『闇堕ちありす』 -プリーステス-

「サラちゃん、わたし、わたし……」


 真夜中のD市――大通りからいくつも逸れた路地裏の一角で、有栖川ありすは項垂れていた。

 小さく纏めた栗色の細い髪に、小動物のようにあどけない童顔、くりりと大きな瞳。だがその顔には、べったりと赤い鮮血が付着しており、愛らしい外見のはずの少女に、凄惨な影を落としていた。

 室外機に背中をぴったりと付け、小さく震える少女の前には、素性の知らぬ男たちの遺体と、血だまり。惨劇を覆い隠す廃ビル群の狭間から照らす星芒が、その罪を夜と云う名の白日の下へと晒していた。


「ありす……!」


 灰色のローブに身を包む少女、〝女教皇プリーステス〟サラフィアは、そんな友人の姿を認めると、紅の瞳を見開いて息を呑む。

 疑念と後悔。困惑と諦観。形にならない感情をぐるぐると渦巻かせながら、一歩、一歩と有栖川へ近づく。跳ねた血飛沫が、足元を濡らした。


「お前が……やったのか?」

「わたし……どうなっちゃったの? わたし、どうなっちゃうの……?」


 涙をぽろぽろと零しながら、有栖川はサラフィアの顔を見上げる。交錯する二人の視線。有栖川の瞳を覗き込んだサラフィアは……その瞳に、一欠片の光も宿されていないことに気付いてしまった。脳裏に浮かぶのは、変貌してしまった〝自らの主ロザリアさま〟のこと。


 ――同じ眼をしている。


 直観したサラフィアは、有栖川の目の前でしゃがみ込むと、そのまま包む込むように抱擁する。咄嗟の行動だった。


「大丈夫だ、ありす。私が守るから」

「サラちゃん……ほんと?」

「ああ、本当だ。……絶対に」


 言葉を裏付けるように、サラフィアは強く抱き締める。友の腕の中で、夢見た少女は闇に靡いた。


 * * *


「こら~~~~~っ! 人間さん襲っちゃダメでしょ~~~~!!」


 あくる日、廃棄された地下鉄駅跡の暗闇の中に、いたいけな少女の怒鳴り声が響く。

 少女の手元には、星明りほどの小さな光の球。それに照らされて、数匹の食屍鬼グールと、彼らの食物たる人間の遺体が顕にされている。

 食屍鬼グールは怪訝そうな視線をその少女に向けていたが、ぶんぶんと腕を振り回しながら説教を続ける少女の姿にのか、小さく頭を下げると、その場を立ち去って行った。


「まったく……困っちゃうね。こんなことしてたら、争いになっちゃうのに」


 食屍鬼グール少女、有栖川ありすは、一仕事終えたといわんばかりに額を拭う。

 漆黒のゴスロリドレスに身を包み、星型の頭部を持つステッキを携えた少女は、魔法少女と呼ぶに相応しい恰好をしていて、このような陰気で閉塞的な場所には似つかわしくなく、仮に目撃する者があれば、一種の狂気的な倒錯すら感じさせるだろう。

 そして胴体を蝕まれて臓器の露出した遺体を見ても、眉一つ動かしたで、よいしょ、よいしょと部屋の隅へと運び始めていた。


「大丈夫か、ありす」

「サラちゃん! おかえり!」


 そうして遺体に布を被せて祈りを済ませた有栖川の元に、付き人である灰色ローブの少女、サラフィアが戻ってきた。

 だが、サラフィアの衣服に付着した真っ赤なモノに気付くと、頬を膨らませる。


「あっ、サラちゃん! また誰か殺したでしょ!」

「先に撃ってきたのは向こうだ」

「ダメだよ! やられたからってやり返してたら、いつまでも終わんないよ!」


 ぷんぷん、と、そんな擬音の似合う様子で文句を言う有栖川を見て、サラフィアはどこか微笑ましそうに、頬を緩ませる。


「分かっているよ、ありす。殺してはいない。それ相応の報いは与えたが」

「む~……。もっと穏便に済ませてよ~。殺してないからって、何をしていい訳じゃないよ」

「無茶を言うな。あっちは殺す気で来るんだぞ」

「だって本当は、わたしたち仲良くできるはずだもん!」


 有栖川は、きらきらとした視線をサラフィアに向ける。その虹彩には無数の惑星が瞬いていて、夜空を早回しで撮影したときのように、渦を巻いて動き続けている。

 だが惑星の光は紛い物。太陽の輝きを、自分のものだと偽るだけ。それが実像のない虚構なのだと、サラフィアは識っていた。


「人間さんも、グールさんも、神様さんだって、みんな自分たちが生きていきたいだけなの。互いに理解し合って、譲り合うことができれば、きっと共存できるのに」

「それができれば苦労しない。だからこそ、軍隊なんかが送り込まれてるんじゃないか」

「でもでも、さっきだってわたし、グールさんとお話できたんだよ! だったら――」

「お前のそれはだろう」

「――もう、サラちゃんの意地悪」


 サラフィアに咎められて、有栖川はいじけたように口を尖らせ、小石をこつんと蹴っ飛ばす。


「ありすが本当に平和を望んでいるのだって、私は知ってるさ。今はこんな手段しか取れなくても、いつか叶えられる時が来る」

「ホントかな……あっ、もちろん頑張るんだけどね! でも、ホントに叶うかどうかって考えると、不安になっちゃって……」

「叶うさ」


 頬をかく有栖川の肩を掴んで、サラフィアは紅の瞳を有栖川に向ける。


「お前が信じていれば、必ず叶う。『世界』は変えられる。そのために、私たちの宿した〝邪神因子レネゲイド〟の力があるんだから」

「……そうだね。、いけないもんね!」

「ああ。その日まで、私が必ず守る。私が叶えさせる」

「サラちゃん……!」


 有栖川はサラフィアに抱き着くと、身体を預けて、人懐っこい笑顔を浮かべる。それは紛れもなく、サラフィアの良く知る〝有栖川ありす〟の様子だ。


「えへへ……。ねぇ、サラちゃん。わたし、ずっとサラちゃんと一緒がいい」

「私もだ、ありす」

「ホントかな? ロザリアさんと、どっちを選ぶの?」

「それは……今は関係ないだろ、ありす」

「えへへ、さっきのお返し!」


 悪戯っぽく微笑む有栖川の声に、サラフィアは微かに主の面影を見出すが、すぐに首を振って払う。

 そんな少女の様に、「でもね」と有栖川は続ける。


「だから、サラちゃんにも、わたしを好きにして欲しいんだ。愛して欲しいし、なでなでして欲しいし、それにもし、サラちゃんが望むなら……」


 有栖川がその続きを口にする前に、サラフィアは有栖川を抱き締め返すと、その頬に口づけをする。


「まだしないさ、ありす。〝わたし〟の望みは、私にも分からない。でも……全部をお前の望み通りにするのは、私が壊れてからだ。どうしようもならなくなった時、あるいはどうにでもなるようになった時……二人だけの『世界』になろう」

「サラちゃん……ほんと? わたしも、の?」

「ああ。。それまでは……私は見捨てないよ。お前に縋る〝おまえ〟自身を」


 サラフィアは、覚悟を固めていた。ジャーム化……正常なコミュニケートの行えなくなった有栖川の代わりに、彼女と外部との対話を仲介する役割を全うすると。嘗て人が自然の行いに〝神様〟を見出したように、有栖川の行いを翻訳し神託を伝える教皇になると。

 だがそれは、サラフィア自身が有栖川とには決して行ってはならないことを意味していた。それに、その辻褄合わせの負担を一身に受けることも。

 そして〈無垢にして永遠たる〉少女は……サラフィアのその覚悟に、気付かない訳ではなかった。有栖川は、賢かった。


「ありがとう、サラちゃん」


 だから、有栖川は感謝をして、ことにした。大切で、何よりも暖かくて、どんな光よりも近くにある、漆黒の明星を。


 ――だが、変化する力を失った神話生物ジャームに、他人を信じることなどできるのだろうか?


 その答えをサラフィアは持ち合わせておらず、自らに縋りつく小動物ありすがわの心の真偽を確かめる術を持たなかった。

 故に、サラフィアもまた自らの主観を。宇宙の果てに消え失せてしまいそうな彗星へ、手を伸ばして引き止めようとした〝わたし〟を。


 信じ在ったその先に、偽りなき関係があると

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【DX3rd:CRC】『The Fool's Journey』 かぴばら @Capibara_DX

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