第22話 会社員と交渉しよう 1

友人と別れた後、彼はファミレスを出て、真っ直ぐスーパーマーケットに向かった。

夕方の この時間帯。タイムセールに合わせて、かの人はスーパーで買い物をするのが判っている。


そこで彼は、<<偶然会った>>かの人に「こんばんは。今、お帰りですか?」と挨拶を交わすのだ。

そして、一時いっときの幸福感に酔いしれた後、会社に蜻蛉返りし、深夜まで残務を処理して帰宅するのが、日課となっていた。


「それじゃ、約束なのじゃ。好きなお菓子を選んでくるのじゃ!」

「わかってるよ、エンリ。ただし、両手で持てるだけだからね」


店内に溢れる雑多な雑音を掻き分けて、かの人の美声をイケメンエリートの耳は敏感に捉えた。

耳朶じだを打つ音の強弱と反響から、すぐさま かの人の位置を特定した彼は、間髪入れず、その場へと足を向ける。


焦る気持ちを抑えて、一歩、二歩……

二人っきりで挨拶を交わせる絶好の機会を逃さない為に……


「いや、ちょっと待て……」

ふとした思いが、イケメンエリートの脳裏をよぎった。


彼は少し逡巡したのち、断腸の思いで行き先を変更する。

彼が くるりと向きを変えた先は、製菓コーナー。

そこにいるであろう人物と秘密裏に邂逅するために……



     ◇◆◇



「麩菓子は鉄板として、後は煎餅にするか、饅頭にするか……悩み所なのじゃ」

製菓コーナーの棚の前では、絶世の美幼女が、何とも婆臭い悩みで頭を抱えていた。


目的の人物を発見したイケメンエリートは、注意深く周囲を確認する。

幸いにも、今この区画には、自分達以外の人影は見当たらない。それに当面は、人が近づきそうな気配も無かった。


他に無い幸運に、思わず笑みがこぼれる。

他人に見られたら、即通報されるレベルの邪悪な笑みだった。


『後は、如何に警戒されずに声を掛けるかだ』

不自然にならない様に注意を払いつつ、男は慎重に幼女へと近づく。


ここで不審者と思われては、目も当てられない。

まずは、警戒されない様に接触する事こそが肝要だった。


幸い彼女とは、見ず知らずの仲では無い。

一応、何度か面識があるので、よほどの事がない限りは、大丈夫なはずだ。


イケメンエリートは、意を決して声を掛けた。


「あっれ~、エンリちゃんじゃないか。お買いものか~い?」

「……」


ゆっくりと振り向いた幼女は、無言のジト目で、彼を見上げた。


「……エンリちゃ~ん??」

「なんじゃ、そちか。何ともキモワザとらしく現れおったのう……」


今度はダボハゼを見る様な目を向けながら、エンリは男と相対す。

溢れ出る嫌悪感を隠そうともしない。


まさかのファーストコンタクト失敗。

イケメンエリートは、流れ出る冷や汗と共に、自身の失態に、この時ようやく気付いた。


こうなる事は当然の結果だったのだ。


彼にとってエンリとは、小鳥遊クンの愛情を一身に受け、何の努力もせずにそばに居座る事が出来る、憎たらしい存在でしかない。


まったくの邪魔者以外の何者でもなく、極論、視界の端にすら入れたくない相手だ。


そんな思いが強すぎて、これまで彼は、無意識に彼女を<<いないモノ>>として扱い、一度として真面まともに会話を交わした事が無かった。


いつも会話は小鳥遊クンとだけ。

彼は目の前の幼女には視線すら向けていなかったのだ。


そんな人間が突然、馴れ馴れしい態度で話しかけてくれば、そりゃ警戒もするだろう。

イケメンエリートは、苦虫を噛み潰した様な思いで、舌打ちをする。


「こっちは菓子を選ぶのに忙しい。さっさと失せるが良いのじゃ」


エンリは駄犬を追い払うかの様にシッシと手を振ると、再び お菓子を物色し始める。

その顔は真剣そのものだ。

側に立つイケメンエリートの存在は、彼女の意識の端にすら掛かっていない様だった。


「何だったら、僕が代わりに、好きなお菓子を好きなだけ買ってあげようか?」

「なんじゃと?」


エンリは、イケメンエリートの突然の提案に、胡乱気うろんげな視線を向けた。

インパクトのある提案で、エンリの意識を引き戻す事に成功したイケメンエリートは、そのまま畳掛ける様に言葉を重ねる。


「僕のお願いを聞いてくれるなら、この棚の端から端まで、全ての お菓子を買ってあげても良いよ」

「ほう、それは何とも豪勢な提案じゃのう……」


エンリは呆れた様な声で応じる。


交渉に乗り気でない相手をテーブルに着かせるためには、それなりの利益を提示しなければならない。

イケメンエリートは、この場で提示できる最大のカードを、惜しみなく切った。


欲求に直結する飲食系。特にお菓子の持つ魅力は、幼い子供への交渉材料として、極めて高い価値を有す。

イケメンエリートが提示したカードは、彼の要求をエンリに呑ます対価として、十分な効力を発揮すると考えられた。


「じゃが、不要なのじゃ」

「なっ!?」


しかしエンリは、イケメンエリートの提案を歯牙しがにも掛けず、あっさりと拒否する。


「今、選んでいる菓子は、交渉術と云う技術テクニックを使って、おのが力で小鳥遊クンから直接勝ち得たモノじゃ。他人から、与えられる菓子モノになど、興味は無いのじゃ」


エンリの潔い言葉に、イケメンエリートは自分が酷く動揺している事を自覚する。


彼女の物言いは、間接的に自分の行いを否定された様に聞こえたのだ。

「欲しいモノがあるなら、こそこそせず、己の力で直接手に入れろ」と……

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