第42話 世間の目に抗おう 1

「エンリ。今晩、何が食べたい?」

「そうじゃのう……」


小鳥遊クンはエンリを連れて、いつものスーパーマーケットで食材の物色中。

夕飯の献立を考えるのは、毎度毎度、面倒な作業である。


「おっ! エンリ、ぶりの刺身があるよ」

鮮魚コーナーの隅に1つだけポツンと置かれた、徳用パックの刺身を目ざとく発見する小鳥遊クン。


「待つのじゃ!」

手に取って確かめようとした小鳥遊クンを鋭く制するエンリ。


どうした事かと振り向く小鳥遊クンに対し、エンリはパックに貼られたシールを指差して指摘する。


「それには半額シールが貼られておるのじゃ。それに身の色も心なしか悪いのじゃ」

グルメな養女様は、「新鮮じゃない刺身は食べたくない」と声高に主張する。


だが、相手は百戦錬磨の台所の守護神。

小鳥遊クンは、エンリの主張に臆する事なく真っ向から反論した。


「エンリ。まぐろや鰤みたいな大きな魚は、時間を置くほど旨味が増すんだよ」

「なん……じゃと?」


小鳥遊クンの説明に懐疑的な視線を向けるエンリ。


「熟成と云ってね。魚に含まれるアデノシン三リン酸が、時間の経過と共に分解されて、旨み成分であるイノシン酸に変わるんだ」


科学的な専門用語が使われると、どんな説明でも「らしく」聞こえるものだ。

小鳥遊クンは「それに……」と前置きして、さらに言葉を続けた。


「今回はコレを刺身としてじゃなく、鰤の温飯あつめしにして食べようと思うんだ」

「鰤の温飯じゃと?」


小鳥遊クンの云う『鰤の温飯』とは、醤油基調のタレに漬け込んだ鰤の切り身を、熱々のどんぶりご飯の上に豪快に乗せ、海苔、ネギ、ゴマなどの薬味を添えて、お茶や だし汁をかけて食べる、大分県の郷土料理の事である。


「ほう。それは美味そうじゃのう!」

「鰤の旨味成分であるイノシン酸。それに、醤油の旨味成分であるグルタミン酸が加わり。さらには、グアニル酸を大量に含む干し椎茸しいたけから取った出汁だしを加える!」

「おおっぅ!」


旨味成分は量ではなく、数がモノを云う。

単独で味わうよりも、複合させる事で、より高い相乗効果を齎すのだ。

小鳥遊クンの解説では、それが少なくとも3種加わる事が確定している。


「旨味の三重奏なのじゃ~!!」


これで美味くない筈がない。

さっそくエンリは、買い物カゴに徳用パックの鰤の刺身を放り込んだ。


チラチラ

周囲から奥様方の視線が二人に向かう。


「ん?」

「小鳥遊クン。グズグズせずに、次に行くのじゃ!」


エンリは小鳥遊クンの腕を引きつつ、足りない食材を求めてスーパーを跋扈する。

干し椎茸に薬味各種。

この際、醤油も高級なモノを使いたい。


エンリは、小瓶にしては少々値の張る醤油を、遠慮なく買い物籠へと投入する。


チラチラチラ

愉し気な彼らの姿に、周囲の耳目が集まる。


「もう、エンリ。無駄な支出は抑えてくれないかなぁ……」

「なんじゃ。けち臭い男は女子おなごにモテぬぞ」


チラチラチラチラ


エンリの何気ない一言に、小鳥遊クンは「はうぁ!」と胸を押さえて落ち込んだ。

何か触れてはならない過去のトラウマを刺激した様だった。


そんな小鳥遊クンを捨て置いて、エンリは「食に関する妥協はせぬぞ」と猛進する。

少しは養父の心と財布を労わる心を持って貰いたいものだ。


「もう。あんまり我儘プーだと、今日のご飯は出来合いの惣菜に変更するからね!」

「なんじゃと! 小鳥遊クンは、愛しい娘に餓死しろと申すのか!」


チラチラチラチラチラ


「どんだけ? スーパーの惣菜も結構 美味しいよ?」

「たわけ! どんなに美味かろうと、信の置けぬ輩が作った料理なぞ食えぬのじゃ」


頬を膨らませて、ぷりぷり怒るエンリの態度に、「この我儘娘がぁ」と、頭を抱える小鳥遊クン。

この時、エンリは色々と意味深な台詞を云ったのだが、そこには気付かない辺り、小鳥遊クンの鈍さも大概である。


チラチラチラチラチラチラ


「ねぇ……なんか周りの様子が変じゃない?」


小鳥遊クンは訝しげな表情で、こっそりとエンリに尋ねた。

どうも先程から変な視線を感じるのだ。


「なんじゃ、今頃 気付いたのか。ほんに鈍いのぅ」

エンリは呆れた声で小鳥遊クンの疑問に答えた。

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