第53話 暗躍 2

「考えてもみるのじゃ、小鳥遊クン。ここ最近の、ここいら近辺の生活環境は、どうじゃった? 平穏無事……じゃったかのう?」


そこまで云われて、ようやく小鳥遊クンは思い出す。

この地域で最近 起こったトラブルの数々を……


「そう云えば……」


夜な夜な出没する暴走族によって、深刻な睡眠障害に悩まされたのは、いつだっただろうか?

周辺をたむろする不良グループによって、治安の悪化に悩まされたのは、いつだっただろうか?


『全てが、ここ数か月の内に起こった出来事ではなかったか?』


小鳥遊クンは、急速に、不自然な程に悪化した、治安環境に想いを馳せる。


ここは場末の繁華街などではなく、公務員宿舎の集まる、れっきとした閑静な住宅街。

これまでは治安を懸念する様な声など、一切漏れ聞こえては来なかったのに……


実際の所、巻き起こった騒動のことごとくは、エンリの強制的な武力介入によって壊滅し、沈静化している。

だが、沈静化までに暴走族や不良グループが、この地域の周辺住民に与えたストレスは、相当なモノであったと云える。


もし仮に、彼らの横暴が、今の今まで続いていたとすれば、この地域の住民の不満は、おそらく爆発寸前にまで高まっていた事だろう。


「ちょっと待って、エンリ。それって一連の騒動が全て……」

興が乗って来たエンリは、小鳥遊クンの制止を無視して説明を続ける。


「睡眠不足は人の神経を摩耗させ、冷静な判断力を奪うのじゃ。過剰なストレスは癇癪を起こし易くし、そして治安の悪化は、行政への不満、不信を招き、「おかみが やらぬなら我々が……」と、自浄努力と云う名の、私的制裁を促す土壌を形成するモノなのじゃ」

「エンリ……」


実際の所、私的制裁における筆頭断罪者は、エンリその人であるのだが、この際それは、きっぱり無視する事にする。

なにせ、その内の幾つかは、小鳥遊クンの与り知らぬ事でもある訳だし……


エンリの説明に、小鳥遊クンは思い当たる事が多々あった。


連日連夜に渡る暴走族の騒音問題。

恐喝や暴行の増加による危機意識の増加。


周辺地域の治安の悪化を受けて、『町内会の有志による自警団が結成』が回覧板に告知されていたのは、いつの事だっただろうか?


確か前に、イケメン会社員から手渡された回覧板に、そんな事が書かれていた筈だ。


つまり この界隈では、自警団を結成してでも治安を維持する必要性を感じる程に、近隣住民の不安とストレスは、限界に近づいていたと云う事に他ならない。


そりゃあ、当然だ。


この地区には学校や幼稚園、保育所などの施設があり、道を行き交う児童の数も多い。

子を持つ親としては、いつ子供に被害が及ぶか、心配で堪らなかった事だろう。


「そんな中でじゃ。住民の不満の捌け口となりやすい、明確で糾弾しやすい、あからさまな『悪人』が目の前に現れれば、どうなっていたじゃろうな?」


治安の悪化を受け、子供を危険から守る為に、いつもより過敏になっている大人達。

そこに、児童虐待の疑いを持つ人物がいると云う噂が流れ始める。


溜まりに溜まったストレスは、過剰な拒絶反応へと姿を変え、何処へ向かうと予測できる?


「それって一触触発の事態じゃないか!」


鈍い小鳥遊クンにも、段々と状況の理解が追いついてきた。

それと同時に、自分の今の立場が、いかに危ういかを認識し、青ざめる。


「何を今更じゃ……」


エンリは嘆息する。

鈍いにも程があると云うモノだ。


「じゃがのぅ、疑問もある」


どう考えても宣戦布告から示威行動開始までの時間が短過ぎる。


これまで用意周到に準備を進めておきながら、ここに来ての意味のない拙速。

「画龍点睛を欠く」と云わざるを得ない。


「あの様な示威行動は、本来 噂が十分に周知されてから行われるべきモノなのじゃ。なぜなら、周囲が小鳥遊クンの悪行を十分に認知していなければ、彼奴あやつらが何か問題を起こしても、その責が小鳥遊クンに向かぬからのう」


そう云ってエンリは、店内で怒鳴り散らしているリーゼント頭を指差す。

そしてゴリマッチョ部長も、エンリの意見に首肯しつつ、口を開く。


「そうだな。「噂千里を走る」と云っても、彼らの喧伝する小鳥遊クンの悪行が、周囲に十分に流布し、耳目が小鳥遊クンに集中するまでには、暫しの時が必要だ」


狙った噂を広める為には、下地となる環境と、伝播までの待ち時間が必要なのだ。

部長の補足的な説明を聞き終えると、小鳥遊クンは「う~ん」と頭を抱えた。


「で、じゃ。奴らが小鳥遊クン悪人説の周知を始めてから、まだ1日も経っておらん そんな状況で、何か小鳥遊クン絡みで問題を起こしたとしてもじゃ。それを周囲が小鳥遊クンの責任と結びつける下地は、まだ出来ては おらんと、部長は云うておる訳じゃ」

「つまり、間が無さ過ぎると云う事?」

「そうだ」


部長は大仰に頷く。


「標的とされる相手の方が悪い」と云う、共通の社会認識が無ければ、テロの実行犯が いくら頑張っても、英雄にはなれないのと、事は同じだ。

直接的な示威行動は、社会がそれを肯定する下地が出来てからでないと成功しない。


本来であれば、疑惑が十分に蔓延した後で、実被害を演出しないとならないのに、今回は、それを端折って、疑惑の提起と ほぼ同時に、相手が事を起こした。


これまで準備した大切な舞台を ぶち壊してまで、だ。


あと少し我慢していれば、彼らの行動は、劇的かつ効果的に、小鳥遊クンを追い詰める一手となっていただろうに……


「それって、相手が焦っているって事?」

「ふむ……」

「そうじゃのう。事を急がねばならない何かが、あるやもしれんのじゃ」


過去の事例から考えても、連中が下部組織を使って示威行動を起こすのは、虐待疑惑の認知が、きちんと周辺に行き届いてからである。

それまでは、ビラをばら撒き、噂をまき散らす、えげつない心理戦に終始していたと、報告書にもあった。


「やはり、何か……」

「お待たせしましたぁ~」


部長が再び考えを巡らそうとした丁度その時、喫茶店のマスターが、小鳥遊クン達の注文した品を持って、店の奥から姿を現した。

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