ミュージックスクールは鬼殺隊だった
写絵あきら
単話
ボーカルスクールは鬼殺隊だった。
先日、ボーカルスクールの体験に行ってきた。
そこでまず説明されたのは、「ボイストレーニング」と「ボーカルトレーニング」の違いだった。
このふたつはどちらも「歌い方のトレーニング」を指す言葉であるが、実のところ明確な違いがある。
「ボイストレーニング」とは、「どう体を使って」「どう発声するか」という、言わば発声法、呼吸法の訓練である。俗に言う“喉を縦にあける”発声法や、鼻腔共鳴と呼ばれる音の鳴らし方、肩ではなく腹で呼吸し、力強く太い呼気を出し続ける呼吸法の訓練。そう、鬼滅の刃で言うところの「全集中の呼吸」の鍛錬だ。まさか歌のレッスンで鬼を殺す鍛錬を行うとは思わなかった。
対して「ボーカルトレーニング」とは、「歌唱のテクニック」の訓練である。抑揚やビブラート、エッジボイスやウィスパーボイス等、曲ごとに様々な歌唱テクニックを使い分ける訓練を指す言葉である。少々強引な例えだが、「ボイストレーニング」を「全集中の呼吸の鍛錬」とするならば、こちらは「型の訓練」と言えるだろう。
ところで、炭治郎は型の訓練の前に深山で呼吸の鍛錬を行った。なぜか?それは基本の呼吸が出来ていなければ、鬼を断つ斬撃に威力が乗らず、たとえ“型”の斬撃を放ったとて、鬼を斬るに至らぬためである。「全集中の呼吸」を習得していないものが“壱の型 水面斬り”を放ったところで、それはただの横薙ぎの斬閃であり、猿真似に過ぎないのである。鬼を斬るに能わない。
これと全く同じことが、ボーカルスクールにおいても言える。
基礎的な“呼吸法”、すなわちボイストレーニングを習熟していなければ、“型”すなわちボーカルテクニックを効果的に使えないのである。お分かりいただけただろうか?ボーカルスクールは鬼殺隊だったのだ。
ここで終わるのも物悲しいので、蛇足を少々。
鬼殺隊に“継子”という幼少期からの鍛錬があるのと同じように、ボーカルレッスンにも幼少期からの訓練というものがある。一般的に音楽の訓練というのは幼いうちから行った方が良いとされており、音楽家は娘息子に幼い頃からの音楽的教育を施す傾向にある。
私が師事したトレーナーの方も、まさしくその元“継子”であった。プロフィールを見るとずらりと並ぶ経歴。9歳で〇〇スクールに通い始め、1〇歳でナントカカントカ、音大に通い始め、〇〇歳よりボイストレーナーとなり今に至る。幼少期から鍛え上げられた凄まじい実力の持ち主であることが、経歴を見るだけでありありと伺える。まさしくかつての“継子”、そして今の“柱”である。安直に命名するなら“音柱”、もうこれは宇髄天元と呼んでも過言ではないだろう。いやレッスン体験を行った方は女性だったから、胡蝶しのぶにしておこうか。
私はボーカルスクールで胡蝶しのぶに師事していたのだ。これは胸踊る展開である。今から本格的に通うのが楽しみである。
ミュージックスクールは鬼殺隊だった 写絵あきら @zzziakira
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