第29話 はやく・・・てくれ

 そんな日が続いたある日。

 その日も同じようにレンヴラント様を見送ったあと、屋敷の仕事を分けてもらって時間を費やしていた。


 すっかり夜も遅くなった頃。そろそろ寝ようかと廊下を歩いていると、アルバート様が小走りで話しかけてきた。


「レティセラさんに、ちょうどいいところに!!」

「どうしたのですか?」


 こんなに慌てているのは珍しい。


「うちの妻が、転んで腰を打ったらしくて」

「えっ!!」


 それは大変! 確かお腹に赤ちゃんがいたはずだ。


「少しの間、様子を見てきたいのですが、これからレンヴラント様がお戻りになるかと思うので、お出迎えを頼めますか?」


「分かりました! 早く行ってあげてください!!」


 少し軽い気持ちで引き受けてしまったような気がしなくもないけど。私も、弟に何かあったら、飛んで帰らせてもらうと思う。だから、こういう時は快く送り出してあげたかった。


 アルバート様が家に帰り、それから少ししてレンヴラント様が帰ってきた。

 今日はいつもと違い、だいぶ酔っているようだった。


「お帰りなさいませ、レンヴラント様」

「あれ……アルバートは……?」

「かくかくしかじかで奥様の様子を見に行っています」

「……ほぉ」


 いや、ほぉって、

 目なんかすごい座っちゃってるし、大丈夫なのかしら。


 強いお酒の匂いがして、こっちまで酔ってしまいそうだ。


「あー……しこたま飲まされた」


 髪を掻きあげる仕草が、なんとなく憂いを帯びさせている。そんな酔っ払いの一面を見られるのは今までなかったから、少し嬉しかった。


「歩けますか?」

「まあ……歩いてきた……からな」


 言葉を出すのに時間がかかるのか、途切れがちに言う。

 私は廊下を歩きながら、時折ちゃんとついて来ているか振り返った。足取りはそこまでフラフラしていないから、大丈夫そうだ。


 あまり顔にでない体質なのか、少し顔が赤い程度なのは、お酒が強い方だからなんだろう。といっても、こんなに酔ってるなんて。


 何かあったのかしか?


 レティセラはチラッとレンヴラントを横目で見た。

 部屋に入って外套うわぎを受け取り、腕にかけるとそこからひんやりとした感触が伝わってきて、外の様子を伺わせる。


 お水、飲んでもらったほうが良さそうね。


 レティセラは外套を椅子にかけて、水差しにをかけた。


「ひゃっ!」


 水を注いでいると、思いもよらず首筋を撫でられて、グラスを倒してしまった。テーブルにできた水溜りが、端からぽとぽと落ちる。


「な、何かついてましたか?」

「いや……髪……結んだんだなと……思って」

「え、えぇ。作業の時に邪魔になるので。すみません、すぐ拭きますね」


 び、びっくりしたぁ!


「そんなのはいいから……こっちを手伝ってくれ」


 と、彼はソファにドスっと勢いよく座った。


 はて? とりわけ何かをしているようには見えないけど。また、いつもみたいに揶揄っているのかしら。


 それに、お酒のせいもあるのか、ほわぁ〜っと緩んだ表情かおが、男性なのに妙な色気が漂っていて、見ているだけでドギマギする。


 そんな顔で見られたら恥ずかしいのに、嫌ではない。一体何をさせるつもりなのかと、想像しただけで、首から上が沸騰して、私は茹でたエビのようになっていた。


「な、何をすればいいんですか?」

「窮屈だ。はやく……てくれ」


 え……?


 聞こえなかったわけじゃない。だけど本当にそうなのか確認したかった。


「あ、あの、念のためにもう一度お聞きしてもよろしいですか?」

「あぁ? 聞こえなかったのか? 『早く脱がせてくれ』と……言ったんだ」


 バカにするでも、揶揄からかっているでもない。彼はただ、恍惚こうこつとして言った。


 やっぱり聞き間違いじゃなかったー!!


 そんなレンヴラント様を前に、私は目をまん丸くし、硬直するしかなかった。

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