第3話 私は何もみてない!
「んー、いい香り」
暖かくなったと思ったら、もう、お屋敷の庭には、たくさんの花が笑いかけている。気分まで弾むような気がした。
あれからレンヴラント様には会うこともなく、まだご挨拶にも呼ばれていない。
このまま会いませんように。
レティセラは手を合わせて祈った。だって、あの時のことを思い出すと、今でも腹が立つんだもの。
今日はお屋敷に飾る花をもらいに来ている。ここに来てから2ヶ月が過ぎ、もうすぐ使用期間が終わる。
メイドはこの間に色んなところに回され、最終的に能力に見合ったところへ配属される。
もちろん、通るかは別として、希望することもできるので、私は洗濯係と、お皿洗いのどちらかを選んだ。お針子もいいと思ったんだけどね。
それなら、身の丈にあってるし、レンヴラント様とも顔を合わせることもないもの。
それに、調理場には男性もいるから、出会いがあったらいいな、と思ったのもある。淡い期待ではあるけれど。
「こうやって、丁寧に切ってやってくれよ? あぁ、あまり咲き過ぎてないやつな」
「はい! 分かりました」
にっこりと笑顔を作る。今日も私は平常運転だ。
だけど、なんでレンヴラント様は結婚されないんだろ。あれだけ顔が良くて、ウォード家の御令息なら縁談なんて沢山くるだろうに。
でもまぁ。関係ないし、いっか。
ふふっ♪
軽く鼻歌をうたう。籠が花で埋められていくのが、なんだか嬉しい。
「あら、もういっぱいだわ」
建物に戻ろうとしていたら、バチンという音が聞こえて足を止めた。覗き込んで思わず息を止める。
そこには男と女がいて。男性の方は間違いもできないレンヴラント様だ。という事は、女性の方はどこぞの御令嬢かしら?
どうも、揉めてるみたい。
「……ってぇ」
レンヴラント様は赤くなった頬を押さえている。引っ叩かれたらしい。
「あなた! 婚約はしないってどういう事なの?」
女性は
もしかしなくとも、これは修羅場というやつなのでは?
私は見つからないように、ひっそりと身をかがめた。
「どうもこうも。おれが、いつその気にさせたんだ。ちょっと夜会で話をしただけじゃないか。その匂いの強い香水に胸元の空いた服。それで、ひとんちまで押しかけてくる図々しさ。冗談じゃない! 早く帰れ」
彼は門に向かって指を差す。すると、女性は泣きながら走っていった。
相変わらずの辛辣。
彼に結婚相手ができないのは口が悪さのせいかしら?
レティセラは、傾げた首をぷるぷると首を振った。
こんなの、見ていた、なんて事が知られたら、何を言われるか分からない。早く行こう。
私は何も見ていませんでしたよー、と心の中で一応声をかけて、うろしを向く。
「おい!」
そのままコソコソと去ろうとしていると、呼び止められてしまった。
えぇ、バレれてた!?
私は青い顔をして、そろ〜っと目を逸らす。
「えーっと……」
「お前、この間のメイドか? ぬすみ見とはいい度胸だな!」
苛立った足音が近づいてくる。三角の目。頭から汗が噴き出し、一歩近づくごとに自分が震えているのが分かる。すごく……怖い。
ひぇぇ!!
「わ……私なにも見てませぇぇ────ん!!」
その恐怖のあまり、セリフを残して私は思わず走り出していた。
・・・・・・・
「すーっ、はぁ────っ!」
閉めた扉を押さえて呼吸を整える。
「あー怖かった」
「どうしたの? そんなに息を切らして」
同じメイドのアネモネが、私を見て驚いていた。彼女はルームメイトで、歳も近く、仲良くしてもらっている。目が大きくて、顎までの短い髪がふわふわでとても可愛らしい子なの。
……えーと
「クマがいて」
なんでもいいから、と言い訳が口から飛び出した。
「クマー!!? それならすぐ報告しないと!」
「あー待って! クマかと思ったら、えーっと、ウサギ……だったかも?」
「何だ、びっくりした」
アネモネは、胸を撫でおろしている。こんな嘘っぽい話を信じるほど、彼女は本当に素直な子だった。
ううう、罪悪感が……良心が痛む、私は胸を押さえた。
「アネモネ、もうすぐお昼だから、その前に花、飾ってきちゃうね!」
そのいたたまれなさで、また逃げるように階段を昇っていく。各部屋をまわり、最後のところで、レティセラは花をさしていた手を止めた。
それにしても。
「ふふっ、いい気味だったわ」
呟いた口を塞ぐ。聞かれちゃ大変だわ。
怖かったけど、思い返せばあの引っ叩かれた姿は、ちょっとだけ、爽快だと思ってしまった。
まさか呼び出されたりしないわよね?
この大きなお屋敷にはメイドも沢山いる、きっとあんな些細な事、いちいち覚えてないだろう。
その時は私はまだ、大したことないと思っていた。
空になった籠を置いて、食堂に戻ってくると、なんだかざわざわしている。
「どうしたの?」
アネモネの姿を見つけて私は肩を叩いた。
「レティセラ! 凄いじゃない!」
「え、凄いって何が?」
「あれを見てっ!」
アネモネは掲示板を指差した。
嫌な予感がする。昔からこういう時の感はよく当たるのよね。
ウォード家は使用人が多いから、食堂もとても大きい。伝達事項はひとりひとりに伝える事はなく、ここにある掲示板に張り出されることになっている。
今はそこの前に
『レティセラ=ノートンを明日よりレンヴラント様の専属メイドに配属。当日、挨拶も済ませるように』
「えぇぇぇっ!!!!」
この時ばかりは、作り笑顔も忘れ、ただただ驚き、食事も何を食べていたのか分からなかった。
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