第51話 ヒョロ男の憂鬱

不良集団の一部が、当初の予定通り、店内へと流れ込むのを確認すると、男は緊張をきほぐす為に、吐息を1ついた。


「待っていて下さいね。すぐに其処から助け出してあげまふから……フヒョ」


不良集団を取り巻く群衆の中に、雰囲気の異なるヒョロ男が、一人だけ紛れ込んでいた。

ヒョロ男は、ズレた眼鏡の位置をクイッっと修正しつつ、舌足らずな口調でボソボソと呟く。


「ここまでは、なんとかなりましたでふ……」


手筈通りに行かなかった部分もありはしたが、概ね当初の計画通りに事は進んでいる。

生じた齟齬は、修正可能範囲で収まっているはずだ。


ヒョロ男は、細目こまめに移動を繰り返しながら、喫茶店を取り囲む群衆に紛れ、目的の少女を密かに確認する。


見つめる先は、喫茶店の大きな窓。


さらに その奥に、不安げな瞳で辺りをキョロキョロと見回す、可憐で幼い少女の姿があった。


「おい! 救急車だ。救急車を呼んでくれ!」

「駄目だ! 電話が繋がらねぇ。どっか他に公衆電話は無ぇのか!」


ヒョロ男のすぐ目の前では、顔面 血塗ちまみれで倒れ込んでいる少年と、その仲間らしい不良少年達が、パニックになりながら、喧喧囂囂けんけんごうごうと騒いでいる。


醜い絶叫を上げながら、のた打ち回るのは、先ほど店のガラス窓を叩き割ろうとしていた少年達であった。


『それにしても、店舗用の強化ガラスって、思った以上に頑丈なんふねぇ……』


そんな彼らを、冷ややかな瞳で眺めながら、ヒョロ男は心の中で、感慨深げに呟く。

そこには、少年達に対する同情や心配など、微塵も感じられない。


ヒョロ男から漂う気配は、計画通りガラスが割れなかった驚きと、ただただ、幼気いたいけな少女が座る席の窓ガラスをブチ破ろうとした、阿呆共に対する侮蔑と憤慨の感情のみである。


『これだから、学の無い馬鹿共は、嫌いなんでふよぉぉぉ!』

ヒョロ男は毒づく。


確かに自分は、彼らが店の窓ガラスを粉砕する様に、そそのかしはした。

それは認める所だ。


でも、一言も「少女に怪我をさせろ」とは、云った覚えがない。

そう、断じてだ。


『まったく! ちょっとは「頭を使って考えろ!」でふぅ』

有名大学を首席で卒業した経歴を持つヒョロ男は、社会的底辺の彼らを見下し罵倒する。


そもそも、割れたガラス片で少女が怪我をする可能性に少しでも思い至っていたなら、少女の座る座席 周辺の窓ガラスを割ろうなどと、馬鹿な考えには及ばなかったはずだ。


『バカでふ? 馬鹿でふよね? バカでふもの!』


所詮、奴らは金と薬と、ちょっとした煽動で動く様な社会のクズ。

自分達が『正義のミカタ』である事の自覚を望むべくもない。


こちらが どう頑張った所で、「幼子を悪辣な暴力装置より開放する」と云う、我々の崇高な目的を、真の意味で理解させる事など、出来はしない連中なのだ。


『やはり、単なる捨て駒以上の価値は無いでふか……』


つまるところ、同志として、仲間としての適性は、皆無と云える。


ヒョロ男は遠慮のない失望の眼差しを、不良集団に向かって投げつけた。

胸がスッとして、込み上げる幾ばくかの優越感が、心地良く心身を満たす。


【ようやく見つけたのじゃ】


そんな中、不意にヒョロ男の脳裏に声が聞こえた様な気がした。


気が付くと、喫茶店の店内から、あの少女が此方を見詰めているではないか。

まるで縋る様に、助けを求める様な視線でもって……


「あっ……」


少女は、ヒョロ男と目が合った事に気付くと、嬉しそうに微笑んだ。

それは、地獄の底で一本の蜘蛛の糸を見つけたかの様に、末法の世に弥勒の光明を見つけたかの様に……


ヒョロ男の胸が高鳴る。


『待っていて下さいでふ。僕ちんが、どんな手段を用いても、必ず其処から助け出してあげまふから』


ヒョロ男は窓越しの少女に誓う。


自分が、自分こそが、あの不幸な少女を、この世の地獄から救い出す、救世主であるのだ。

その為に、これまで頑張って来たのだ。


「そうなのでふ。一刻も早く、あの不幸な少女を、<<チー・サンエラ・クォン>>へと送り届けねば、ならないでふぅ!」


拳を握りしめ、ヒョロ男は熱き想いを口にする。

その異常な態度には、危険な陶酔の匂いがした。


【チー・サンエラ・クォン?】


そうだ。

差別も暴力も無い、真に平等で平和な楽園に、彼女達の様な不幸な子供達を送り届ける事が、我々に課せられた使命なのだ。


彼女達を塗炭の苦しみから解放し、永久の安寧が約束された<<チー・サンエラ・クォン>>へと送り届け、ゆくゆくは彼女達と幸福な時を共に過ごす。


彼女たちはその生涯を通じて、解放者たる我々を愛し、敬ってくれる事だろう。


【じゃが、どうやってじゃ?】


窓の向こうから、そっと こちらを窺う可憐な少女の不安気な問い掛けが、ヒョロ男には聞こえた様な気がした。


「大丈夫。安心してでふぅ」

ヒョロ男は熱に浮かされたかの様な表情で、窓の向こうの少女に語り掛ける。


彼と彼女との間には、分厚い窓と十数メートルもの距離があり、精一杯 叫んだところで声など届く筈もない。


それでも、ヒョロ男は語らずにはいられなかった。

自分達の素晴らしい計画について……


「じきに<<船>>が来るでふ。それに乗って、この地を脱出ふるでふ。大丈夫、貴女と同じ境遇の子供達と一緒。寂しくなんてありませんでふ」


日常的に親からの暴力に曝され、萎縮し、ただ日々を怯えながら暮らしている少女達。

そんな奴隷よりも劣る日々から助け出してくれた、白馬の騎士たる自分に、君達は最大限の感謝を捧げる。


ヒョロ男は自信満々な表情で、少女に合図を送った。


そう、我々には『常勝の秘策』があるのだ。

これまでに何度も試行錯誤を繰り返し、より完璧に、より効率よく、成功までの方法論が確立された万全の策。


「それを使って、今回も必ず成功させてみせるでふ!」


ヒョロ男は手順を復習さらう様に、順に確認していく。

最初から一つずつ。

取りこぼしが無いかを反芻しながら。


【なるほどのぅ……】


ヒョロ男は気付かない。

その思考を側で盗み見ている存在がいる事に……

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