灰を被る-7

 ざくり、ざくりと。

 薄雪を踏み締めて、ひとりの少女が山を登る。

 陽は落ち、空気は凍え、茨が肌を蝕む。けれど少女は躊躇うことなく、ただ闇の中を歩き続ける。かあかあと、鴉の鳴き声がした。

 やがて、足を止める。

 目の前には、木造りの家が一軒、ぽつんと建っている。

 窓から漏れる灯――暖炉の灯が、吐息を橙に染める。

 少女はしばらく玄関の前で逡巡していたが、やがて意を決すると、扉をこん、こんと叩く。


「ごめんください」


 寸刻の後、がたがたと荒い音を立てて、扉が開かれる。

 中から現れたのは、美しい顔立ちの魔女である。

 質素な黒布を纏ってはいるが、その美貌は、まさに絶世の美女。だが、外見の若々しさに似合わないくらい、ゆったりとした雰囲気を漂わせている。そのことが、少女に事の真相を察させた。


「……何かありましたか?」


 魔女はこの小さな訪問者に驚いたようだったが、すぐに優しく微笑みかける。

 問いに対し、少女は口を噤む。だが、その様子を見て、魔女は少女を家の中へと招き入れた。



* * *



「まだ全ては終わっていませんよ。……待ち切れませんでしたか?」


 腰掛ける少女に、そんな声が掛かる。

 家の中はこじんまりとしていて、端には歪な装丁の本だとか、腐りかけの食物だとか、名状しがたい形状の植物だとかが、乱雑に積み上げられている。

 まともな精神状態であれば逃げ出しそうなものだが、それでも迷い込んだ人間の警戒を解すのに充分な空間と暖と香と毛皮の敷かれた椅子は、部屋に仕掛けられていた。

 そんな家の内にあって、暗がりに秘めておきたい真実を暴かれるように、暖炉の火によって照らされていた少女であったが、婦人によってスープが運ばれると、その容器に視線を移す。


「もしくは、何か聞きたいことでも?」


 少女は何も答えずに、スープの容器を取ると、口の中に掻っ込む。

 粘っこい液体が舌と喉を焼きながら、体の芯を溶かしていく。

 激しく咳き込むと、口元を手で拭い、改めて魔女の顔を見上げる。


「ナーシャ義姉あね様に、どういう呪いを掛けたんですか?」


 魔女は、少女の問いに、くすりと微笑む。


「貴方も、薄々感づいていると思いますが。彼女に掛けたのは“老化”の呪いです。……正確には、彼女の“寿命”を頂いているのですが」


 そういって、魔女は粛々と、少女の義姉あねに用いた呪詛について説明する。


「この呪詛を掛けた相手と、私との間で、肉体の寿命を入れ替えるのです。完全に入れ替わってしまえば、呪詛は解け、もう元に戻ることはありません。今の私の肉体の歳は確か六十歳程度でしたから、最終的には、彼女の歳はそれぐらいになるでしょうね」


 極めて平素に教える魔女に対して、少女は背筋が凍る思いをする。

 しかし、震える両手を握り締めて、少女は魔女に対して更なる質問をする。


義姉あねは、その歳まで、絶対に生きられるんですか?」

「途中で“魂”の寿命が尽きた場合は、そこで終わりです。その場合も、もう元に戻ることはありません」

「なら……今なら、まだ、その呪詛を解けば、義姉あねは、元に戻るんですか?」

「ええ、戻りますよ」


 その答えを聞いて、少女は、魔女に頭を下げる。


「なら、今すぐ……その呪いを、解いてください」


 魔女は、にこやかに笑う。


「何故でしょうか」


 少女は、答えられない。その様子を見て、魔女はそのまま言葉を紡ぐ。


「貴方には三つ、お願いをしましたね。誰にも言わず、やり方は全て私に任せ、そして我慢すること。貴方は、その全てを破ろうというのですか?」


 淡々と問い詰められて、少女は観念したように口を開く。


「……はい。その通りです。私は、あなたの言いつけを、全て破ります」


 ごう、と、薪が呑まれる音がした。

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