灰を被る-9
どれくらい、そうしていたのだろう。
不意に、少女の肩を、魔女の手が触れた。
「……ふふ、気は済みましたか?」
魔女の姿は、何時の間にか、初めて遭った時のような、齢を食ったものに戻っていた。
少女が驚いて、目の前の暖炉を見やると、それは小さなもので、とても少女が身を投げられるようなものではない。
「危ない所でしたね。殆ど、呪詛は完成していました。もう少し遅ければ、間に合いませんでしたよ」
「え、え……?」
朗らかに笑ってみせる魔女に、少女は困惑する。
「あなたは、寿命を得るために、私の義姉に呪いを掛けたのではないですか?」
「そうですね。けれどそれは、貴方が復讐を願ったからです。貴方が思い止まり、義姉を生かして欲しいと望むなら、もう貴方の義姉を選ぶ必要はありません」
誰でも良いのですよ、と、魔女は嘯く。
「もっと成人したものでも、もっとどうしようもない悪人でも。棄てられた命など、この世には幾らでも落ちているのですから」
「なら、どうして私の願いを……?」
納得のいかない様子で疑問を投げかける少女に、魔女はくすり、と悪戯っぽく笑う。
「言ったでしょう? 貴方の求めるものも、私の求めるものも、きっと手に入ると。貴方は自分と義姉の本当の心を知れた。私もまた、貴方の本当の心を知れた」
「それが……魔女様の欲しかったもの?」
「ええ。私は、人間が好きですから」
「でも私は、魔女様の言いつけを破りました。それは、罰されなければ……」
「あら、うふふっ」
魔女は思わず笑みを漏らすと、涙でくしゃぐしゃになった少女の顔を覗き込みながら、その心臓に手を当てる。
「罰ならもう、受けているでしょう? 痛いほどに」
少女は、熱を帯びた魔女の視線に晒されて、ぞくり、と身震いをする。心の底まで全てを見透かされ、ねっとりと味わい尽くされるような感覚。
きっとこの魔女は、初めからこうなることを分かっていたのだ。分かった上で、私の依頼を受け、義姉を呪い、私と義姉の移り変わりを眺めて……そして、こうして泣きついてきた私を迎える。全てが、魔女の掌の上で踊らされていた。
呑まれかけた少女は、咄嗟に魔女の手を振り払い、畏怖に震えながら魔女の顔を睨み返す。だが魔女は意にも介さず、ニコニコと人当たりのいい笑顔のまま語るだけだ。
「貴方の義姉はもう、すっかり元通りの筈です。屋敷の中の人間関係までは、そうはいきませんが。それとも、今回の件のことは、すっかり忘れてもらいましょうか?」
「そんなこと……!」
「できますよ。私は世にも恐ろしい“魔女”ですから」
なんでもないように言い放つ魔女に対して、少女は、ただひたすらに圧倒されていた。魔女にとって、少女と義姉と屋敷の人々の関係など、好きにこねくり回せる手慰みものでしかないのだと、少女は理解する。
これが、魔女。己の快楽のために、人間を玩具にする悪魔。そして、いとも容易く世の理を壊す、超常の存在。少女の信じていた常識が、ぽろぽろと崩れ落ちていく。
少女の心中に、人生と感情とを弄ばれた取り留めのない怒りが渦巻く。だが少女の持つ感情は、それだけではなかった。
「では、もうお帰りなさい。私もそろそろ、此処を離れなければなりませんから――」
「待ってください、魔女様」
「……どうなされました?」
魔女は、少々訝しげに少女を見つめる。
少女はしばらく黙りこくっていたが、やがて口を開く。
「魔女様が……呪ってくれたおかげで、私は、大切なことに気付けました。だから……ありがとう、ございました」
憤怒や嫌悪と同時に、少女はまた魔女に対して畏敬と感謝の念を抱いていた。どんな目的であったとしても、魔女の行いによって、
魔女はそんな少女の様子を暫し見守っていたが、にこりと微笑むと。
「早く、顔を見せてあげてください。貴方を愛する人に」
そう、優しく慈愛に満ちた声色で送り出すのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます