灰を被る-8

「そうですか」


 魔女は、ぎし、ぎしと床を軋ませて、椅子に座る少女の方へと近寄っていく。

 そして、少女の変色した手を取ると、ゆっくりと引っ張って立ち上がらせる。


「貴方は、義姉あねのことを、殺したいほど憎んでいたのではないですか? だからこそ、私にこいねがったのではないですか?」


 魔女は、少女と共に、部屋の隅の暖炉の方へと向き直る。

 もちろん少女は、その意図を理解した。だが、少女のとは違い、魔女の左手は、少女の背中を撫でている。


「貴方の大事な形見ドレスだって、貴方の美しい腕だって、こんな目に遭わされてしまったのですよ。それでも貴方は、彼女を許せるのですか?」


 小動物を愛でるように、魔女は少女の腕を、そっと握る。


「はい……魔女様。私の、私の復讐は……もう、終わってしまったんです」


 魔女が促すのに応じて、少女は、自ら足を踏み出す。

 山小屋には似つかわしくない立派な暖炉は、轟々と炎を吹き上げ、まるで罪人を待ち構えるように鎮座する。


「あの時……あの時、私の義姉あねは、んです。炎に巻かれて、消えてしまったんです。だから、だから……もう、恨めないんです。それに、私は、知ってしまったんです」

「何を知ってしまったのですか?」

ルクレツィアも、義姉ナーシャも……同じ、おんなじ、人間だってことを」


 少女は、絶望していた。許されざる悪女を痛めつけ、心を折り、腸を穿り返して得られた結論が、彼女もまた嫉妬に歪まされた、ただの人間でしかなかったという事実に絶望していた。義姉あね少女ルクレツィアを知ろうとしなかったように、少女もまた義姉ナーシャを知ろうとしなかった。そして、義姉あねの瞳の奥に秘められていたものが、少女いもうとへの憧憬だと気付いた時、少女もまた、義姉あねに求めていたものが何だったのか、それに、気付かざるを得なくなった。

 少女ルクレツィアは、義姉あねが自分にしたことは許されるべきではないと、無論考える。何年もの間、少女は、屈辱を覚え続けてきたのだから。しかし、ならば、少女が義姉ナーシャに対してしたことは?

 何より、死の淵に立たされて、義姉ナーシャは少女を許したのだ。けれど少女ルクレツィアは、未だに義姉あねを許せそうにない。そのことひとつ取ったって、もう義姉ナーシャ少女ルクレツィアよりも劣る人間だとは、少女は考えられなくなっていた。


「だから、助けてください。私の義姉ナーシャを、殺さないでください……」


 涙ぐみながら、少しづつ前に進む。だんだんと熱源が近くなってきて、肌が汗ばむ。


「同じなんかじゃありませんよ。だって貴方は、こんなにも綺麗ではありませんか」


 魔女はそういって、今度は、少女のブロンドの髪を撫でる。その髪は相変わらず美しい光沢を放っていたが、頭頂部だけは、まるで灰でも被ったかのように、黒ずんでいた。その汚れを、魔女はさっと払う。すぐに、美しい少女へと戻った。


「私は、永く生きたいのです。深い理由がある訳ではありません。ただ、死にたくないのです。貴方だってそうでしょう――を望む物など、この世にはいません」

「それでも、私は……」


 少女は、ぽろぽろと涙を零す。


「それでも私は、償いたいのです。謝れなかったから」


 少女の訴えに、しかし魔女は、眉一つ動かさない。ただ、背中と頭を優しく撫でて、少女が落ち着くのを待っている。

 ああ、あの時と同じだと、少女は理解する。きっと、何をしても抗うことはできない。義姉ナーシャは死ぬ。ルクレツィアも死ぬ。もうどうにもならないと知って、私がもがく様を、貼り付けた笑顔の裏で、この魔女は愉しんでいるのだ。義姉あねが私にそうしたように、私が義姉あねにそうしたように。

 あの時私は、罰せられることはない、と思ったが、あれは甚だ勘違いだった。悪意ある行動は、別の悪意によって罰せられる。義姉あねの悪意は私の悪意で、私の悪意は魔女の悪意で。ならば、魔女は誰が罰するのだろうか。――ああ、そうか、教会か。なるほど、世の中は良く出来ている。神様は常に私達を見守って下さっているのだ。

 少女は、考え事をしながら、暖炉の目の前までやってきた。手を翳せば、もう届く位置に炎が渦巻いている。

 ああ、恐ろしい。炎はもう、どうしようもなく恐ろしい。こんなものの中に放るなんて、人間のすることではない。改めて、少女は強く感じた。


「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい……義姉あね様……ナーシャ様……」


 少女は悲しみのあまり立っていられなくなって、膝からその場に崩れ落ちると、燃え盛る地獄の釜に対して懺悔した。

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