第32話 食卓の魔術師 2

アジア系の諜報員とおぼしき<<緑の絆創膏の男>>の正体を掴もうと、捕らえた暴走族の聴取に躍起になってはみたものの、やはり目立つ絆創膏が目眩めくらましとなり、彼らの証言だけでは、どうしても男の正体を特定するにはいたらなかった。


だが、族の一人が盗撮マニアだった事が、一縷の光明となる。

押収した族の改造カメラには、実に様々な写真が撮り溜められていたのだ。


その殆どは、女性の下着を狙ったローアングルの写真か、女性との如何いかがわしい行為を写した写真だったのだが、その中の一枚に、小鳥遊家を探るよう依頼した、<<緑の絆創膏の男>>の写真が、運良く写り込んでいた。


妻子不在の折、たまたま自宅に盗撮写真を持ち帰って、舐る様に隅々までチェックしていた部長が、コレを発見できたと云う訳だ。


「ほほぅ……」

エンリが意味深な視線をゴリマッチョ部長に向ける。


部長は「ゴホン」と咳払い1つして、幼女の視線をかわす。

当然、入手した詳しい経緯については、一切 触れないつもりだ。


「ほ~ら、食事始めるから、皆 手を洗って来て」

そうこうしていると、小鳥遊クンが再び台所から現れる。


食材を乗せた大皿を両手に持って、先程からパタパタとせわしなく動く事、動く事。

気が付くと、テーブルの上には、七輪に大皿小皿。そして様々な素材と、ホカホカご飯までが、行儀良く鎮座していた。


準備は整い、後は食すのみ。

云いつけ通り、手を洗って食卓に着くエンリと部長。


「じゃあ、始めましょうか!」

小鳥遊クンの宣言と共に、中央の七輪に煌々と熱を発する備長炭が投入された。


「エンリは煙の処理をお願いしますね」

「わかったのじゃ。一切の漏れなく処理するのじゃ」


詠唱と共に、七輪の上空に魔方陣が展開され、緩やかに周囲の空気を吸い込み始める。


「おいおい」と焦る部長を尻目に、小鳥遊クンは何食わぬ顔で作業を続ける。

小鳥遊クンにとっては、既にこれが日常なのである。


そして、十分に熱せられた金網の上に、常温に戻して下処理の終えた牛タンが、ついに投入された。

ジュっと云う音と共に、備長炭の輻射熱で、肉の表面がじんわりと焦げていく。


「まだ、まだまだ……よし、今だ」


肉の表面に溶けた油が浮いてくる頃合いを見計らって、小鳥遊クンはパラリと軽く塩を降りかける。

すると、肉が凹状おうじょうに反り始め、表に染み出た肉汁を、肉のお椀の内側に封じ込める。


「ここで薬味を投入します」


お椀状に反りかえった牛タンの肉汁の中に、細く切った白髪しらがねぎを大量に投入する。

見る見るうちに葱が肉汁を吸い上げ、光沢を増していく。


備長炭の輻射熱で裏面はカリカリに、そして遠赤外線で、表面には しっとりと熱が通った頃合いを見計らい、小鳥遊クンは牛タンを七輪から取り出し、お皿に盛りつけた。


「ほわぁ~、たまらんのじゃ!」


ちなみに ここまで、七輪からは一切の煙は出ていない。

これは、肉汁が一滴も炭の上に落ちなかったあかしであり、肉が僅かでも焦げていないあかしでもあった。


「まさに職人技だな。ではさっそく……」

部長は辛抱たまらず、焼き上がった牛タンへと箸を伸ばす。


「待ってください!」

小鳥遊クンは、そんな部長の手を強引に止めた。


「最後の仕上げが残っています。部長」

そう云うと、小鳥遊クンは小瓶を取り出し、その中の赤いペースト状のモノを、皿の上の牛タンへ、チョンと塗り付けた。


「これは?」

「自家製の唐辛子味噌です」


食欲を否応なく掻き立てる肉の香ばしい匂いの中に、得も云えぬスパイスの芳香が加わった。


「最高級の炭火を使う事によって、裏はカリッと香ばしく、表はジューシーな仕上がりに。染み出た肉汁は、余すことなく白髪葱に吸わせ、脂っぽさは薬味の持つ清涼感で相殺そうさいさせました。そして最後に、この唐辛子味噌を使って味にアクセントを……」


「うぉぉぉぉ! うまいぞー!」

「うまいのじゃー!」


小鳥遊クンの解説など、誰も聞いてはいなかった。

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