第34話 名探偵エンリちゃん 1


「いや、美味かった」


部長の この一言が全てを物語る。

小鳥遊クンの牛タンは、世事抜きで至高の一品だったと。


この満足した状態から、直ぐにでも風呂、そして、嫁……もとい! 就寝と、ハッピーコンボを決められれば、これに勝る至福は無い事だろう。


しかし、お腹がくちて、人心地つくと、途端に仕事の虫が顔を出す。

部長の悪い癖だ。


ゴリマッチョ部長は、仕舞っていた写真を取り出すと、再び考え込む。


彼の正体は何なのか?

何故、小鳥遊家に目を付けた?

目的は?


「わからん。この男は、いったい何の目的があって、小鳥遊家を探っていたのだ?」

「パンツじゃのう」


何気ない呟きに、耳元で即応する声が上がった。


「ほぉわっ?」

部長が思わず素っ頓狂な声を上げてしまった事を、誰も責めはすまい。

真面目な部長には想像も付かない世界が、この世の中にはあるのだから……


「つまりだ。こいつが小鳥遊家を探っていた目的は、嬢ちゃんのパンツを手に入れる為だったってーのか?」

「あほう。ならば直ぐに気付いているのじゃ」


部長の言葉に、エンリはプンスカと怒る。

己に寄せられるよこしまな視線に気づかぬほど、自分は そんなに鈍くないと。


「えっ!?」っと云う驚きと共に、部長は小鳥遊クンの方に視線を向けた。


「と云う事は、まさか……」

「その「まさか……」なのじゃ」


可哀想な人を見る様な二人の視線が、小鳥遊クンに突き刺さる。

一瞬、二人の視線に居心地悪そうな表情をする小鳥遊クンだったが、肉の美味さには抗えず、すぐさま食べる事に集中する。


肉、肉、肉、酒、肉、肉、肉……


ジューと云う肉の焼ける香ばしい音が、テーブル周辺に響き渡る。

あれでは よほどの大声でも出さぬ限り、こちらの声など届かないであろう。


「まさか小鳥遊クンが同性のストーカーに狙われるだなんて……。流石にそれは想定外だ」


部長は小声で呟いた。

最初、政府関係者以外の第三者が小鳥遊家を狙っている可能性に辿り着いた時には、随分と肝を冷やしたものだ。


組織的情報漏洩の可能性。

国家的諜報活動の可能性。


どちらにしろ、面倒な事に変わりはなかった。

だが、蓋を開けてみれば、国家や組織的 規模の策謀ではなく、単なる個人的なストーキングだと云う。

正直、脱力せずにはいられない。


「なんにせよ、裏に組織的な黒幕がいないなら、面倒事にはならないな。安心した」

「んっ? 誰が「黒幕はいない」などと云ったのじゃ?」


部長の安堵の声に対し、エンリは不穏ふおんな台詞を吐き出した。

キョトンとする部長に対し、エンリは溜息を吐きつつ質問する。


「この総合商社とやらは、精神に問題を抱えた人間を採用するほど、人事が緩い会社なのかのぅ?」

「まさか!」


エンリの問い掛けに部長は、すぐさま否定の言葉を投げる。


高い学歴、優秀な入社試験の成績、何度も繰り返される面接等を潜り抜け、ようやく採用される様な一流企業である。

可能性がゼロとは云わないが、歪な精神構造の人間が、安易に就職できる様な会社とは一線を画している。


「うむ、同意見なのじゃ。少なくとも、あやつは非常に優秀な人材である事は、間違いないのじゃ。ただ一点、小鳥遊クンのパンツに執着さえしなければ……じゃがのぅ」


彼は、頭の回転も速く、機転も利く。

それはスーパーマーケットでの交渉においても、遺憾無く発揮されていた。

ただ、小鳥遊クンのパンツが絡むと、途端にアホの子になるだけだ。


「奴は『魅了』の状態異常に掛かっておるのじゃ」

エンリは そう断言した。

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