第45話 落書きを考察しよう 1
人、人、人……、人だかり。
「おっふ……」
目の前に広がった光景に、小鳥遊クンは絶句する。
小鳥遊クンの自宅前の道路には、辺り一面、詰め掛けた大勢の人々によって、交通渋滞が発生していた。
写真のフラッシュと、ガヤガヤとした喧騒が、辺り一帯を支配している。
出動したパトカーの赤色灯が、定期的に人々の顔を照らし、パトカーの車載スピーカーからは、苛立つ警察官の撤収勧告が、絶えず流されていた。
騒ぎが人を呼び、人が騒ぎを呼び起こす。
これはもう、嫌な予感しかしない。
「すいません。ちょっと通して貰えませんか?」
人込みを掻き分けて、小鳥遊クン達は自宅のあるアパートの前に、なんとか辿り着いた。
「なっ!?」
目の前に広がった光景に言葉を失う小鳥遊クン。
いつもなら、そこにはシックでモダンな、至って普通なアパートの玄関があるはずだった。
だが今は、カラフルな落書きに彩られた、退廃的かつ前衛的な、迷彩色の『何か』となっている。
「いやはや、誹謗中傷もココまで来ると、最早 芸術作品じゃのう」
エンリは、感心した様な、呆れた様な声で、感想を溢す。
エンリの発言を受けて、ようやく気付く小鳥遊クン。
よくよく落書きを観察すると、模様かと思われたソレは、全て「人間のクズ」とか「ペド野郎」とか、中には卑猥過ぎて、お子様には見せられない様な、罵詈雑言で占められていた。
「罵詈雑言の
見物人から、落書きに対する的確なコメントが発せられる。
見るに堪えない暴言によって埋め尽くされた壁は、確かに見方によっては、
「芸術は爆発だ。キャンバスは闘技場だ。って云う芸術家もいたけど、これを見たら、きっと草葉の陰で号泣するよ」と、小鳥遊クンは呟く。
「小鳥遊クン。これは、どう云う意味なのじゃ?」
エンリの声に、ハッと意識を引き戻される小鳥遊クン。
振り向くと、そこには首を捻りながら、目の前の落書きを指差すエンリがいた。
「どうも この落書きは、他のと少々毛色が違うのじゃ」
小鳥遊クンが確認すると、そこには
「やけに文学的だな、おい!」
思わずツッコミを入れる小鳥遊クン。
ハンバート・ハンバートは、ウラジミール・ナボコフ著『ロリータ』で、12歳の少女に恋する倒錯した おっさん。
光源氏は、紫式部著『源氏物語』で、10歳の少女に懸想するハーレムマスターの事である。
つまり、かなり迂遠な表現で「
「なんじゃ? これでは、伝えたい事が一周廻って、却って解り難いのじゃ」
小鳥遊クンの説明に、しっぶい顔をするエンリ。
文学作品の『ロリータ』が、<<ロリータ・コンプレックス>>即ち<<ロリコン>>の元ネタだと知っている人は多くとも、その大元たる登場人物の名前まで知っている人は稀であろう。
「なら、これも その系統かのう。『ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンの おたんこなーす』」
「ドルトエフスキーの『悪霊』の
「あと、こっちは『スワの父ちゃん、でーべそ』」
「おそらく太宰治の『魚服記』……ってか、これじゃあディスられてるのは、
どっちも児童を性的に虐待した物語の登場人物である。
「よくもまぁ、半日ちょいで、ここまで書き上げたものじゃな」
そうなのだ。
この玄関。朝の出勤時には、いつもの普通の玄関だった。
つまり落書き犯は、これだけの規模の落書きを、平日の昼間に堂々と敢行した事になる。
「けど、人の目のある日中の出来事なら、犯人は直ぐに見つかりそうだね」
監視班が常に見張っているアパート前で落書きを敢行した以上、犯人の検挙は時間の問題かと思われた。
「いや。そうとも言い切れんがなっ」
「部長!?」
アパートの玄関先で呑気に会話する二人の背後から、巨漢のおっさんがヌボッと姿を現す。
不機嫌そうな態度を隠そうともしない所をみると、先程の発言に絡んだ事案に頭を悩ませている事は確実だろう。
それこそ、いまにもプッツンしそうな、非常に危なげな雰囲気を纏わり着かせていた。
「アパートに落書きした者達を片っ端から拘束したが、結局、黒幕に繋がる者はいなかった」
「どう云う事なのじゃ?」
エンリが興味深そうに尋ねる。
部長は手に持っていた缶コーヒーで喉を潤すと溜息を吐き、おもむろに事の経緯を語り始めた。
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