魚人女-5
「どうでしたか?」
水底の住処で、魔女は現れた客人、魚人女の〈蒼き底〉に問いかける。
『アア。奴ハ、ワタシニ惚レタヨウダ』
〈蒼き底〉は、エラをヒクヒクとさせて、声を荒げる。
「それにしては、不機嫌そうですね」
『何故、触レテハイケナイ。モウ奴ハ、私ノモノダ。早ク交ワラセロ』
「薬を渡す際に言ったでしょう」
魔女は溜息を吐き、微笑を湛えて魚人を諭す。
「薬の効果は、あくまで外見を誤魔化すだけです。多少触れるだけなら問題ありませんが、深く接触するとなれば、薬の効果は解け、彼も貴方の正体に気がついてしまう」
『ナラ、髪ヤ身体ニ軽ク触レルグライ、良イダロウ!』
「貴方は、それで抑えがききますか?」
『ムウ……』
「それに、貴方と同じぐらい、人間の男も我慢を知らないものですよ」
『ダッタラ、触レテモ問題ナイ薬を作レ!』
「あまり急がないでください」
今にも飛びかからんばかりの勢いで魚人が怒鳴るが、魔女は涼しい顔で人差し指を立てて制す。
「人の心は複雑です。惚れた、と思っても、本当は勘違いであったり、本心は別にあったり。外見だけでは掴めぬものですよ」
『ナラ、ドウシロト? 従ワセル術式デモ覚エレバイイ?』
「いいえ、ですから、時間が必要なのです。結局のところ、共に過ごす時間を増やすことが、“二人”の関係を深める一番の手段ですから」
『ソノ間、オマエニ恵ミ続ケロトデモ?』
魔女の薬の効果は、二十四時間しか持続しない。
男と会う日数が増えれば増えるほど、魔女に“対価”を支払い続けなければならない。
『ワタシガ齎スモノ、全部絞リ取ロウッテ魂胆ジャ、アルマイナ』
「そうでしたら、もっと効率のよい方法を取りますよ」
『ダッタラ、ワタシノ要求ヲ呑メ! 本当ニ、叶エル気ガアルノカ!』
魚人は、飄々とした魔女の態度が気に食わず、怒りに任せて目の前の机を叩く。
鈍い音が響き、机にヒビが入り、部屋が揺れ、天井の灯がゆらゆらと振れる。
卓上の瓶が倒れて床に落ち、中身の粉末が撒き散らされた。
「では、十日です」
魔女は、目を閉じて肩を竦め、諦めたように期限を口にする。
「その時、とっておきの薬を調合しましょう」
『何ダ、ソレハ』
「男を“水中でも生きられるようにする”薬です」
『……ホウ?』
その言葉を聞いて、魚人の目つきが変わる。
瞬きひとつしない不格好な瞳と醜悪な魚面だが、今抱いている感情だけは、その面の上へ如実に表われていた。
「ですが、ひとつ条件があります」
『マタカ。今度ハ何ダ?』
「その薬を使う前に、必ず貴方の“正体”を、男に晒してください」
『アア? ソレジャ、今マデノ意味ガ、ナクナルダロウガ』
「貴方はこれから一生涯、私に薬を頼むつもりですか?」
『一生変化ガ続ク様ニシロ』
「注文が多いですね。冷静に考えてください」
床に零れた粉末を箒で片付けながら、魔女は魚人を見上げて微笑む。
「貴方は、人間になることは望まないのでしょう。人間を、貴方達と“同一”の存在に変質させることもまた、私には難しい。故に、貴方達はどこかで必ず、互いの正体を知らなければならない。
『ダガ……』
「それに、それで冷めてしまうようならば、それは本当の“恋”ではないと……私は思いますよ」
魔女の言葉に、魚人は丸め込まれて黙る。
その間に魔女は掃除を済ませ、棚の間から、今回分の薬の入った瓶を取り出して持ってくる。
「では、三日分です。飲み過ぎてはいけませんよ」
『……チ。オイ魔女、サッキ言ッタ薬ハ、ドウナッテモ作ッテ渡シテモラウゾ』
「ええ、分かっています。貴方が対価を払う限り」
『フン。拒絶サレタトコロデ、無理矢理連レルダケダ。約束ハ守レヨ!』
魚人は乱暴に薬を受け取ると、財宝・宝石の類を部屋の中にばらまく。
それをひとつひとつ腰を曲げて拾う魔女の様を見て、魚人は憐れみと優越感を覚えると、海の中へと飛び込んでこの場を去る。
「……難しいですね、種族の違いというものは」
魔女は、手元の古ぼけた金貨を眺めながら、ひとりでに呟いた。
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