魚人女-4

 海に面する王国に、ひとりの男がいた。

 王族の一員として生を授かった男は、富にも知性にも体力にも恵まれた人物であったが、たったひとつだけ、恵まれないものがあった。

 それは、容姿である。つまり、とんでもない不細工なのだ。

 ぷっくりと突き出した唇、弛んだ頬、バランスの歪んだ輪郭……それは一見した老若男女が、揃って目を背け、揃って「醜い」と口にするひどさであった。

 これが致命的で、男は外見が悪いというだけで、家族に、召使いに、国民に、あらゆる人間に嫌われていたのだ。

 男はそれを理由に人々を恨み凶行に走るような短慮ではなかったが さりとて、開き直って不細工を謳歌するような度量を持ち合わせている訳でもなかった。

 そのため、男は日頃から謙虚、というより卑屈な態度で人と接しながら、その実誰も信用せず、自由な時間は孤独になれるような自然の中へと身を隠す、そんな人柄であった。



* * *



 ある日、男は、海岸沿いの岩礁に立ち寄った。

 ただただ無骨な岩肌と、寂れた苔だけが点在するこの場所。如何なる角度から眺めても絶景とはとてもいえず、時々大波が押し寄せるのもあって単純に危険でもあり、ふつうの人間ならばまず近寄ろうとは思わない。ゆえに、男にとっては、居心地の良い場所だ。

 男はこのような独りになれる場所を数カ所知っていて、その日その日の調子によって、訪れる場所を変えていた。今日は、潮風に当たりたい気分だった。

 けれども、その日は珍しく先客がいた。岩石の上に立つ、人影が見えたのだ。

 男はそれに気付くと、ただでさえ皺の寄った顔を更にしかめ、舌打ちをする。

 これでは、独りきりになれない。男は立ち去ろうとしたが、視界に映った人影の姿形を認識すると、思いとどまった。

 それは女だった。それも、とびきりに美しい女だ。つぶらな瞳、細波のようにウェーブのかかった儚げで仄青い髪、恐ろしいほどに調和のとれた輪郭。まさしく、男の正反対だ。しかもその女は、先程からずっと、男の方を、物憂げな視線でじっと見つめているものだから、男は女の端麗な顔つきを、まじまじと見て取れた。

 男は、思わず見惚れてしまい、足を止める。だが、すぐに、自分とはと思い直し、再び立ち去ろうとする。


「あ……」


 女から、呼び止めるような声がした。

 男は、再び向き直る。話しかけられたなら、口を利いたっていいだろう。


「どうしたんだ、あんた。おれなんかに、何か用かな」

「…………」

「おい、お嬢さん? おれの言葉が分からないか?」

「……あー……」


 女は、男の質問には答えず、時折、小鳥の囀りような呻き声で返すばかりだ。

 男は不思議に思い、女を観察する。

 服装はボロ布を纏うのみで、波を被ってぐっしょりと濡れており、細くも引き締まった女体の魅力を、明け透けにひけらかしている。少なくとも、貴い身分の者ではない。学もなさそうだ。言葉も通じているのか、いないのか。美人は美人だが、不気味さの方が勝る。あまり、関わりたくない。

 だが女は、潮風に吹かれ、波打つ髪に視線を遮られても、絶えず男を眺め続けている。不安と憂いと幼さとを帯びた視線が、形容しがたい妖しい魅力を孕んでいた。何より、男は、そういった類の視線に晒されたことが、人生で一度もなかったのだ。

 騙されたと思って、男は近づいてみることにした。ゴツゴツとして不安定な岩場を踏み締めて、女の側まで歩く。

 女は、男が寄ってくると、頬を緩めつつ、緊張する子供のように肩を狭めて縮こまる。


「おい、あんた、随分と綺麗だな。どうして、こんな場所にいるんだい」

「……きれい?」

「おお、綺麗だ、綺麗。おれの知る誰よりも、美しい」

「うつくしい……」


 男は、女のか細く、それでいて艶のある声を聴くと、尚も魅了される。こんな美しい女と出会えるなんて、夢のようだ。

 しかし、男はふと、鼻をつく異臭に気がつく。生魚のものだろうか。それが、女の身体から僅かに漂ってくる。


「あんた、魚臭いな。まさか、人魚というものか?」

「…………」

「いや、そんな筈はないか。あんたは、人の足があるもんな」


 男は、漁村の娘なのだろうか、とぼんやり考え、勝手に納得した。

 会話では有効な情報を得られないと考え、行動で試してみることにする。

 男は足場の端から、両足を海面に投げ出して座ってみる。すると女の方も、男に追従するように、隣に腰掛けた。

 次に、男は女の手を握ろうとする。すると、女は慌てて手を素早く引っ込める。背中に手を回そうとしても同様で、身体を逸らされる。どうやら、直接触れるのは禁止らしい。だが、この場を立ち去るような気配は見せない。

 間違いない、と男は確信する。この女は、おれに好意を抱いている。信じ難いが、そういうことだとしか考えられない。現に今も、おれの表情をちらり、ちらりと覗いているのだ。誰もが、二度と視界に入れたくないと暗に明に語る、おれの顔を。

 ならば、これ以上突くのも、野暮というものだ。今は、この時間を楽しんでいたい。

 男はそれ以上、女に語りかけることはなかった。女もまた、何か言う訳でもない。日が暮れ始めるまで、そのまま二人で海をただ眺めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る