灰を被る-5
暖炉の煌々とした炎が放つ灯が、広間の一面を明るく照らしている。
少女はひとり壁にもたれ、箒の取っ手を指で弄ぶ。
両腕に火傷を負った少女は、もう使用人紛いの雑務は押し付けられていない。けれど、暇になるとどうも落ち着かなくて、時折道具を勝手に持ち出しては、使用人に混じって、掃除の手伝いをしていた。
しばらく、何を考えるでもなく、ぼうっとその動作を繰り返しながら暖炉の火を見つめていたが、不意に廊下の方から、かつ、かつ、と足音が近づいてくる。
現れたのは、
「ここにいたのね、ルクレツィア……ッ!」
「これは、
「黙れっ! よくもまあ、ぬけぬけと……!」
張りを失った声で唸るように凄むと、鬼の形相で少女に詰め寄る。
埃と垢が散る。
「おまえが、やったんでしょう!」
「何をですか」
「とぼけるな! 皆、噂してるわ。おまえが呪ったんだって! 魔女に頼んで、あたしに呪いを掛けたんだって!」
「私が? どうして?
「ふざけないでっ! いい、じきに、悪魔祓いを行うわ。そうすれば、おまえの企みも、魔女の呪いも、全て明らかになるわ! 魔女もおまえも、すぐに捕らえられ、教会によって裁きが下される! そうすれば、全部終わりよ! いい気にならないことね、この、魔女の手先めが……!」
「きゃあっ」――と、小さく悲鳴を上げて、
少女は驚いた。
そんな当たり前の現象が、少女にとっては信じられないことだった。
少女はしばし、黒ずんだ右手を握ったり、離したりしていたが、やがて床に倒れた
少女はひとつ疑念を持った。それを確かめる為に、
「あぐ」――今度は、確かな悲鳴を漏らして、
「だ、誰か! 誰か助けて! ルクレツィアが、ルクレツィアがぁ!!」
だが、誰もやってこない。
少女は慌てるでもなく、
力で御することも、言葉で制することも、他人の手助けを得ることもできないのだと。
少女の
「静かにしてください」
少女がそう告げただけで、たちまち
少女は、胸のすく思いをした。脅せば従う。何と気分の良いことだろう。
いま、自分の行いは、世間的に非難されるべきものだ。神様は、きっと私を罰するだろう。けれど、私はいま、裁かれていない。それを間違いだと分かっている人間が、目の前に、目の届かない所に居る。にも関わらず、私はいま、誰にも非難されていない。神様だって、私を罰していないのだ。
少女は全てから解放された気分だった。今なら、
少女はふと、惨めな
「
「なっ……何を、こんなことして許されると……!」
「立て」
「ひっ……!」
少女は
「外さないでくださいね」――ただ言葉にするだけでよいのだ、
「では一歩ずつ、前に、前に……」
何が何だか分からない様子の
二人の歩く先には壁がある。いや、正確には、そこには暖炉があるのだ。石造りの豪華な火の釜は、まるで地獄の入り口のように、うねる灼熱の炎が渦巻いている。
「やっ……嫌っ! 離してっ!! 何を考えてるの、ルクレツィア!?」
少女は、にぃと口端を歪めてせせら笑う。意図が伝わったことが、純粋に嬉しかったのだ。
「こんな……こんなこと!! おまえ、本当におかしくなったの!? この、悪魔が! 悪魔めが……!!」
「やっ……やめて……許して! お願いだから! ルクレツィア! それだけは、それだけは……!!」
ああ、あの
何と、
――事ここに到って少女は、
ああ、きっとこれだ。
発見が快楽の渦となって、
「いやだあっ! いやあああぁぁぁぁっ!!」
少女を祝福するように火花が散り、薪が踊る。
断末魔のような
炎が一際、赤く輝いた。
* * *
少女は、何の工作もしなかった。誰の口止めもしなかった。
けれど、すれ違う廊下で、夕食の場で、少女に問い質す者は、誰一人としていなかった。母親も、父親さえも。
少女はその日から、この屋敷の“皇帝”になった。
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