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『トロッコありす』 -プリーステス-

――――――――

 暴走した一台の路面電車トロッコが走行している。

 このままでは、進路上にいる五人の作業者が轢き殺されてしまう。

 あなたは偶然、線路の分岐器ポイントの目の前に立っている。

 もしもあなたが分岐器ポイントのレバーを引けば、路面電車トロッコの進路は切り替わり、五人の作業者は助かるだろう。

 しかし、分岐先の進路でもまた、一人の作業者が線路上に存在する。

 レバーを引けば、五人が助かる代わり、その一人は確実に路面電車トロッコで轢き殺される。

 そしてあなたは、『レバーを引いて進路を切り替える』以外の干渉手段をもたない。

 さて、レバーを『引く』か『引かない』か。どちらが倫理的に正しい行為だろうか?

――――――――


「…………」


 日本。地方の公立高校。昼休み。

 おおよそ只人らしからぬ紅い瞳の留学生……サラフィアが、灰色の装丁の施された本を開きながら、ノートに鉛筆を走らせている。


「なにしてるの、サラちゃん?」


 そこに、話しかけるひとりの小柄なクラスメイト。

 自称・魔法使いのゆるふわ系女子高生、有栖川ありすだ。本名。


「倫理の問題だ」

「りんり!? すっご~い、なんだか賢そうだね! ね、今どんなのやってるの!?」

「これはトロッコ問題だな」

「あっ、なんか聞いたことあるよ~!」


 有栖川は賢さの欠片も見られない様子でうんうんと頷く。

 サラフィアの手元のノートには、簡略化されたトロッコと線路、それに作業者の図が描かれている。


「ね、ね、私もやってみていい!?」

「…………」


 返答が待ちきれない有栖川が本&ノートを覗こうとすると、サラフィアは本を閉じ、ノートを手にとって有栖川の視線から隠す。


 ←←←

 すすす。

   ←←


  →→→→

  すすすす。

 →→→ 


「ちょっと、何で意地悪するのサラちゃん!?」

「お前にはまだ早い」

「そ、そんな事ないもん! 私だってもう高校生だもん、難しいこと考えられるよ!」

「はぁ……」


 サラフィアは溜息を吐くと、仕方なくといった風にノートを机の上へと広げ、有栖川に説明を始める。


「いいか、まず一台の電車が走っている」

「うんうん!」

「この電車は暴走している」

「えぇっ!? 大変だよ! 早く止めなきゃ!! 運転手さんは!?」

「死んだ」

「死んだ!?」

「死んだかはともかく、もう止める術はない。永久に暴走したままだ」

「そ、そんな……!」

「そして線路上には五人の作業者がいる」

「えええぇっ!?」

「このままだと五人とも轢かれて死ぬ」

「た、大変だよ! 早く逃げて!!」

「いいや間に合わない。電車が速い。五人はもう逃げられない」

「そんな……な、何とかならないの!?」

「ならなくはない」

「えっ、本当!?」

「有栖川、お前は丁度、この電車の行き先を変えるレバーの前に立っている」

「えっ私が!? 何でそんなところに!?」

「魔法だ」

「魔法!? なるほど!! 私、魔法使いだもんね!」

「そうだ。そしてレバーを引くと電車の進路を変えられる」

「やった! これでみんなを救えるよ!」

「だがこの新たな線路にも一人の作業者がいる」

「えええええ――――っ!!? 逃げてえぇぇ――――っ!!」

「いいやお前の声は届かない。レバーを引くとこの一人は死ぬ」

「そ、そんな……!! 何とかならないの!? 私魔法使いでしょ!?」

「いいや奇跡は何度も起きない。事ここに至ってお前にできるのは、レバーを引くことのみだ」

「あ、あわわ……! もう、何ともならないの……?」

「ならない」

「ど、どうやっても……?」

「どうやっても」


 顔面の蒼ざめた有栖川に向かって、サラフィアは冷たく決断を迫る。


「さて、お前はどうする。レバーを引くか、引かないか」


 有栖川の選択は。


「……う、うええええぇぇぇ……」


 泣き出してしまった。


「どうして……どうしてみんな助からないのおぉぉ…………」

「……だから早いといったんだ」


 呆れ顔で――少々申し訳なさそうにノートを閉じようとすると、そこに小さな腕が挟み込まれる。


「ま、待って! サラちゃんなら! サラちゃんなら、どうするの!?」

「私か? 私は……そうだな」


 サラフィアにはこの小動物ありすがわが問い返した理由が不明瞭だったが、しかし悪い気はしなかったので、正直に答えることにした。

 ノートを再び開くと、自分の描いた図を見つめて……それが気に入らなかったので、別のページを開くと改めて簡略図を描き始める。

 五人の棒人間と一人の棒人間を記し終わった後、サラフィアは口を開く。


「……ふぇ?」

「この問題は情報が足りない。故に判別できない」

「えっ、そ、それってどういうこと!?」

「例えば生物的な命の数だけを見るなら、レバーを引いた方が死者は少ない。そちらが正しいだろう。だが実際に、命の価値を量れるか?」

「い、いのちの?」

「そうだ。この問題のケースでは、作業者ひとりひとりの“命の価値”は平等であることが前提となっている。だが現実にそんなことは殆ど起こらない」

「???」

「極端な例をいえば、この作業者の中に、とんでもない悪党が混じっていたらどうなる? 子供だったら? 或いは老人だったら? そうだな、この一人が線路に偶然迷い込んだ赤子だったとすれば、話は変わってくるだろう?」 

「た、たしかに……? で、でも……」

「今のは極論だ。だが実際、この五プラス一の作業者が、“あらゆる意味で全く価値の等しい人間”――“おんなじ人”――であることが現実に在り得るか?」

「お、おんなじ人は、いないと思うけど……」

「そうだ。年齢、性別、能力、持病、家庭の有無、罪の有無――人を区別するための材料は無限にあり、それを推し量る指標もまた無数にある。だがこの問題はを切り捨てている。あるいは、を全く知らない状態を仮定しろということか。どちらにせよ、それならば私の返す答えは“解答不可”だ」

「よく分かんないけど……サラちゃんにも、分からない……ってこと?」

「最初に言っただろう。そういうことだ」


 サラフィアが懇々と語る。有栖川は泣きじゃくりながら聞いていたが、サラフィアの“答え”を聞くと、少しだけ嬉しそうに表情を綻ばせる。もう泣き止んだ。


「じゃあ私と一緒だね! 私も分かんないもん! ……あっ、でも、やっぱり、何か答えを出さなきゃいけない……のかな。だって私たち高校生だもん」

「別にいいんじゃないか。こんな状況に陥ることはそうない。気になるなら、もっと問題を単純化してしまえばいい」

「えっ?」

「例えばどちらかにお前が混じっているなら、私はお前のいない方を殺す」

「ひゅえっ!?」

「それで五人を殺すとしてもだ」

「ダ、ダメだよ!! 私のことはいいから!! みんなを助けてあげて!!」

「……なら、お前が五人側だったら?」

「ふえ?」

「お前が五人の方にいたら、私は一人の方を殺すが」

「そ、それは……で、でも、こっちに来ると、他の四人まで巻き添えになって……あ、あうう、あうううぅぅぅ……」


 また泣き出した。


「あっ……すまない、つい」

「うええぇぇん……サラちゃんのいじわるぅ……」

「悪かった。大丈夫だ、もしもこんな状況になったら、レバーを真ん中で止めればいい。それで電車は脱線する。誰も死なない」

「えっ本当!? それで、誰も死なずにすむの!?」

「ああそうだ。怪我人も出ない。お前がちゃんと魔法を使えたらな」

「やったーっ! じゃあ、私、みんなを守れるように頑張るね!」


 サラフィアの言葉に乗せられて、有栖川はやっぱりすぐに機嫌を直すと、ごしごし顔を拭い、元通りのにこやかハッピー笑顔で自分の席に戻っていった。


「疲れたな……」


 サラフィアは肩を竦めると、微妙に有栖川の涙で濡れたノートを見やる。

 しばらく何の気なしに眺めていたが、ふと、一人と五人の棒人間を消しゴムで消すと、それらよりは幾分か労力の割かれた子供のイラストを、それぞれの線路上にひとりずつ描く。


(もし仮に、片方の線路に我が主ロザリア様が、もう片方に有栖川がいた場合)


 片方を色鉛筆で塗る。


(私は、どちらに電車を向かわせるのだろうか)


 もう片方を塗る途中で手を止める。


(……下らない。仮にそんな状況になったとしても)


 再び消しゴムを取り出すと、そのイラストを色ごと、ごしごしと擦って消去する。


(それを決めるのは“今”じゃない……いや)


 ――“今”、それを決めたくはない。

 色鉛筆は綺麗には消えなかったので、ノートからページごと引きちぎると、くしゃりと折り畳んで、窓からぽい、と投げ捨てた。

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