第31話 食卓の魔術師 1


ピンポーン


チャイムが鳴る。

遅れて「はい、は~い」と、台所からエプロン姿で玄関へと向かう小鳥遊クン。

そんな小鳥遊クンを横目に、エンリは居間でお茶を啜りながら、経済新聞を読みふけっていた。


まさに亭主関白な旦那と新妻の図。

もっとも中身は、旦那が幼女で、新妻は養父おっさんなのではあるが……


「おや、部長。どうしたんですか? こんな時間に……」


扉を開けた小鳥遊クンが、意外な人物の来訪に声を上げる。

どうやらゴリマッチョ部長が、手土産てみやげ持参で小鳥遊家を訪ねて来たらしい。


「嫁と娘が、うちの実家に帰省中でな。俺では折角の食材を上手く扱えん。小鳥遊クンは、こう云うの得意だろ?」


玄関先から期待の籠った部長の声が聞こえてくる。

何の事は無い。貰い物の高級食材を活かして、何か美味いモノを作ってくれとの仰せだ。


信頼する上司に腕を頼られて、張り切らない部下はいないだろう。

例え、それがプライベートな御三おさんどんだったとしても。


暫くすると、ホクホク顔の小鳥遊クンが、両手に何やら高級そうな桐箱を抱えて戻ってきた。


「エンリ。今日の夕飯は、予定を変更して、牛タンにしよう!」


こうして小鳥遊家の夕飯は、部長の実家である仙台県の特産。最高級A5ランクの仙台牛、そのタンを使った肉料理となった。


ふんふっふ~ん♪

トントントン


包丁の小気味よい音と共に、ご機嫌な鼻唄が台所から響いて来る。

そんな小鳥遊クンの鼻歌をBGMに、料理の支度が整うまで、エンリと部長は二人っきり、お茶を啜りながら、静かに居間で待つ事となった。


「で、どう云うつもりなのじゃ?」

気まずい沈黙を破り、エンリは怪訝な瞳でゴリマッチョ部長に問いかける。


「ふむ……」

エンリの問い掛けに、飲みかけだった湯呑をコトリとテーブルに置くと、ゴリマッチョ部長は懐から一枚の写真を取り出した。


「実は、我々政府関係者で、秘かに小鳥遊家を探っていた人物がいやがった」

そう云って、警備の手落ちを謝罪するゴリマッチョ部長。


テーブルに置かれた写真を一瞥すると、そこにはエンリも良く知る、とある人物が写り込んでいた。

その画像は引き延ばされて、若干 荒くはなっているものの、容姿の判別は十分じゅうぶん可能だった。


ただ、エンリの見知る いつもの顔と違いがあるとすれば、それは一点。

鼻に大きな<<緑の絆創膏>>を貼った、かなり滑稽な恰好をしている事くらいだ。


「あれ? それって、近所のイケメンさんの写真じゃないですか。どうしたんです?」

エンリが写真を確認していると、小鳥遊クンが手に重たそうな七輪を持って居間に現れた。


「小鳥遊クンは、彼を知っているのか?」

「ええ、殆ど毎日会う ご近所さんです。確か、業界最大手の総合商社の営業マンだって云ってました。凄いですよね。エリートですよ、エリート」


お気楽な小鳥遊クンの回答に、「どう云う事だ?」と部長は首を傾げる。

監視班からは、そう云う人物がいると云う報告は、一切上がって来ていない。


小鳥遊クンが、写真の彼を不審人物として認識していないのは仕方ないとしても、監視班が見逃すのは異常だ。

彼らは、小鳥遊家に故意に接触を試みる者がいれば、それを不審人物として、すべからく報告する義務を負っているのだから……


ゴリマッチョ部長は、監視班の仕事ぶりに対する疑惑を増々深めた。


先日の暴走族の件と云い、今回の事と云い、『エンリに対する余計な介入を未然に防ぐ』と云う監視班の役割が、十全に果たされていない気がする。

これは果たして、故意か、偶然か……


ゴリマッチョ部長は、エンリを巡る監視班の役割が、大きく変質している現状を知らない。


『何にせよ、その件は一先ず後だ』


監視班に対する監査は いずれ行うとして、まずは写真の彼の事が優先される。

部長は瞬時に気持ちを切り替えた。


「小鳥遊クン、助かった。実は彼の身元が知りたかったんだ。その商社には外務省のOBが数人天下っているから、そっち経由で、すぐにでも人物照会する事にしよう!」


写真のおかげで、思わぬ所から緑の絆創膏の男の手掛かりが手に入った。

ならば、アクションは早い方が良い。


相手が本物の諜報員なら偽装の可能性も多分にあるが、手掛かりが何もないよりは、はるかにしな状況と云える。

それに毎日会うと云う事は、近所に居住していると云うのも、あながち嘘ではないはずだ。


『しかし、よもや監視対象に堂々と素顔をさらし、頻繁に挨拶や言葉を交わしていたとはな……』


彼の行動は、一般的な裏社会の常識とは、かけ離れた印象を受ける。

それに、どうも話を聞く限りだと、諜報活動をしている者の独特の『気配』と云うか『匂い』が感じられない。

そこはかとなく漂う素人しろうと臭さが気になった。


部長は軍用無線トランシーバーを取り出すと、くだんの外務省OBとコンタクトを取るよう担当部署に指示し、並行して近隣住民の洗い出しを頼む。


縦社会の官僚機構において、無駄に横の繋がりの広い、部長ならではのフットワークの軽さだ。


「ほら、部長。仕事は後にして、ちゃっちゃとテーブルの上を片付けて下さい」


完全に おかんモードの小鳥遊クンは、手に持った七輪を、容赦なくドンとテーブルの中央に置いた。いい加減、握力の限界だったのだ。


「わっ!」


衝撃で、緑の絆創膏の男の姿を捉えた貴重な写真が、テーブルの上からヒラヒラとこぼれ落ちる。


「おいおい。偶然とは云え、人が苦労して入手した写真を……」


文句を云いながら、写真を拾い上げる部長。

そう。この写真を手に入れる事が出来たのは、まさに偶然の産物だったのだ。

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