダンジョン周辺は物価や家賃も安い上、国から生活について補助金も出るので、意外と人口が多い。

 また、ダンジョン周辺らしく、町には冒険者が多い。武器の持ち出しは規制されているとはいえ、素でも一般人とは違う雰囲気を醸し出している。

 駅から出て、リムたちの姿を探していると。


「おーい、武ー。こっちこっち」


 リムの声が聞こえた。駅前のコンビニに、リム、双山さん、そして美美華の三人がたむろっていて、こちらに向けて手を振っていた。


「ああ、リム。……相変わらず可愛いな」


 空色の幾何学模様の髪留めに、緩めのグレーのパーカー、デニム地の青のミニスカート。ベージュのカーディガンをたすき掛けにしているのがどこか上級者っぽい。イメージだけど。ファッションとか全然わからないけれど。

 リムの私服姿を見るのは初めてではない。それでも、普段の制服姿とは違う雰囲気に興奮しないでもない。


「こら、出会った瞬間に欲情するなっ」

「リムが可愛すぎるのがいけないんだ」

「……武、いつの間にそんな女ったらしなことを言うようになったんだか……」

「素直に照れてくれてもいいんだぞ?」

「心配しなくても、二人きりだったら抱きついて喜んでるよ」

「……リムはツンデレという言葉を知らないのか?」

「婚約者に向かって今更ツン要素を発揮する理由って何?」

「……それもまた男心をくすぐるものがあるのさ」

「はいはい。じゃあ、また今度ね」


 俺たちのやり取りを、双山さんと美美華が生温かく見守ってくれている。

 双山さんは午前中と同じ薄緑のワンピースだが、美美華は黒系統のシャツとショートパンツでクールな印象。金髪って黒が似合うんだな……。


「宮本君、私には可愛いって言ってくれないんだねー」

「わたしは別に、可愛いとは言われなくてもいいけど……」

「双山さんは、午前中に言いそびれてたか。うん、可愛いと思う。美美華も、クールビューティだなぁ」

「……ま、今はそれで納得しとく」

「……武に褒められるのは、案外嬉しいものだね」


 双山さんがはにかみ、美美華が照れ笑い。うーん、美美華の不慣れな感じがいい……っ。


「他には? 何か気づかない? 特に美美華のこと」


 リムが指摘してくるので、俺は改めて美美華を確認。服装についてはただ可愛いという感想しか出てこないのだが……。


「もうちょっと近づいたらわかるかな?」


 リムが美美華を引っ張り、俺の傍に近づける。

 ふわりと香る、オレンジ系統の香り。


「あ、香水?」

「そうそう。武が無臭だ無臭だって文句ばっかり言うから、美美華にも香水つけてんの」

「なるほど……」

「美美華、めちゃくちゃ可愛いくせに女子女子してないから、こういう爽やかでユニセックスな感じがいいかなって。どう? いいでしょ?」

「……おう」

「香水云々より、ユニセックスのワードに反応するのは止めてくれるかな?」

「ち、違う! 違わないけど、違うことにしておいてくれ!」

「ほーんと、男って何でもエロいことに話を持って行こうとするんだから」

「……逆に問おう。ゆ、ユニセックスと聞いて、リムは何も変な想像をしないのか?」

「え? するけど?」

「するんじゃないか! お互い様だろ!」

「まーねー。ちなみに、あたしはどうよ? ほら、嗅いでみ?」


 リムが首筋を見せつけてくる。全年齢なのにどこか扇状的な姿で、思わず息を飲んだ。その俺を、リムがニヤニヤしながら眺めていたのは言うまでもない。


「ほ、本当に嗅ぐぞ?」

「これくらいで何をそんなに意気込んでるんだか。あたしたち、もっと色々してるじゃん」

「まぁ、そうだが……」


 それとこれとは話が別。

 そう思いながら、俺は鼻先をリムの首筋に近づける。

 

「甘くて……なんか、フルーツっぽい?」

「武はこういうのどう? もっと無難に石鹸とかシャンプーがお好み?」

「いいと思う……。うん、すごくいい」


 思わず深呼吸。リムの香りと香水の香りを胸いっぱいに吸い込んで、トランスしてしまいそうになる。


「……流石に深呼吸されると恥ずかしいね。はい、あたしのは終わり! 次、まどか!」

「あ、うん。私は、流石にこっちで……」


 双山さんが手首を差し出してくる。細い手首がセクシーだな……。軽い興奮を覚えつつ、手首に鼻を近づける。


「……柔らかい、花の香りか……?」

「一応、桜の香りなんだ。本物の桜の香りって、イメージつかないんだけど」

「確かに。でも、いい匂いだ」

「そっか。良かった」


 どれもいい匂いで、非常に良い体験をさせてもらっている。ただ香水を嗅ぐだけじゃなく、女の子についた香水というのがまた格別……。


「おいこら。思考をどんどん変態的にするんじゃない」


 ペコ、と可愛くリムに叩かれて我に返る。


「……男のサガというやつなんだ」

「はいはい。武は本当に恵まれてるよね。こんなに可愛い女の子三人から相手してもらってるんだからさ」

「確かに。きっと今が俺の人生で一番輝いている時間だ」

「ふん。わかってるならよし。ま、香水ってのも色々難しいけどね。つけすぎると単純に臭い。三人が別々のをつけてると匂いが混ざって大変なことにもなる。今日はうすーくつけてるから、そんなにないとは思うけど」

「ああ、うん。特に気にならない」

「なら良かった。……さてと、下着についてはまた後にして、本題に入ろうか?」

「ん? 今、何か気になるワードがあったような……」

「気のせい気のせい。武を呼んだのはさ、皆でダンジョン見に行こうって話になったからなの。すぐ近くだから行ってみよう」

「え? ダンジョンに?」


 ダンジョンの町に来たのだから、ダンジョンを見に行くのは自然な流れ。だが、わざわざどうして?

 不思議に思いながらも、リムに手を引っ張られるままに歩き出すのだった。

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