魚人女-6

 それから、男と女の奇妙な密会は連日続いた。

 男が岩礁までやってくると、いつも女――魔術を付与する薬〈凡庸なる者の祝福〉によって美人に擬態した魚人女〈蒼き底〉――が待っていて、二人は日が沈むまでの時間を共にする。

 始めの方は互いに沈黙していたが、次第に男が身の上話をするようになり、女はそれに相槌を返す、という風になった。


「おれは、こんな顔をしてるから、美に興味がないと思われているが、そんなことはない。おれだって美人が好きだし、綺麗な景色が好きだ。だが、身の程というのは、弁えてるからな。興味のない振りをしている。誰もが、おれという人間は醜悪を好む性質たちなのだと、勝手に押し付けてくるのだ」

「……うー……」

「ああ、悪い。愚痴をこぼしてばかりで」


 男は申し訳なさそうに笑う。

 男にとっては、こういった話を女が理解してくれるとは到底思っていなかったが、それがかえって良かった。誰かに吐き出したいだけの不満は、下手に反応を返されるよりは、聞き流してくれた方がいい。それに女は、話を聞いていない訳ではない。簡単な質問なら、拙い言葉で答えてくれるし、難解な内容であっても、男の話を聞こうという姿勢だけは、ぼんやりと感じ取れたからだ。

 女の方も、男が話している内は、自分に意識を向けていることは分かるため、男の方を見るようにしていた。本当は会話の内容を把握したいが、女はヒトの言語が分からない。一生を海の底で過ごすつもりだったので、人類の言語を殆ど覚えていないのだ。女は己の無学を恥じた。

 しかし、声の切れ目に合わせて頷くだけで、男は満足した様子だった。それに、共に過ごす内に、髪をさっと払うとか、笑顔を作ってみせるとか、そういう男の反応の良かった仕草を段々と学び、なるべく、男の喜ぶことをするように努めた。


「ああ、あんたは本当に素晴らしいや。こんな、不格好なおれの話を聞いてくれるし、おれをその気にさせてくれる。なあ、いいだろう? そろそろ、手ぐらいは繋いでも」


 岩肌に腰掛けて真っ赤な夕日を眺めながら、男は女に語りかける。

 実のところ、男も女との距離を測りかねていた。

 卑しく、程度の低い女ならば、無理にでも連れ出したり、手籠めにしたりするところだ。だが、この女は格別に美麗であり、を知る男の信念からすれば、本来自分とは、手を出すことが憚られる人間だ。

 しかし、ならば女は、自分の身辺のように高貴で煌びやかな存在かといえば、それもまた違う。服装は貧相だし、立ち振る舞いは辺境の村娘のように粗雑だ。会話ひとつも碌に成り立たない。何より、女の身体に染みついた魚臭さは、貴族達には受け入れられまい。男の価値観でいえば、「手をつけていい相手」にも含まれていた。

 要するに、どっちつかずなのだ。今まで行ってきた分類の外側にいるから、どう応対してよいか分からない。それに、下手をすれば、この幻想のような時間はあっさりと砕け散ってしまう気がして、普段以上に臆病になっていた。

 だからこうして遠回しに誘う位しか、男には打てる手がなかった。


「ああ、駄目か? 仕方がないな、そろそろ、日も暮れるから……」

「……お」


 立ち上がろうとした男を、女が呼び止めると、女は岩肌の上で指を滑らせて、少しずつ男の腕の方へと寄せていく。

 やがて、男の左腕の上に、女は恐る恐る肌を重ねた。

 男は、ひんやりとした感触を覚えた。


「あ……へい、き?」


 女は不安げに、男の顔を覗き込む。

 男は、右腕で女を抱え込むと、女に口付けをした。

 燃える夕日が、美女と野獣の影を映し出す。

 女の感触は、どこかぬめりに満ちていて、想像より一回りほど体躯がに感じられたが、今の男にとってはどうでもよかった。

 暫くして、唇を離す。糸を引いた体液が、海面を反射する光を浴びて、宝石のようにきらきらと輝く。


「接吻とは、苦いものだな」


 男は口元を拭うと、不細工な面で女に笑いかけ、そのまま立ち去っていく。

 女は男の後ろ姿を呆然と見送ると、日が沈みきっても、薬の効果が切れるまで、心ここに有らずといった体で立ち尽くしていた。

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