第10話 やさしい嘘

 ウォード家の敷地には池があり、そこに足を浸して、レンヴラントは涼んでいた。


 その後姿に、足音が近づく。


 アルバートのやつ、返事を聞いたら知らせに来ると言ったのに。


「……遅いな」


 アイツには、レティセラが希望していた所に移動できるよう伝えてある。


 皿洗いか、洗たく係か。

 いずれにしても、もう顔を合わすことなどなくなるだろう。そう考えると、なぜか酷く不安を感じた。


 どうしてだろうな。

 レンヴラントは空を見あげる。その様子を見ていた人物が彼の背後まで来て、足を止めた。


「もうすぐ日が暮れるし、戻るか」


 厚くなってきた雲が、太陽を隠し、気持ちを映しているかのように、辺りが暗くなる。


 レンヴラントは、はぁっ、と重い息を漏らした。

 そして、立ち上がって靴を拾おうとしていると、視界に黒い裾が入り、顔をあげた。


「っ!! お前……どうしてここに? もしかして泳ぎにでも来たのか?」


 そこには、腰に手をあてたレティセラが、少しムスッとした表情で立っていた。


「そんなわけないでしょう! 私は泳げないんです。迎えに来ましたよ、レンヴラント様」


 と言って、彼女は、にっこり、と笑顔を作っていた。

 不思議なことに、あれだけ嫌悪感を持っていたのに、今は全くそれを感じなかった。


「ぷっ」

「なぜ笑う……」


 戸惑っているのか、目を泳がせるレンヴラントの様子が、弟みたいで、レティセラは口を押さえて吹き出した。


 なんだか可愛かった。


 彼は意地悪だけど、私はもう知っている。この人は不器用で、でも、ちゃんと反省し、やさしさを持っていることを。

 恨みや怒りは、少しくらい持っていたかもしれない。だけど、あのネックレスを返してくれた時に、完全になくなっていた。


「私はあなたの専属メイドですからね!」


 レティセラは、はっきりと言った。


「……お前」


 これからも、意地悪なことをされるかもしれない。だけど今は、態度や言葉の片隅におちる、ふわふわしたものが分かるから。私はまだ続られると思うのだ。


「また意地悪されるかもしれないぞ?」

「しないようにしてくれるんでしょう?」

「お前……聞いてたな!!」


 レンヴラントが横目でジロリと見る。それも、なぜだか今は怖くなかった。


「何のことでしょう?」


 レティセラが素知らぬ顔で目を逸らすと、罰の悪い表情かおをしたレンヴラントが、屋敷に向かって歩きだした。


「ネックレス、見つけてくれたのですね」


 その背中に向かってレティセラは投げかける。


「それは、アルバートが見つけてきたんだ。礼ならアイツにしろ。大事なものだったんだろう」


「いいえ、あれはただの、ガラス玉なんです」


 彼はこれがどういうものか、分かっているのだろう。だけど、私はえて、そう、答えた。


「そんなわけないだろ」


 と、レンヴラントは足を止め、振り返った。



 雲が流れ、チラチラと太陽がまた顔を出す。

 西陽が強く池を照らし、それは水面に反射して、世界を黄金に染めた。



 吹いてきた風が、ザワっと心を揺さぶる。

 草が傾き、緩やかな波をつくったレティセラの髪が、なびいている。



「ありがとう」


 ──────その中で。



 レティセラは、胸元をおさえ、ただ静かに。ただ……幸せそうに、微笑んでいた。


 それがまるで、一枚の絵のようで。

 悲しいほど……綺麗だった。


 レンヴラントの心臓が、ドクンと跳ね上がる。

 その、いなくなってしまいそうな儚さに、思わず彼は、彼女を抱きしめていた。



「え、あの……」

「落ちそうだから。泳げないんだろ」


 よかった。

 確かにここにいる。腕の中にいる彼女は、顔を真っ赤に染めて、自分を見あげていた。視線が合うと、お互い気まずくて、目を逸らす。


「すまん、突然」

「……いえ」


 背中に回した手から、感じる柔らかさ。レンヴラントは、慌てて体を離した。それは、まだほっそりとしていたが、ぬくっとしていて、驚くほど心地よかった。

 気がつけば、心臓がバクバクと音を立てており、勢いよく押し出された血液が、身体中を駆けめぐって顔に熱を集めていく。


 やばっ!


 赤い顔なんて見せられない、とレンヴラントが背を向け、ズカズカと歩き出す。


 そうか。

 自分は、彼女と過ごす日々が楽しかった。だから、専属じゃなくなることに、寂しさを感じ、不安を抱いたのだ。


「は、早くしないと、置いていくぞ」

「あっ、まってください」


 あの笑顔は、暴くためのものではなく、守るべきものだ。この、後ろをついてくる足音が、嬉しかった。


 信じられない。自分がこんな事を思うなんてな。


 この気持ちを言葉で例えるなら、それは。


『愛おしい』


 というものなのだろう。


 レンヴラントは、夕陽で赤くなった空を見あげ、自分の気持ちみたいだ、と微笑んでいた。

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