第5話 専属メイド

 次の日、レティセラは気も重く、扉の前に立っていた。

 

 ついに来てしまった。一晩寝たら、夢だった、という期待は打ち砕かれる。とほほ


「大丈夫ですか?」

「ちょっと、緊張してまして」


 と、にっこり微笑んだ。


 誰もが憧れる専属メイド。選ばれたのは嬉しいことなのかもしれないけど。うう……荷が重い。


 怖くて冷たい、という一度ついた印象は、なかなか払拭できるものじゃない。嫌い、というほど彼のことを知ってるわけじゃないけど、間違いなく苦手だろう。

 でも、そこで「苦手だから嫌です!!」って言えるわけがないのだ。


 仕事なんだもの、しっかりしなくちゃ!

 そう笑顔よ、笑顔。


「すみませんね。希望を通してあげられなくて」


 前にいたアルバートが振り返った。


「いえいえっ! 私みたいな初心者を選んでいただけただけもで光栄ですから」


 とんでもない、とレティセラは首振り、お得意の笑顔を返した。


 ……胃が痛くなりそうだけどね。


「そう言えば。レンヴラント様に、ここで初めて会った時の事を聞きました」


 ふふ、と彼がはにかむ。その柔らかい雰囲気に、少し緊張がほぐれた。


「お恥ずかしい話です」


「さぞ、悪印象を持ったでしょう? 悪い方ではないのですが、このところ、たくさんの女性から囲まれるものですから、勘違いされないように、対応が冷たくなってしまうのだと思います」


「はぁ、そうなんですか。大変ですね」


 羨ましいことで。そりゃあ、大貴族の御令息だもの、当然よね。でも、昨日、逃げ出したのは聞いてないのかしら。


 わたしは伺うように彼をじっと見た。


「昨日のことも聞いてますよ?」

「えっ? よく分かりましたね」

「もちろんです。それが、私の仕事ですから」


 アルバートはドアをノックした。

 さすが、大貴族に仕えてる人は違うわ。


「レティセラ嬢を連れてきましたよ」

「あぁ、入ってくれ」 


 中からレンヴラントの声が聞こえる。レティセラは気まずそうに俯いた。


「あのぅ、アルバート様。レンヴラント様は、私が専属メイドになる事について、了承しているのですか?」


「もちろん、です」


 アルバートが、口元を引きあげる。もちろんレティセラには見えていないが。


 実は昨日。レンヴラントに専属メイドの通達をしたと伝えたとき、アルバートは強く拒否をされた。


 あなたがわたしに『頼む』と言ったんですよ?


 レティセラと同じく、苦手意識があったのだろう。だが、自分に一任すると言ったことと、専属メイドがいないために、自分の職務が滞る、と反撃し、アルバートはレンヴラントを渋々了承させていたのだった。


 女性に関して神経質なところや、めんどくさがりやな所はあるものの、レンヴラントはあまり執念深くない。仕方ない、と言っていたら、なぜか今日はやる気になっていた。


 そういう潔くて、前向きなところは、尊敬しますけどね。


 アルバートはそう思って扉を開ける。レティセラは一瞬目が眩んだ。



 初めて入る執務室。

 落ち着いた造りの家具に、びっしりと詰まった本棚。微かなフラウの香りはお茶によるものだろうか。そこに、インクの匂いが硬派な雰囲気をかもしだす。


 うわぁ、立派なお部屋。


 大きな窓から入る陽が、机に座るレンヴラントを背後から照らしている。それは、キラキラとしていて、妖精でも舞っているかのよう。


 本当に整った顔をしているなぁ。黙っていれば、だけどね。


 レティセラは背筋を伸ばした。


「指名していただき、光栄でございます。至らないこともあるかと思いますが、よろしくお願い致します」


「あぁ。よろしく」


 と、レンヴラント様は笑顔を見せた。


 あれ? なんか普通だ。

 ホッ、とレティセラ胸を撫で下ろす。


 もしかして割と歓迎してくれているのかしら。いや。いやいや、確かに拍子抜けだけど、あの顔はなんだろう。にっこり、とも、微笑むとも違う。そう、強いて言えば、私みたいな嘘っぽいやつ……




 あっ! 

 ぽんっと手を打ち鳴らした。


 あれだ。昔からデルマが私にいたずらしようとしていた顔。あれにそっくり。という事は、コイツ……何か企んでるな。


 そう思うと、ますます笑顔が不気味に見えてしまうのが人間ってものだ。

 ゾッ、と顔を引き攣らせる。


「おや、どうした?」


 レンヴラントがにっこりと笑った。


「すみません、少し緊張していまして」


「そうか、仕事の内容はアルバートに聞いてくれ。俺の専属メイドは忙しいから肝に銘じておいてくれよ」


「はい」

「じゃ、これから頼むぞ。”専属メイド殿”」


 これは、先が思いやられる、かもしれない。大丈夫かしら、私の胃。私は心の中で涙を流していた。






 専属メイドの仕事は大変だった。ようやく基礎を覚えたところだったのに、そこにまた覚えることが増える。それに関しては、そこまで苦ではなかったけど。


 つーか。すっごい人使い荒いんですけど!!


 忙しいんだろうとは思ってたけど、まさかこれほどとは。彼の机には、書類がなくなる日なんてない。それに、専属メイドの仕事は、レンヴラント様が執務をしている間だけでなく、一日を通して世話をしなければならないのだ。

 今は夜会シーズンじゃないのが幸いだった。


 空になったお菓子の皿を手に取り、ほぅ、と息を吐き出す。ようやく今日の一段落だ。

 昼ごはん何にしよっかな。

 そう思いながら、レティセラは執務室を出ていく。

 



 専属メイドは大変だった(2回目)

 毎日、莫大な命令が飛んでくる。お茶を入れろ、あれを持ってこい、これを片付けろ。やっぱり持ってこい、水飲ませろ、などだ。


 てか、水飲ませろって何!? 自分で飲めよ!!


 だけど、その度にキレたくなる気持ちを抑え、ニコニコしながら対応しなければいけない。


 まじ、これストレス溜まるわ。


 しかも、その後、レンヴラント様はキラキラした目で私の顔をみる。何に期待しているのか。怒らせたくて仕方ない、といったところだろうか。

 お前はいたずらっ子か!


 そんな毎日が、目まぐるしく過ぎていく。気づいた時には仕事が板についており、その頃には季節はもう6月。夏を目前に控える時期となっていた。

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