第7話 降り出した雨

 ゾッとした。


 ────その、割れてしまいそうなはかなさに。


 なぜ倒れたのか。

 それを考えるのは後だ。今は……


「アルバート、いるか!? アルバート!!」


 

「どうなさいましたか? っ!!」


 隣の部屋で作業をしていたアルバートが、2人を見るなり駆け寄る。その頃には、レティセラは苦痛に顔を歪ませ、目を閉じていた。


「これは! 何があったのですか!?」

「彼女を医者に、早く!!」

「とにかく運びます」


 その焦りに応えるように、アルバートは何も聞かず、レティセラを抱きあげ、部屋から出ていく。


 その様子を見送った後、レンヴラントは静かに腰をおろし、頭を抱えた。興奮した時に感じるような衝撃が、まだ体に残り、耳の奥が、ドク、ドク、と脈打っていた。



 さっきまで晴れていた空は陰り、ゴロゴロとした不穏な音が心をざわつかせる。


 

 思えば、顔を毎日合わすことになってから、いつもそうだった。


 偽りの笑顔。

 自分はそれが騙されているようで、不快で仕方なかった。


 その気持ちは、次第に、崩したい、という気持ちに変わる。それは、ただの気晴らしのような感覚だったように思う。



 なぜ倒れたのか。

 それは。



 なんで気づかなかった。毎日、見ていたじゃないか!


 見せまい、と胸の前で組んだ腕の、折れてしまいそうな細さ。

 ……食事もまともに喉を通らないほど、我慢していた事を。


 時々ふと見せる、物悲しそうな表情を思い浮かべ、ツキン、と胸が鳴る。


 今にも破裂しそうなほど、強く心臓を鷲掴みにされた気分だった。


 痛くて、苦しい。


 レンヴラントは胸元を掴んでいた。こんな事を思う資格などありはしないのに。



 ポツポツと降り出した雨が、地面を濡らし、土の匂が鼻をつく。雨足はだんだんと強くなり、やがてザーザーという音に変わる。

 

 いつからか? それは分からない。

 分かるのは、たぶん今までしてきた、数々の自分の嫌がらせのせい。


 そして。

 あの笑顔は、周りをあざむくためではなく。

 自分を守るためのものだったという事。

 それはきっと……


 なにが崩してやるだ……なにが、よく飛んでっただ!


 やめてほしい、と必死に訴えていた姿を思い出し、歯を軋ませる。


「バカやろう……!」

 

 あのネックレスには小さな魔石がついていた。それで気づくべきだった。あれは、レティセラの母親の形見だったと。


 彼女がそうあるためには、あのネックレスはなくてはならないものだったのだ。


 机に頭を打ちつけ、レンヴラントは深くため息をついた。窓に打ちつける雨が、流れ落ちる。それが、泣いているように見え、静かに目を閉じた。


 明日……明日になったら、晴れる。そしたら、探しに行こう。

 レンヴラントは自分自身と約束したのだった。

 






 雨は止むことなく、夜中まで降り続いた。それに耳を傾けながら、レンヴラントはぼんやり、レティセラのことを考えていた。


 そろそろ目が覚めた頃だろうか。食べることはできたのだろうか。


 自分が招いておきながら、そう思う滑稽さを、鼻で笑う。

 アルバートが持ってきたお茶の、ラベンダーの香りが、湿気で重くなった部屋にみた。


「レンヴラント様。もうそろそろお休みになった方がよろしいのでは?」

「あぁ、なんだか眠れそうもなくてな」

「心配なのは分かりますが」

「…………」


 眉を寄せている、情けない表情のレンヴラントを見て、アルバートは腰に手をあてた。


「まったく。揶揄からかってイジるのもほどほどにしなさいって、言いましたよね? そんな後悔するなら初めからしなければいいのですよ」


 普段なら、こんな叱られるような事を言われたら、腹が立つはずなのに、この時はやけに嬉しいと思った。


「医者はなんて?」

「ストレスによる食欲不振と過労だそうです」


 あぁやっぱり、と後悔を吐きだす。


「治るまでしばらく休養させますよ。いいですね」

「あぁ、頼む。それと──────」



「よろしいのですか?」

「あぁ、計らってやってくれ」

「畏まりました」


 アルバートが胸に手をあてた時、扉がノックされた。時間はすでに日をまたごうとしている。こんな時間に誰だろう、と彼は扉に向かった。


「すみません! アネモネです」

「何かあったのですか?」


 表情を強ばらせ、部屋に飛び込んできたアネモネが、アルバートの腕を掴む。


「レティセラがいないんです! どうしたら!!」

「「!?」」


 レンヴラントは、勢いよく立ちあがった。


「ひとまず落ち着いて。アネモネさんは部屋に戻っていてください。もしかしたら帰ってくるかも知れませんから」


「分かりました」


 とぼとぼと帰っていく彼女の後ろ姿が、ドアの向こう側に消えると、アルバートが、バンッ、と机を叩き、喝を入れた。


「落ち込んでないで、居場所を教えてください!」

「居場所なんて知らない! ……逃げたかもしれないじゃないか」


 ここが、俺が、嫌で。


「この屋敷が、そんな簡単に出入りできないことくらい知ってるでしょう? 昼間、レティセラさんが倒れる前、何があったんですか!?」


 その通りだ。もし、屋敷外に出ようとする人物がいれば、報告が入っているはずである。なら、レティセラはまだこの敷地内にいる。


「まさか、あれを!?」


 こんな、夜も更けて、雨が降っているのに? レンヴラントは、信じられないと思いながら、森に向かって走り出す。

 だけど、そのにいる、と心のどこかで確信していた。

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