第3話「仕事は見ることです!?」

「今日の私たちの担当はサンゴ礁エリアです、」

「はい」

 今日から水族館でのバイトが始まった。教育係の碧海しずくさんからの指示を聞く。

 今いるのはサンゴ礁エリア、彼女との初顔合わせで本来会うはずの場所だったところだ。

「まずは水槽のガラス拭きからしましょうか、私は中央の水槽から始めるので水谷君は壁際の水槽からお願いします」

 そう言うとしずくは自分の分のタオルとバケツを持って小走りで行ってしまった

「それと、拭きながらで構いませんので中の魚たちの様子も見ていてください、数など詳しいことは掃除後に改めてチェックしますので」

 不意に立ち止まるとうつむきながら横顔でそう言い残しまた走り出してしまった

(ほんとに人と話すの苦手なんだな)

 涼太はそう思いつつ自分の分の道具を持って指示された水槽へ向かす。確かに思い出せばスタッフルームからここに来る間一言も会話は無かった、さっきの指示も顔を見ては話してもらえていない。

「こればっかりはなぁ」

 涼太も人付き合いが得意なほうでない、いろいろな人と交流があり社交的に思われがちだが涼太自身も人見知りだ。克一や沙月を含む水族館スタッフにしろ話せるようになったのは祖父である源二のおかげである。

(じいちゃんってすごかったんだな)

 今思えば祖父は誰に対しても壁というものを感じさせない。祖父を見習えばしずくとも少しは話せるようになるのだろうか。そんなことを考えつつ涼太は水槽のガラスを拭いていくのであった。

 そうこうしている内に指示された水槽はすべて拭き終わってしまった。次の作業を聞くためにしずくの元へ向かおうとバケツに手を伸ばそうとしたら

「どう、うまくやってる?」

 後ろから沙月が声をかけてきた、その顔には何かありそうな笑みを浮かべている

「霧島チーフ、お疲れ様です」

「開園もまだなんだから、朝からそんな固くならなくていいわよ」

 そう言いながら沙月は涼太が拭いたガラスを確認している

「心配はしてなかったけどやっぱり手際いいわね」

 沙月は腕時計を確認しながらそう言った

「開園前の水族館にも何度かお邪魔してましたし、体験もしたことありましたから」

 祖父と魚の寄贈に来た際に祖父を待っている間スタッフさんが気をきかせてかエサやりや掃除などいろいろなことを体験させてもらったことがある。

「って碧海は?新人君一人にしてあの子何してるのかしら」

 そう言って沙月はしずくを探している

「碧海さんなら中央の大きい水槽を拭くからと向こうのほうですけど」

 と涼太はバケツを持ちながら反対の手でしずくのいるほうを指さす。とはいっても涼太たちのいる場所からしずくのいる中央の水槽までは間に曲がり角があるためしずくの姿はここからでは見えない。

「えっ?あの子いきなり中央の水槽から手をつけたの!しかも一人で!?」

「えっ、何か問題あるんですか?」

 涼太は首を傾げる

「大アリよ!」

 そう言いながら沙月は歩き出す、涼太も急いで後についていく

「(水谷君の教育係にした意味ないじゃない)」

 沙月がボソッと何かを呟いたがよく聞こえなかった

(碧海さんって恥ずかしがり屋だけど仕事はできる人じゃ)

 前に沙月から聞いていた話を思い出しながらしずくがいる水槽へ向かう角を曲がる、するとその先には

「今日もみなさんお元気そうで、あっオジサンおはようございます。ナンヨウハギとクマノミが一緒に泳いでる?!まるで映画のワンシーンみたいじゃないですかぁ」

 とさっきまでよそよそしく自分に話しかけていたしずくの姿ではなかった。まるで水を得た魚、いや魚を見せられたペンギンのようにはしゃぐ彼女の姿があった。

「あの、これは一体?」

 そんな光景を目の当たりにして涼太は驚きながらも沙月に尋ねた

「見ての通りよ、あの子魚を見てるだけでも相当楽しいみたいで仕事中でも上がっちゃうと水槽にベッタリなのよ」

 そう言って沙月はため息をついている

「教育係になったら少しは変わるかと思ったけど」

「どういうことです?」

「教育係として少しは緊張感を持つようになって多少はあぁなる回数減るかと思ったけど逆効果ね。緊張のあまり魚に逃げちゃったのね、あそこまでテンション高いのは稀なほうよ」

 そう言いながら沙月ははしゃぐしずくへ近づいていく

(こんな感じ昨日あったなぁ)

 涼太は昨日のしずくとの顔合わせを思い出していた

「チンアナゴさんたちはまだ寝てるんですかね?だれも顔を出していませんね」

「この水槽にはチンアナゴがいるんですか、ちなみにどんな種類がいるのかしら?」

「チンアナゴはですねこの水槽にはおよそ40匹ほど飼育されています。ですがチンアナゴというのは俗称みたいなものでして、よく白や黒、オレンジ色のチンアナゴが紹介されたりグッズ化していますが実際飼育されているチンアナゴは1種類なのです」

「へぇ、そうなの」

「はい、そうなんです。ここでは黒っぽい斑点があるのがチンアナゴで、オレンジ色のはニシキアナゴとなります」

 水槽を向き胸を張りながら自信満々に答えるしずくは質問の声がしたほうへ振り向きながら説明を続けている

「ちなみに全体が白っぽいのがホワイトスポットガーでん…イー…る」

 振り返り質問した人の顔を見た途端、さっきまで笑顔で説明していた顔が一気に青ざめている

「朝から元気そうで良かったわ、あおみちゃん」

 青ざめた彼女の視線の先には優しく声をかける沙月の顔があった。その顔は笑ってはいるが、まるで獲物を見つけたサメのような凄みを感じる

「これは霧島チーフ、朝の見回りお疲れ様です。では私は水谷君の様子を見てきます。」

 そう言いながら横に一歩ずれその場をやり過ごそうと逃げるしずくの間の前には、苦笑いしている涼太の姿があった

「あぁ、碧海さん向こうの掃除終わりました」

「あっそれはありがとうございます…」

 その場から離れる口実を失ったしずくはゆっくりと沙月さんのほうを向く

「水谷君終わってたみたいですね、ははは…」


 バチーン!!


 沙月のバインダーがしずくの頭に振り下ろされたことは言うまでもない


 ~ ~ ~ ~


「あなたねずっと別行動してたら教育係の意味ないでしょ、仕事に慣れてきた頃ならともかく初日から離れてどうすんの」

「…すみません」

「まったく、いい次はちゃんと教えながらするのよ」

「…はい」

 バックヤードでしずくは沙月に注意されていた、魚にはしゃぎ涼太をほったらかしていたことが沙月にバレたしずくはバックヤードに連行されたのだ

「じゃあたしは行くから、ちゃんと二人でするのよ。いいわね?」

「はい、わかりました」

 そう言いながら沙月は次の見回りへ向かう、涼太とのすれ違いざまに

「いい、あの子のことちゃんと見てるのよ」

「あっはい」

 小さな声で涼太にそう言い残し沙月は行ってしまった

(見てるって仕事ってことかな?)

 なんのことか確認しようと振り返ったがすでに沙月は行ってしまった。あとで改めて聞こうと思いつつ涼太はしずくに向き直る。沙月に怒られ暗いオーラただようしずくが目に入り、おそるおそる声をかける

「あの、碧海さん?」

「あっはい?霧島チーフまだ何か?!」

 返事をしながら声がしたほうと逆方向に後ずさるしずく

「落ち着いてください、自分です。水谷です。」

 驚くしずくを落ち着かせるように話しかける

「すみません、取り乱してしまって」

 そう言いながら手で顔を隠している

「次はなんの作業をしたらいいでしょうか?」

 とりあえず仕事の話を切り出した

「あぁえぇと、では魚たちのエサやりをしましょうか」

 そう言いながらしずくはバックヤードの案内を始めてくれた、沙月に言われたからか後ろを歩く涼太のことをちらちらと見ながら案内してくれる。ただ話すときは顔を合わしてはもらえない

「エサの場所はこんな感じです、次は与え方ですが…」

 と急に話す声が小さくなった

「……てくださぃ…」

 声が小さく、周りの水の音に消されよく聞こえない

「…み……てください…」

 聞き取ろうと涼太が耳を近づけようとしたのと同時に、しずくが勢いよくこちらに顔を向け

「わ私が手本を見せますので、近くで見ていてください!!」

 と叫んだ。その勢いに涼太は驚いてしまった、驚いたのはしずくが初めて大声を出したこともあるがそれよりも振り向いたしずくの顔が声を聞くために顔を近づけていた涼太の目の前に現れたからだ。目と目が合って話す初めての瞬間だった。そんな間近で見るしずくの目は少し水色がかっていた

(綺麗な水色、もしかしてハーフ?)

 と仕事を始めて初めての状況に涼太は思考が追い付かず固まっていると、涼太の顔が近いことに気づいたしずくは

「うわぁ?!えっちょっ!」

 と驚きの声を上げながらよろけてしまう、後ろには備品を積んだ金属製の棚がある

「あっ!」

 涼太は咄嗟にしずくに手を伸ばす


 ガシャン!


 しずくと入れ替わる形で棚に涼太の肩が当たった。勢いがそこまでついていなかったおかげか痛みもなく、棚のものを崩すこともなかった。

「碧海さん大丈夫ですか?」

「あっはい、大丈夫です。それよりも水谷君こそ大丈夫ですか?」

 心配そうに涼太の顔を見上げてくる

「はい、こういうのはじいちゃんの船で慣れてるので」

 祖父の漁を手伝ったとき波に揺られて船体に体をぶつけることがあるので、それに比べたらマシである

「そうですか、なら良かったで…、ってすみません」

 そう言ってしずくは涼太から離れる、助けてもらったためしずくは涼太を棚に押し付けるような態勢になっていた

「すいません、急にびっくりしてよろけてしまって」

「いえ自分も驚かせるような形になってしまったので」

 そう言って二人とも頭を下げる

「ととりあえず、魚のエサやりに行きましょう」

 そう言ってしずくは準備に取り掛かる

(どうしよう、教育係なのに…沙月さんになんて言えば)

 涼太に迷惑をかけてしまい内心ドキドキのしずくだったが、いつも沙月に注意されるときと何か違う。だが今は沙月に言われたことを実行することが先と自分に言い聞かせる。

 準備ができたしずくは涼太を連れ水槽の裏側へ案内する。着くとしずくは何度か深呼吸をする。

「碧海さん?」

 急に立ち止まったしずくに涼太が声をかける、その声にしずくはいつものように緊張がしてしまう

(水谷君はこんな私を助けてくれた)

 しずくは自分に言い聞かせる、ちゃんと自分を見ようとしてくれる人がいる。そんな彼に自分も、そう考えながらしずくはゆっくり涼太のほうを向き

「では私がやって見せるので、しっかり見ていてください!」

 その口調はまだ固かったが、そんな彼女の目はしっかり涼太の目を見ていた。




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