灰を被る-3

 街外れの、とあるお屋敷。

 少女ルクレツィアは、台所の炉の側で、燃え殻の中に屈んでいた。

 ぼろぼろに荒れた腕を押さえて、燻るように震えながら蹲る。

 綺麗で物珍しいブロンドの髪も、灰に塗れては輝きも失われてしまい、台無しというものだ。

 その上、最近の空模様は雲深いから、高所の窓から差し込む陽光も、少女をちっとも明るく照らしてはくれなかった。


「おい、ルクレツィア! ここにいるんでしょう!」


 少しだけ意識を飛ばしていた少女は、部屋の外からの呼びかけに目を覚ます。

 それは義姉あねの声だった。

 少女は気怠げに身体を起こすと、渋々扉を開ける。

 そこには、茶色の髪をした、背の高く上品な身なりの女性が、不機嫌そうにして立っていた。


「どうしたのですか、義姉あね様。ここは汚れていますから――」

「広間まで来なさい。おまえに話があるわ」

「今すぐ……ですか? どうして――」

「口答えするな。聞こえなかったの?」

「……っ、はい、分かりました」


 義姉あねは踵を返すと、ずんずんと廊下を歩いていく。

 少女は嫌な予感を覚えたが、仕方なくといった様子で、服に付いた灰を払うと、義姉あねの後を追った。



* * *



「おまえ、あたしの櫛を盗んだでしょう!」


 義姉あねの怒号が、吹き抜け状のホールに響き渡る。

 広間には少女と義姉あねの二人しか居らず、石造りの豪勢な暖炉が、不必要なまでにごおごおと燃え盛っている。


「私じゃありません」

「おまえじゃなきゃ、誰が盗むっていうのよ!」


 義姉あねの剣幕に、少女は頭を下げながら顔をしかめる。

 少女は実の母親を幼い頃に失くしていて、この義姉あねは、父の再婚相手が連れていた娘だ。

 だが、義姉あねは少女をとても嫌っていた。

 何かにつけては因縁をつけ、目の敵にし、雑用を押し付ける。そうして少女を虐めては、口端を吊り上げるのだ。

 おまけにこの義姉あねは愛想が良く、悪賢いものだから、屋敷の人間は皆手篭めにされており、特に少女の父親などは、少女が自ら望んで灰を被ってざつようをしているものだと信じきっている有様だった。

 それだから、こんな風に理不尽な言い掛かりを付けられる事は日常的であったが、今回は、言い掛かりそれが真実であるという事が、普段と異なっていた。


「だったら、義姉あね様が失くしたのではないですか」


 少女は義姉あねを睨んで、口答える。少女の態度もまた、普段のしおらしいものとは違っていた。

 それが、義姉あねは気に食わない。


「何……その態度? そう、あくまで認めないっていうのね。だったら、あたしにも考えがあるわ」


 義姉あねは広間に置かれた椅子のひとつの脚下から、折り畳まれた青色の服を取り出す。それを見るや、少女の顔が引きつった。それは、少女の母親が遺した、形見のドレスだった。


「あの櫛はね、小さい頃にお母様に買ってもらった、大事な櫛なの。誕生日のお祝いに! 本当に大切なものだったのよ! それをおまえが奪うっていうなら……」


 義姉あねはかつかつと靴音を響かせ、ドレスを持ったまま、暖炉へと歩いていく。


「やっ……やめて下さい、義姉あね様! それだけは、それだけは……!!」

「お黙りなさいっ!」


 義姉あねに縋りついて止めようとする少女を、義姉あねは思いっきり蹴り飛ばす。少女は勢いのまま床に転がると、蹴られた腹の辺りを押さえて、その場で痛みに悶え苦しむ。

 義姉あねは悠々と暖炉の前に辿り着くと、勝利の嘲笑を浮かべ……ドレスを薪の中へと放った。

 ぼう、と、服は忽ち燃料になる。赤い炎は瞬く間に青色の布地を侵蝕し、毛の焦げる匂いと共に布は縮れていく。


「アハハハハハハッ!! これでおまえも、あたしの気持ちが分かったでしょう!」

「あ……あ、あ、あああっ……!! 嫌っ、いやああぁっ……!!」


 めらめらと燃え上がるドレスを見て、少女は痛みも忘れ、立ち上がる。

 目にも留まらぬ速さで暖炉まで駆け寄ると、そのまま、炎の中へ躊躇なく腕を突っ込んだ。


「ちょっ……ルクレツィア!? 何をしているの!!」


 義姉あねは少女を暖炉から無理矢理引き剥がすと、少女の腕と、少女が握る火の付いたドレスを幾度も踏みつける。

 やがて火は消えたものの、煌びやかな青色のドレスは殆ど焼け焦げ、随分と熱で小さくなってしまった。

 少女は爛れた両手でそのドレスを掴もうとするが、少女の指が触れたそばから、黒褐色の布片がぽろぽろと崩れ落ちていってしまう。


「う……うぅ……あ……」 

「ふざけるな、傷跡でも残ったら、誤魔化しが……いい、おまえは何も言うんじゃないわよ!」

「あぁ……お母様ぁ……うえぇぇ……っ」

「ちょっと、聞いてる!? ……クソ、誰か! 誰か! ルクレツィアが、火傷をしてしまったわ! 早く!!」


 義姉あねが慌てた様子で使用人を呼びつける間にも、少女はドレスの残骸を抱えて、只々涙を流していた。



* * *



 その後、少女の両腕には、指先から手首の方まで、黒く痛々しい火傷痕が残った。

 両親へ、少女への蛮行が露見することを恐れた義姉あねは、使用人に命じて櫛の紛失とドレスの焼失を隠蔽、少女の怪我は作業中の不幸な事故ということにし、少女共々、口裏を合わせるよう強要した。

 苦しい言い訳であり、少女が本当のことを告げてしまえば、自分の立場が危うくなる状況であったが……少女は、両親に何も言わなかった。上手く事が運び、義姉あねは胸を撫で下ろす。

 けれど、俯く少女が、どんな表情で自分の背を見ていたのかということを、義姉あねは窺い知ることができなかった。

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