第29話 青春

 溜まっていた欲望を解放して、俺はひとときの平穏に身を委ねていた。

 ついさっきまで劣情に支配されていたのが嘘のようで、この穏やかな時間がいつまでも続けばいいと……はやっぱり思わないな。うん。俺はまだそこまで枯れた男ではない。むしろ、一度解放したくらいでは容易に衰えない、もっと強靱な欲望を宿した体であれば良かったのに、とさえ思う。


「武も男の子だよねぇ。世界の中心に性欲があるっていうか、下半身が本体っていうか……」


 リムが両手をウェットティッシュで拭きつつ、呆れ顔。


「下半身が本体は言い過ぎだろ。俺だって性欲だけで生きてるわけじゃない」

「どうだか。切り離したら、案外体の方が先に滅びるんじゃない?」

「切り離すとか怖いこと言うなよ……」

「一度やってみない? あたしの知り合いに、スキルで『戻し斬り』ってのを持ってる侍がいるんだけど」

「うぉおおおおい! マジでそういうの止めてくれ! 本当に怖いから! リム、男の気持ちをもう少し理解してくれ!」

「あはっ。大丈夫だって。今時、お金積んだらプリーストが切断された腕くらい治してくれるんだもの。『戻し斬り』に失敗したって問題なし」

「問題ありありだ! リムも、俺と将来結婚するつもりならもっと俺の体を労ってくれ!」

「そうだねぇ。将来の旦那様がそれなしじゃ、寂しいものねぇ」

「そ、そうだぞ。俺にとっても大事なものだが、リムにとっても大事なものなんだ。冗談でもそういう話はするもんじゃない」

「はーい。でも、浮気したらこれが冗談じゃなくなると思ってね? あたし、旦那に尽くせるタイプだけど、嫉妬深いからさ?」

「おう……。浮気をするつもりはないから、安心してくれ」

「ならよし。そろそろ服着よっか。足あげてー」

「一人で着られるっての」

「将来の介護を見越してだよ」

「流石に気が早すぎるだろーよ。……まぁ、いいか。はい。頼む」

「よっしゃー」


 恥ずかしいとは思いながらも、リムに服を着せられる。介護っていうより幼児プレイの印象だったが、口には出さない。

 落ち着いたところで、美美華が呟く。


「今更だけど、二人って本当に婚約してるの? 確かに、クラスでも割と平気で婚約者だのフィアンセだの言ってた気もするけど」

「あたしは本気だよ。二年後には結婚の想定」

「二年後!? え? そ、そうなの? 法律上、できないわけじゃないだろうけど……」


 美美華が俺を見てくる。俺だって、二年後というのは初耳だ。


「リム、俺も初耳は話だが、流石に二年後は早すぎないか?」

「え? 何で?」

「何でって……。リムは立派に働けて、稼ぎもある。でも、俺はまだ本当にただの高校生だ。お金を稼いだことなんてないし、自立とはほど遠い。そんな未熟な段階で、リムと結婚するなんて身の丈にあってないんじゃないかな。指輪さえも買ってあげられない男が結婚なんて……」

「んー、それは心配いらないと思うけどな。あたしの見立てだと、武もすぐにたくさんお金を稼げるようになるよ。それに、精神的な未熟さについていえば、男の人なんてだいたい三十歳くらいまではまだまだ子でしょ。鑑定で精神年齢も見られるけど、十五歳くらいから成長してない成人男性なんていくらでもいる。

 成熟してから結婚するより、結婚して、二人で生活していくうちに一緒に成長すればいいと思う。その方がよほど成長早いよ」

「そ、そうか……。ううん……でも……」

「……武がどうしてもって言うなら、少しは待ってもいいけどさ。でも、何か目安は決めておきたいな。武からしたら、どういう段階に至ったら結婚していいと思える? 結婚してすぐに子供を作ろうって話でもないし、緩めでもいいから目標を決めてよ。そしたら、十八までにそれが達成できるように二人で頑張ろう」

「おう……。リム、頼もしすぎるな」

「ニシシ。嫁にしたくなった?」

「それはもうずっと前から思ってる」

「あら、嬉しい。早くお嫁にしてね?」

「……人前であんまり可愛いこと言うな。人前でできないことをしたくなるだろ」

「あたしはこの二人の前でならしてもいいけどねぇ」


 リムは、本気でこんなことを言っているのだろう。しかし、双山さんと美美華は苦笑するばかり。


「……そんなことされたら流石に退出するよ」

「うん……。何をするつもりかは察するに留めるけど、お邪魔はしないさ」

「武はむしろそれで興奮しそうだけどね。……ま、でも、そろそろ武の家族も帰ってきちゃうね。ご両親の前ではあたしも流石に恥ずかしいし、そろそろお開きかな? あ、それとも、このまま武の部屋でお泊まり会でもする? 武には断る権利なんてないし、快く場所を提供してくれるよ?」


 リムの提案に、二人はまた苦笑。双山さんと美美華が顔を見合わせ、肩をすくめた。


「すごく楽しそうだけど、するときは事前にちゃんと準備したいな」

「うん。そうだね。あ、そうだ。もし皆の親が許すなら、心おきなく遊べるホテルとかでお泊まり会をしない? わたし、使い道のないお金もたくさん持ってるし、そこそこいい場所を確保することくらいできるよ?」


 美美華の提案に、今度は俺たち三人が顔を見合わせる。


「あー、俺としてはそれもすごく魅力的な話だが、友達に全部奢られるのもな……」

「あたしは自分の分は自分で出す」

「私も、奢られるのは気が引けるなぁ。友達とは対等でいたいし。けど、お金の手持ちはあんまり……」

「そっか……。ん……? でも、そういえば、忘れかけてた本題なんだけどさ」


 美美華が『本題』と口にして、他の三人は首を傾げる。


「……一応、わたし、双山さんにそのスキルで助けてもらえたらいいなって思って、話しかけたんだけど……」

「あ、そうだった。茨園さんのサポートができるなら、喜んでするよ」

「そっか。ありがとう。なら、双山さんをサポーターとしてきちんと雇うよ。適正価格でさ。そしたら、双山さんにもお金はできるでしょ?」

「ああ、うん。そういうお金なら、いいかな」

「うん。あとさ、武」

「うん? なんだ?」

「わたし、武のスキルにちゃんとお金払うよ。エステだとか整体だとかだって、きちんとお金を払って受けるものだろ? なら、わたしは武にお金を払う。そしたら、武もお金ができる」

「ええ? でも、いいのか? 俺なんて、ただスキルを使ってるだけで……」


 戸惑う俺に、リムが指摘。


「それを言うなら、あたしの『鑑定』だってそうだよ。ただ表示される文字を読むだけでお金がっぽり。スキルで稼ぐってそういうことだから、遠慮しないでいいよ。……ってか、そういう話なら、あたしも武にお金払わないと」

「そうだよね……。私も、友情に甘えずに、ちゃんとお金を払わないと……」

「ええ? 三人とも、俺にお金を払うの? なんか、気が引けちゃうなぁ……」


 婚約者や友達にお金をもらうべきではないという気もする。しかし、労働に見合った対価をきちんと徴収してこその対等な人間関係だとも思う。

 どっちが正解なんだろうか……。

 首を傾げる俺を、美美華が諭してくる。


「武は自信を持ってお金を稼ぎなよ。平良さんが、武はお金を稼ぐだろうって言ってたのも、こういうことだよ。人に欲しがっているものをあげられたら、その見返りはもらっていいんだ」

「……そっか。なら、そういうことにしておこうかな」

「ん。これでお金の問題は解決だね。ホテルでのお泊まり会、本気になってくれたら、わたし、手配するから」


 美美華が嬉しそうに手を叩くものだから、俺もここで反対意見など言えるわけもない。

 お金のやり取りについてはまだ上手く整理できないが、美美華の喜びに水を差す気はない。

 お泊まり会なんて、俺が参加していいのかも不明だが、ここは乗っておこう。


「……わかった。とりあえず俺の両親は、もうリムを嫁として迎え入れるつもり満々だし、反対なんてしないはず」

「あたしは、この程度のことで親に文句なんて言わせない」

「……わたしは……たぶん、大丈夫だと思う。もしかしたら、宮本君が来ることは伏せることになるかもしれないけど、友達とのお泊まり会くらいは大丈夫なはず」

「良かった。なら、具体的な日程はまた考えよう」


 話は進み、ふと、俺は美美華が当たり前のように皆と話していることに気づく。


「美美華……女の子、平気になったのか?」

「え? あ……」


 どうやら意識していなかったらしい。急に押し黙って、視線をキョロキョロ。


「武、余計なこと言うなよなー」

「そうだよ。せっかく打ち解けてくれてたのに」

「す、すまん……。美美華、さっきまで自然に話せたんだから、もうきっと大丈夫なんだよ。少なくとも、この二人についてはさ。だから、気負わずに行こう」

「……うん。努力する」

「努力しないで、力を抜いて。な?」


 美美華の声はやや固い。すぐには変わらないか……。

 でも、希望は見えたし、俺たちの未来も明るそう。

 平凡な高校生活を送るだろうと思っていたのに、今はもう、そんなものとはかけ離れた、輝かしい青春が想像できるようになった。なんて喜ばしいことだろう。

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