第8話 雨のあとの、晴れ

「嘘だろ」


 走った! 廊下を通り、玄関を駆け抜ける。後ろには、アルバートもついてきていた。


 あれから、8時間は経っている。よく考えれば、自分の分身のようなものがなくなったのだ、直ぐにでも、探すのは当たり前だろう。

 だが、問題はそこじゃない。


「バカやろう! 倒れたばかりだっていうのに!!」


 レンヴラントはバルコニー下まで来ると、光玉を作ってあたりを照らした。


「おい! いるのか?!」

「レンヴラント様! あそこです!!」


 アルバートが指をさした、その方向に。





 いた……

 昼間と同じ、服のまま。




 まるで、目が見えなくなったかのように、地面をいつくばる。その……何時間も雨にうたれたであろう姿が、今にも溶けてしまいそうだったから。

 レンヴラントは脇目も振らずに駆け寄っていた。


「おい!!」


「……見つからないんです」


 肩を揺する。なのに、彼女は顔をあげず、かわりに消えてしまいそうな声で、ポツリ、と言った。どんな顔をしているのか、見るのも怖かった。


「帰りましょう。アネモネ達が心配しています」


 レティセラは首をふった。


「こんな暗くて雨じゃ見つけられない。明日探してやるから!」


 それでも、背を向けて探し続ける。


 この様子じゃ、素直に応じてくれそうもない、と判断すると、レンヴラントはレティセラの目を塞ぎ、そして、まじないを唱える。


 俺の償いをとらないでくれ


 糸が切れたようにレティセラが倒れていく。レンヴラントはそれをしっかり受け止めた。

 3人ともずぶ濡れになっていたが、それでようやく息をしている感覚が戻ってきたように感じた。


「体が冷えてる。戻ろう」

「そうですね……よかったです。あなたが、居場所を知っていて」

「お前には隠し事はできんな」


 弱々しくはあったが、レンヴラントは少しだけ微笑み、ネックレスの事をアルバートに話した。





 次の日になり、レティセラは熱を出したと聞いた。それでなくても、十分に食事も摂れてなかった事もある。


「しばらくは、顔も合わせる事もない、か」


「まだ、熱もさがってないですからね。少し淋しい気もしますが、今は治すことが優先ですよ」


 と、アルバートが言う。

 淋しい? そうなのか。


 顔を見る事もない。彼女にしてみれば、それは嬉しい事なのかも知れない。だが、早くこれを渡してやりたい。朦朧としている今なら、不快な思いをさせる事もないだろうか。


 レンヴラントは、手のひらのネックレスを眺め、立ちあがった。


「ちょっと、行ってくる」

「そうですね。それはあなたから返したほうがいいでしょう」


 レティセラの部屋は、使用人棟の2階にある。何年も住んでいるのに、ここにきたのは初めてだった。この時間は同室のメイドも仕事で不在らしい。


 中に入り、予想通りベッドの上にいる、彼女を見つけ、緊張しながら顔を覗き込む。


 熱のせいで赤くなっている頬が血色良く見えたが、よく見ると、カサカサになった唇の皮が剥けて、痛々しい。


「約束してたやつ、持ってきたぞ…………ごめんな」


 そう言って、レンヴラントはレティセラの手にネックレスを握らせる。

 やっと、返せた。

 だけど、やってしまった事や、言ってしまった事は無かったことにはならない。


 彼女のもともと希望していた仕事場は、どれも、意識しなければ顔を合わせることのない所だった。それは、意図的だったのかも知れない。


 そっ、と触れた頬の熱さで、じわりと感じる痛みは、淋しさとはまた違う気がする。

 だが、決断はもうした。

 慣れないながら、ただ一生懸命、仕事をしていた姿を思い出し、窓に目を向ける。


 降り続いたあとは、きっといい天気がつづく。そうであるといい。

 

「安心しろ。もう、苦しめたりしないから」


 そう言い残し、レンヴラントは部屋を後にした。扉の閉まる音を聞いてから、レティセラは目を開ける。まだ、ぼんやりした頭。だけど、手の中にあるネックレスを見て、彼女は、ふよっと微笑んだ。



            ※



「アルバート、調べてもらいたい事がある」

「ノートン家、の事でございますか?」

「そうだ。よくわかったな」

「何年の付き合いだと思ってるんです。当たり前ですよ」


 あそこの家は、金が欲しいというのは、間違いない。結婚相手を見つけるため、というのも、あながち間違っていないだろう。


 それなら、色目を使ってるといった報告が入ってもいいはずだが、そんな素振りは全くない。それに、普通の娘なら、あんな意地悪されれば辞めてもおかしくない。


 そこに、昨日のことだ。

 よくよく考えれば、ネックレスひとつであんなに心を乱すのは異常である。

 


 いや、これは別にアイツを気に入ってるとかではないんだが。なにか、おかしいだろ。


「わたくしも気にしておりました。少し、お時間頂くかもしれませんが?」

「かまわない」


 アルバートが出て行くと、部屋の中はシン、と静まりかえる。ここ最近はやけに暑くなり、外からは虫のが甲高く聞こえ、夏の到来を告げていた。

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